第32話 ステラの気持ち 後

 視線を遮るように。わたしを悪意から守るように。

 主人が、奴隷を。

 そんなことが本当にありえるのでしょうか。あって良いのでしょうか。


 古エルフの店主の視線から遮られたことで、わたしはようやく深い呼吸を取り戻すことができました。

 気づけば、それまで事態を見守っていたエアさんとクローシェさんが、ワタル様の隣に立っていました。


 マリエルさんが、わたしの震える背中を撫でてくれます。


「彼女はもうエルフの一族に所属している者じゃない。あくまでも俺の奴隷だ。俺の大切なもの・・・・・に、失礼な物言いはやめてもらおう」

「はん、そいつぁ失礼したね」

「あなたにステラがどう見えているのか知らないが、彼女は俺にとって、魅力的な奴隷だ」

「あ、あなた様……」

「……フフフ、あっはっは! 本気で言ってるのかい!? こいつは物好きな者もいたもんだ! 目がおかしいんじゃないかい!?」

「初対面の相手にいきなり罵倒からはじめるとは程度が知れる。分かった! 枯れ枝が若木に嫉妬してるんだ」

「はあ、なんだって? 冗談も大概にしな。このワタシが?」

「ははーん、そうか。どれだけ食べても太れないし、肉がつかないから妬んでたんだ。納得した」

「そんなわけあるかい!」


 ニヤア、と意地悪そうに笑ったワタル様に、店主が怜悧な顔を真赤にして否定します。

 ですが、必死になって否定している時点で、すでに会話の主導権はワタル様が握られていたのでした。


「自分がどれだけ努力しても届かないって分かってるから、いきなり罵倒し始めたんだ。うわー、可哀想な人。もう年も年だからチャンスもありませんよね。その体じゃ仕方ないかなあ」

「あ、あんた……失礼なやつだねえ! ワタシたちエルフの美的感覚が分からないのかい」

「わかんないっていうか、自分たちの種族のローカルな価値観なんでしょ? っていうか、結局嫉妬してるの否定できてませんよね?」

「あんたの価値観を押し付けるんじゃないよ!」

「そっくりそのままお返しします。最初に自分の価値観でジャッジしたのはそちらですよね」

「ぐっ……!!」

「あらー、自分で言った言葉で追い詰められるのどんな気持ちです?」

「ぐぎぎぎ……! ああ言えばこう言うと悪戯妖精みたいなくちのへらない小僧だね」


 ワタル様は、古エルフの店主と一歩も退かずに話していました。

 それどころか老獪な古老のエルフに対して言い負かしています。

 信じられない光景でした。


 主人が一奴隷のために、必死になって怒っているのです。

 それも、わたしのような醜くどうしようもないエルフのなり損ないのために。


 ワタル様は不意に顔をわたしに向けました。

 とても怖い表情で、思わず気持ち悪さも悲しさも忘れて、姿勢を正してしまいます。


「ステラ、君も君だ」

「は、はい!」

「君の過去がどうだったか、俺は知らない。でも俺の奴隷になったからには、そんないじけた態度は止めてもらおう。君の考えるべきことは、エルフの一族への劣等感なんかじゃない。俺が君には価値があると、魅力があると言えば、その言葉を信じて実践するのが君の務めだ」

「も、申し訳ありませんでしたあっ!」


 ワタル様は怒っていました。

 店主にも、そして不甲斐ないわたしにも。


 わたしはこの時、初めて自分の主人であるワタル様が、本気で、本心でわたし自身に価値を認めてくださっていることに、気づいたのです。

 いえ、わたしがワタル様の言葉を、・・・・・・・・・・・・・まっすぐに信じることができた・・・・・・・・・・・・・・のです。


「良いか、この前も言ったのに、まだ心底は信じられないようだからもう一度言ってやる。君は魅力的なんだ。少なくとも、主人である俺にとっては。その俺の気持ちを裏切らないでくれ」

