第10話 曝露の代償 前

 出版社の裏路地で、二人の男が顔を突き合わせていた。

 片方の四十手前の男は、ジャーナリストの安高だ。

 寝不足と不摂生で肌艶の悪いその顔は、緊張していて汗が滲んでいる。


 相対するスーツ姿の男に鋭く言い立てた。

 人通りの少ない場所とはいえ、あまり周りに聞かれたくないのか、声は潜めながらも、その声色には切迫感があった。


「いきなり今後の取引はしないってどういうことです!?」

「どうもこうもないよ。君、この業界にいたら、手を出しちゃいけないネタがあるのは知ってるだろう」

「そりゃ知ってますよ。俺が何年この業界いると思うんですか」

「あんなクソみたいなネタ掴ませてよく言うよ」

「はあ? あのネタが――」


 苛立った週刊紙の編集の男が、安高を嘲笑った。

 口元だけは笑みを浮かべているが、目はまったく笑っていない。

 凍えるように冷え冷えとした視線で、現状を伝える。


「ハッ。うちの社長な。来季で退任だってさ。株価が落ちないように」

「は――――?」


 そこまで大事になるのか、という安高の声は続かなかった。

 週刊誌の編集の男の言葉をすぐには理解できず、ぽっかりと口を開く。

 男が忌々しそうに説明を続けた。


編集長デスクは別会社に出向。こっち(わたし)は資料係に配置換えだ。こっちが……! こっちがどんだけ苦労して編集になっだが……。おまみたいなクズのせいで……っ!! 分がっだか!? こん、厄病神!」

「グッ!?」


 話しているうちに冷静さを失ったのか、男は方言混じりの話口調になり、殴りかかった。


 頬に衝撃と痛みを受けて、安高はよろめいた。

 殴られたのだ、と少しして気づいた。

 編集の男は喧嘩慣れしているわけでもなく、腰の入っていない殴打だった。


 口がわずかばかりに切れたが、大した痛みも怒りも感じず、それ以上に驚きで頭が一杯だった。

 社長が退任して、デスクが異動?


 普通、週刊紙など裁判沙汰になっても、大した騒ぎにはならない。

 元よりその覚悟で掲載している。

 そんな週刊紙の社長が退任?


 そこまでヤバいネタだったのか。

 いったい誰が、どうやって週刊誌の社長を退任させられるというのか。


 それだけの力を持っている者は、日本でも数えられるほどだろう。


「二度とこっちの前に顔出すな!」


 編集の男は、手首を痛めたのか、左手で痛そうに押さえながらも、安高を険しく睨みつけていた。

 これ以上は何を聞いても教えてもらえないだろうし、状況が良くなることはない。


 とぼとぼとその場を去るしか安高には残されていなかった。




 自宅の安アパートに戻った安高は、さっそく動き始めた。

 詳しい事情を聞き出し、すぐにでも新しいネタの持ち込み先を決めなければならない。

 この道で長い安高は、それなりに知り合いやかつての取引先もいる。


 他のジャーナリストが手を引くネタも貪欲に調べてきたからこそ、大きなネタを掴んできた。

 きっと自分を拾う者はいるはずだ。

 端から連絡を取りはじめた。


「クソ、誰も出やがらねえ!」


 電話は誰も出ず、メールの返信は帰ってこない。

 メッセージアプリは既読すらつかない。


 情報を取り扱っているものばかりだからか、安高の身に起きたこともよく知っているのだ。

 下手に接触すれば、自分の身も危ないと考えているのだろう。


「薄情な奴らだ」


 人の粗ばかりを探し回っておきながら、自分にだけ優しさや情けを求める滑稽さに、安高は気付けない。

 心のなかでかつての知り合いを語彙豊富に悪し様に罵り、罵倒し続けた。


 悪事千里を走るとは言うが、まさか人のネタで商売していた自分が、足元を掬われることになるとは……。


「ふうっ……はぁっ、落ちつけ。落ちつけ。まだ大丈夫。まだ手は残されてるはずだ」


 情報のプロである自分は大丈夫、ギリギリの線引きを間違えないと過信していた。

 だが、スマホに登録していた連絡帳の有望な最後の一人に到達して、なお誰からも接触が得られない事態を前に、安高は自分の危機と正面から向き合うしかなかった。


 びっしょりと脂汗を流して、シャツがへばりついて気持ち悪い。


 いいネタになるはずだったのに、どこでしくじった?

 くそ、これも全部、週刊報醜なんかに持ち込んだのが失敗だった!


「いや、そもそもあの男のせいだ! 堺とかいう、いい女ばっかり連れて、金持ちな生活しやがって! 悪どいなにかをしてるに違いないんだ!」


 その時、安高に天啓が走った。

 そうだ。

 たとえこの俺のこのネタでも、喜んで受け入れてくれるところがあるじゃないか。


 普段の安高ならば、ジャーナリストとして最後の最後として踏み入れなかった一線。


「へ、へへ……堺渡の治療行為の裏取りを取ったら、隣国の情報機関にこいつを売り払ってやろう。あいつらなら、金もたっぷり払ってくれるだろ……」


 まずはネタの整理をして、もう一度大阪に出張して、ネタを集めなくては。

 安高は計画を練り始めた。



――――――――――――――――――――


 昨日は温かなコメントありがとうございました。

 言われて気づきましたが、低気圧もスゴかったんですね。


 次回は後編です。

 安高がどうなるのか。そして渡たちの情報はどうなってしまうのか!?

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