第五章 変化
第01話 飯田との再戦 前
冬になって、年末年始が近づいてきた。
クリスマスセールや歳末セールといったかきいれ時に、天王寺の各商店も販売に力を入れている。
色とりどりのネオンに照らされた夜の天王寺は、明るく美しい。
そういった街の様子とはまた別に、静かに盛り上がりを見せている場所があった。
天王寺駅のほど近くに店を構えるパーフェクトジムも、その一つだ。
格闘技は大晦日に大きな試合が組まれることが多く、テレビやネット配信も行われる。
それだけ多くの視聴者や観客動員が期待でき、選手の熱意も高い。
MMAでチャンピオンの座に輝く飯田選手もまた、ベルトのかかった目玉の試合の一つだ。
試合に向けて日々厳しいトレーニングを積んでいた。
前座として対戦する選手に、将来プロ入りを目指す練習生。
ジムには多くの選手が汗を流し、真剣な空気が漂っている。
そんなパーフェクトジムに、陽気な女の声が鳴り響いた。
「イイダー、勝負にきたぞー! かんばんよこせー!」
「こ、こら、エア。失礼だぞ。すみません、こいつ、意味分かってないんです」
「およ? 失礼だった? 間違っちった! ゴメンナサイ!」
「すみません、お姉様が申し訳ありません」
エアが玄関ドアを抜けるなり、よく響く声で道場破りを宣言したために、一気に注目を集めることになった。
明らかに日本人とは思えない外見、非常に美しい女性ということもあって、ジムに集まっている男たちの視線から険がとれる。
まあ外国人なら勘違いして言っても仕方ないよな。
代わりにエアやクローシェたちといった美女を前に、視線が釘付けになっていた。
「前に来た女の子だ。やっぱ綺麗だな」
「二人ぐらい増えてない?」
「たしかに。やっぱり芸能人なんじゃない? 飯田選手の取材とか」
「あの男距離が近いんだよ。羨ましい」と以前の訪問を覚えている者も何人かいた。
ステラも増えて、ますます常時視線にさらされている渡は、もう気にすることなく、飯田と社長の田中に面会を求めた。
なお、変化の付与の装飾品がまだ用意できていないため、今回はステラに帽子とサングラスを装着してもらっている。
元々来訪は約束していたこともあって、渡たちはすぐに二階の個室に案内された。
「よく来てくれたっすね! 会いたかったっすよ」
「アタシも楽しみにしてた!」
「今日はお願いするっすよ!」
ゴン、と拳を打ち合わせる飯田とエアの姿には、以前に戦った者同士で通じ合う何かがあった。
久々の再開だと言うのに、すぐさま打ち解けた姿を見て、渡は少し嫉妬してしまった。
こっちは通じ合うどころか繋がり合ってるんだからな……!
などと心のなかで意味もない張り合いをしながら、トレーニングの量を増やすかと、真剣に検討を始める。
基礎筋力はついてきたが、格闘経験もセンスもない渡では、対戦相手として実ることはおそらく一生ないだろう。
それよりは寝技の練習をしたほうがまだリターンが大きい。
頭では理解しているのだが、一人の男として対戦相手に値しないのは、少しだけ悔しいのだった。
「じゃ、さっそくやるっすか!」
「うん。やろうやろう!」
そんな渡の前で、飯田はリングに飛び上って、エアを手招きした。
エアが動きやすいようにトレーニングウェアに着替える。
軽いアップを終えて、スパーリングの準備を整えた。
前回は尻尾を踏まれたことで痛い目に遭ったエアは、今はお腹周りにクルンと巻き付けている。即席のチャンピオンベルトだ。
MMAの二階級を制覇している飯田選手は、怪我から復帰後、さらなる成長期を迎えている。
神がかった、とも言われるKOを二試合続けていて、ほぼノーダメージ。
体の古傷が完全に回復し、自覚することなく抱えていたわずかな筋腱の負傷すらも良くなったことで、身体操作が以前よりも二回りは上達していた。
そして心身が最高のコンディションで取り組むトレーニングが、飯田をさらに良い選手へと育て上げた。
MMAは色々な団体が存在しているが、もはや同階級に敵はいないのでは、と目されている。
次の対戦も、統一王者になるためであり、下馬評では飯田の有利と目されていた。
減量とトレーニングで絞り込まれた体は、以前よりもボリュームもキレも磨かれ、肌艶も良さそうだ。
軽いジャブの動作一つでも、調子の良さが見て取れた。
大晦日では他団体のチャンピオンとベルトを賭けた大切な試合が待っている。
そんな飯田が、エアとスパーリングを希望したのが、今回の訪問の理由だった。
「お互いに怪我のないように」
「俺の相手が高速フットワークから、蹴りが主体で攻撃してくるスタイルなんすよ。今日はその辺りでお願いするっす」
「分かった。蹴りかあ。アタシもあれからMMAの動画いっぱい見て、勉強したんだよね。こんな感じ?」
ヒュオッと風切り音とともに、エアの長い脚が弧を描いた。
軸足がギュッと地面を掴んで、右の鋭いハイキック。
仮想した相手の頭に当たる前に急に角度を変えて、変則ミドルに繋がる。
そのまま勢いを殺さずに左足に力を込めて跳ね上がると、胴回し回転蹴りを見せた。
「うわー! やっぱやべえっすね!」
「さすがお姉様ですわ! 見ただけで即座に実践できる身体操作能力! それを可能にする力と柔軟性、バランス感覚! やはりお姉様は天才の中の天才! はぁ、はぁ……いけません、興奮してきましたわ……じゅるり」
「クローシェ、うるさい」
「しゅ、しゅみましぇんですわ……」
相変わらずエアに対しては理性を失うクローシェの姿に、渡たちだけでなく飯田や田中も苦笑を浮かべていた。
だが、飯田は気持ちを切り替えたのか、すぐに表情を真面目なものに変える。
「スパーリングパートナーがキツいって辞めちゃって困ってたんすよね。社長、ゴングお願いします」
「分かった」
「じゃあ、お願いするっすよ!」
「ニシシ、楽しみだなあ! イイダ! すぐ負けないでね!」
「言ったな!」
カン、と音が鳴り響いて。
グローブを軽く叩き合い、スパーリングが始まった。
その姿は遊びに本気になる子どものようだった。
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超久しぶりの飯田選手の登場。
一回こっきりの登場じゃなくて、今後も色々な人物を、もっと登場させていきたいですね。
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