第02話 飯田との再戦 後
パーフェクトジムの二階のリング上で、飯田とエアが向かい合っていた。
スパーリングは二ラウンドのマス。
つまり、全力で当てるのではなく、後に残って本番に支障が残らないよう行われる。
ゴングが鳴ってしばらく、エアが非常に軽いフットワークを披露して、飯田の周りをグルグルと近づいては離れてを繰り返した。
今日のスパーリングは、あくまでも飯田が主体であり、エアの役割はサポートだ。
間違っても怪我を負わせたり、相手の感覚を大きく狂わせるような事態は避けなくてはならない。
飯田の目的は大晦日に向けた調整にある。
そしてエアの目的は、飯田との再戦、そして現代日本における戦闘力の再把握にあった。
対戦相手を真似た動きをしているのも、地球での格闘家の動きを高度に把握するという狙いがあった。
(身長とかは違うけど、スタイルは本当に寄せてくれてるな。ありがたいっす)
(これはこれで楽しっ!)
キュッ、キュッと靴音も高く、エアが接近を繰り返す。
ステップは鋭く、急加速と急減速を繰り返した。
瞬間的な移動、方向転換は、まさに猫科動物の真骨頂とも言える部分だ。
変化の付与によって飯田には見えていないが、エアの耳は飯田にピタリと狙いを向けており、そのわずかな変化も見逃していない。
猫目はギュッと瞳孔が狭まり、その特徴的な瞳はピタリと飯田の全身を捉えていた。
じっくりと見られている。
飯田は軽く体を左右に振り、的を絞らせないようにしながら、ジャブを放った。
無駄な力の抜けた、凄まじく速いジャブだ。
格闘技のトップクラスのジャブは、人の反射神経の限界を越えると言われている。
出るのを見てから反応していては、すでに拳が対象に当たってしまう。
そのため、挙動のその前、予備動作を読み取って、攻撃を予測し、対処しなくてはならない。
攻撃する側はフェイントやモーションを減らして、読みを外させる。
防御する側は的を散らし、虚実を読み、事前の防御を行う。
飯田の鋭いジャブが空を裂く。
紙一重の差でエアがジャブをくぐり抜け、弾き、腕を極めに来る。
(くっそー! 当たる気がしないなっ!)
(ニシシ、遅い遅い! そんな不用意なパンチ、当たらないもんね!)
(なんでこれが避けれるんだ!?)
(ぜーんぶ見えてるもんねっ!)
飯田は卓越した格闘技経験から反撃を許さないまでも、攻めあぐねた。
以前のエアは、人間離れした金虎族の反射神経で、このジャブを回避していた。
だが、今は動画を通じて地球の格闘技を学習し、クローシェとの組手を通じて、対処法を身に着けている。
飯田がポーションを飲んで回復した体でさらなる成長を迎えたように。
エアもまた、動画による学習と、クローシェとの訓練を通じて、以前よりも身体的にも感覚的にも強くなっていたのだ。
(俺の対戦相手はここまで防御は上手くないんだけど……なっ!)
(おりょ!? 気づいたらコーナーに追い詰められちった)
飯田がジャブと牽制の蹴り、フェイントを織り交ぜて、エアをコーナーへと追い詰めていく。
マトモな一発は食らっていないが、左右にロープを背負った不利な状態だ。
このあたりはコーナーあっての状態で戦い慣れた飯田に軍配が上がった。
知識として知っていても、体験のないエアでは、すぐに対策できるものではない。
「ああっ、エア。コーナーから抜けないと」
「いえ、これは飯田選手が上手いですわ。ブロックして脱出させていません」
「そうですねえ。どう攻めればどう動くか、予測されてますねえ」
渡、クローシェ、ステラの反応だ。
焦りを見せる渡と違い、傭兵や戦士として戦ってきたクローシェとステラは落ち着いていた。
その後、飯田の数発のジャブやスピードを重視したボディが、エアの体を捉えた。
エアは闇雲にコーナーから抜け出すのを諦め、一撃離脱を狙う。
(やっべ、マジ楽しい)
(んー、無理やり抜け出すのは違うだろうし、どうしよっかなー)
飯田は表情に笑みを浮かべている。
だが、まだ一ラウンドの中盤、本来なら十分に余力のある状態にも関わらず、飯田は余裕を削られていた。
それでも笑みを見せながら、少しずつ状況を自分のものにしていた。
自分よりもはるかに軽量で小柄なエアの体に、とてつもない力が秘められていることを、飯田はこの時、無意識ながらも見抜いていた。
異世界の類まれな力を持つ獣人の身体能力。
俗に肉体魔法などと呼ばれる身体能力を向上させたエアは、純粋な筋力だけで、飯田を圧倒できる。
とはいえ、エアも全力を発揮するつもりはないし、渡に厳命を受けている。
それでも、秘めたその能力は、飯田に知らず知らず圧力をかけていた。
自分よりもはるかに強い相手に立ち向かうのは、強い精神力が求められる。
「ぐっ!」
「おお、エアの膝蹴りが上手く入った」
(この子マジで巧え。でもこの距離で膝はあるんだった)
トン、と軽い力ではあったが、飯田が苦しそうに顔をゆがめる。
至近距離からほとんどノーモーションでの蹴りが、対戦相手の得意技だ。
しかも膝蹴り、ハイキックなど、視界の外から飛んでくる。
エアの猫科らしいスラリとした脚が素早く折り畳められ、その膝が飯田の右脇腹を叩いたのだ。
そのままエアの拳が二発、飯田のテンプルをかすめ、ガードの上から叩いた。
(これでコーナーから離脱……にゃっ!?)