「肝に銘じます……。う、ううっ……、あ、ありがとうございます。そこまで、言ってくださって」


 本気の言葉に、胸が熱くなりました。

 じん、と痺れた熱さが胸から全身に広がって、気づけば、涙が浮かんでいました。

 とても、とても幸せな瞬間でした。


 わたしはまだまだ未熟で、時には思い悩むこともあるかもしれません。

 でも、エルフとして長い長い寿命の中で、この日の言葉をけっして忘れることはないでしょう。


 わたしの価値を本気で認め、信じてくれている方の信頼を裏切るわけにはいきません。


「と、とにかく、あんたの奴隷のエルフには売る品はないよ。この通でも、うちが断ったんだ。あんたたちに売る相手はいないだろうね」

「……それならそれで結構。自分の伝手を使って別の店で探すよ。こんな失礼な店よりよっぽど上等なものを買ってやる」

「できるもんかい」

「いいや、絶対に手に入れてみせるね。俺には自信があるよ」


 古エルフが里を出て商売をする時は、何世紀もその地に根を張り、強い地盤を作る。

 店の歴史と格を考えれば、アルフヘイムに逆らえる店がどれほどあるでしょうか。


 店主は絶大な信頼を持っているようでした。


「フン、うちの店の品揃えに勝てる店があるとは思えないけどねえ」

「長く生きてて世間の広さも知らないらしい」

「そこまで言うなら好きにしな」

「では失礼。マリエル、エア、クローシェ、それにステラ。帰るぞ」

「はい、ご主人様。失礼します」


 すぐに背を向けて、腹立たしそうに足音も高く店を去るワタル様に続いて、マリエルさんが一礼して続きます。

 そしてエアさんとクローシェさんが、恐ろしいまでの殺気を放って、店主を威嚇しました。


「口喧嘩ならともかく、アタシの主に手を出そうとしたら、その時は貴様がどれだけ偉くても、首を刎ねる。覚えておけ」

「わたくしも相手になりますわ。金虎族と黒狼族の力、味わってみます?」

「ふん、アタシは商売人さ。野蛮な喧嘩は止めておくよ……」


 古エルフの一員として相応の実力もあったのでしょうが、エアさんの殺気を前には為す術もない状態で、店主は虚勢を張りながらも、怯えていました。

 顔は青ざめ、びっしょりと冷や汗をかいて、目が落ち着かなく泳いでいます。

 わたしも長く戦場で戦いに身をおいていましたが、本当にとんでもない殺気でした。


 こんな恐ろしい武人が世にいたことを、わたしは初めて知ったのです。

 万全の状態でも、一対一なら戦いたくはありませんね。


 そして、そんな彼女が、ワタル様に忠誠を誓っていることが、なんだかとても素晴らしい、誇らしいことのように思えました。

 わたしの主人は、その忠誠に足る人物なのです、間違いなく。


 店主のわたしを見る目にも、嫌悪とは別に、怯えの色が混ざっていました。

 未だに苦手意識を払拭できたわけではなかったわたしですが、この時はその情けない表情を見て、内心では溜飲が下がる思いでした。

 エアさんとクローシェさんには、喝采をあげたい気持ちでいっぱいでした。




 こうして魔法使い通では目的の杖も触媒も手に入らなかったわたし達でした。

 ですが、代わりにワタル様の本心に気づくという、何物にも代えがたい大切な宝物を得ることができたのです。


 わたしのヒビ割れ粉々になっていた心が、ワタル様という信ずべき主を得たことで、新たな器が生まれました。


 ああ、この御恩を、信頼を、感謝を、どうやってお伝えし、報いればよいのでしょう!!

 これまでは演技半分で忠誠を示していましたが、今は一点の曇りもなく忠誠を捧げることができます。


 あらゆる艱難辛苦も、それがワタル様のためになるならば、わたしには褒美と同じです。

 死んでこいと言われれば喜んで戦場に突撃して死に花を咲かせ、尻を嘗めろと言われれば、喜んで嘗めましょう。

 ワタル様の為ならば、たとえ未来永劫、魂を龍の炎に焼かれ続けても後悔しないでしょう。


 ああ、ですが、本当に困ったことに、この時以来、わたしはワタル様の顔が直視できなくなってしまいました。

 心臓が早鐘を打ち、顔が赤くなってしまいます。

 目が合うだけで幸せで、頭の中が多幸感に溢れてしまうのです。


 朝の挨拶をするだけで嬉しく、ともに食事をするだけで感激し、ひとつ屋根の下で寝られるだけで、この上なく幸福です。


 お褒めの言葉をいただければ、それだけで全身が震え、涙ぐんでしまうようになりました。


 それと、なんだか体が火照って、つらいのです。

 薬効の検査のために媚薬を飲んだときの何倍も、体が火照って、色んなところが敏感になって、たまらなくなっています。


 こんなことは、この世に生まれてから初めての体験です。

 一体これはどうしたことでしょうか。



 ……わたしは、どうなってしまったんでしょう!?



――――――――――――――――――――

愉快な仲間たちの心の声を紹介するぜ!


渡(なんか最近ステラの様子が変わった気がするが、気のせいかなあ?)

エア(ステラがずっとアヘアヘしてて怖い……)

クローシェ(発情しながらガンギマリしてる……恐ろしいですわ)

マリエル(ご主人様に一度鎮めていただいたほうが良いのでは……?)


というわけで、錬金術の設備は整いながらも、肝心の魔法使いの装備は手に入らなかったステラ。

彼女の今後が(色んな意味で)心配ですね。


今月の限定公開では、マリエルが両親と会って、近況報告をしながら、夜の生活について赤裸々に話す、という内容です。

それに伴い、先月のモイーがエトガーにコレクション自慢されてどんな気持ちwwwってされる話を全体公開にしました。


次回、「山の管理人」お楽しみに。

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