(させるか。うりゃ! これはさすがに避けられんだろ!)
さらなる追撃に見せてコーナーから脱出しようとしたエアだが、飯田がこれを見抜き、即座にタックルへと移行した。
「っしゃあっ!」
(やっぱりこの子、投げ技は立ち技に比べたらまだ通るな!)
(ちがうんだよにゃー! 前回尻尾踏まれたからリベンジでわざと投げられただけだし!)
至近距離からの超高速タックルで、エアをマットに叩きつける。
ドン、と音をともに、エアの頭がコーナーに押し付けられた。
前回は尻尾を踏んだことで終わりを迎えたが、今はエアも対処している。
むしろ極めて冷静に、対処を開始していた。
身長と体重を利用して有利なマウントポジションを取ろうとする飯田に対して、エアは仰向けの状態から手足を上手く使い、ポジショニングを固定させない。
むしろ下から虎視眈々と一瞬の隙を伺っていた。
(来るなら抜くしっ!)
(一発狙ってるな)
その殺気に満ちた迫力ある目に射抜かれて、飯田も不用意に攻められない。
だが、確実にダメージを与える小ぶりのパンチを繰り返し、詰将棋のように関節技、締め技へと移行していく。
立ち技に比べて、寝技はとくに経験が有無を言う。
純粋な筋力、肉体操作魔法を封じ、年相応の女性の筋力て戦っているエアが、体格の問題もあり、少しずつ追い詰められていった。
そして。
「よっしゃ! 勝った!」
「フシャーッ!!」
マススパーリングとは思えないほどガッツポーズをして喜びをあらわにする飯田に、不満そうなエアの姿があった。
とはいえ、汗だくになり肩で息をする飯田に比べ、エアは呼吸も静かで軽く汗ばむ程度でしかない。
全力を出していないのは明らかだったし、この勝利があくまでもスパーリングパートナーとしてのものでしかないことは理解している。
それでも、ここでエアに勝てたことは、飯田にとって大切なことだった。
一体どれだけスタミナがあるのか。
そして全力で戦えばどれほど強いのか。
飯田はその底しれなさに驚くとともに、強い興味があった。
「エア、ケガはないか? ポーションは必要か? ほら、水飲んで」
「もー、主心配しすぎだって。アタシは大丈夫だから」
過剰に心配する渡の態度に、エアは苦笑を漏らしつつ、悪い気はしなかったのだろう。
はにかんでされるがままになっている。
バスタオルで顔や頭を優しく拭かれるエアは、リングで戦った恐ろしい姿はどこにでもなく、渡に夢中になっている可愛らしい女の子にしか見えない。
「エアちゃん、俺の試合終わったら、一度本気でやってみないっすか?」
「ん、良いよ」
さらっと願いが叶って、飯田は驚くとともに喜んだ。
あるいは大晦日の試合よりも嬉しかったかもしれない。
「でもアタシにボロ負けしたら、プライドが折れても知らないよー?」
「言ったな。これは楽しみっすねえ!」
社長の田中はリング脇に設置していたビデオカメラを止めると、渡に頼み始めた。
「堺さーん、これ配信しちゃダメー? めちゃくちゃ再生数稼げると思うんだけど。出演料も出しますよ?」
「絶対ダメです。あくまでも飯田選手の対戦のための協力なんですから。他の人には見せずにちゃんと管理して、試合前には消してください」
「はい、残念です。……ねえ、エアさん、君やっぱりプロになりません? 女性でうちの飯田とやり合える選手なんていないですよ。間違いなく世界を狙えます」
「んー、いらない! アタシがいるのはご主人様の隣だから!」
「エア、よく言った」
「うううう、お、お姉様……頭が、脳が破壊されてしまいますわ……っ!」
「はぁ……惜しい。惜しいなあ」
(がっかりとしてるけど、本気で狙ってるならとっくにデビューしてるっしょ)
本気で惜しんでいる田中社長の気持ちには理解を示しながらも、飯田はエアがそれに同意することはない、とすでに見きっていた。
それに、おそらくエアが求めている戦いは、MMAのリングの上にはないのだということが、実際に戦って見てよくわかった。
エアの不意に動く視線や体の微妙な反応。
そして体を貫く殺気。
「本気でやれる日が、楽しみだなあ」
エアは日本の古武術のような。
どちらかと言えば、命すら賭けた戦いを求めている。
それは飯田が格闘技をする目的とは異なるものだ。
試合の結果、自分や対戦相手が命を失ってしまう恐れは許容できても、けっして積極的に命を賭けているわけではない。
それでも飯田は、エアと本気で戦う日が楽しみだった。
きっと見たことのない戦いの景色を、見せてくれるだろうから。
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なお後日。大晦日での試合結果は、開始直後に飯田選手のワン・ツーから繋いだハイキックによって、開始20秒で華麗なKO勝ちを決めます。
前のめりにリングに沈みピクリともしない、迫力あるダウンシーンでした。
ただ、あまりにも決着が早かったため、スパーリングの意味があったかは、判断に悩むところです。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。これからも頑張ります。
最後に、本日サポートいただいた方、ありがとうございました!
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