第53話 モイーへの贈り物 前

 十一月一日、渡は異世界の南船町に来ていた。

 あれからバックとは冬用のスーツやコートといった衣装の仮縫いをしているが、完成にはまだほど遠い。

 日本でもずいぶんと涼しく、長袖が必要になってきたが、異世界はさらに冷え込むようだった。


 マリエルたちの衣装も布面積が増えて、肌の露出が減ってしまったことは残念だが、彼女たちは何を着てもスタイルと顔が良いから、なんとなくそれもファッションなのかな、と思ってしまう。

 渡はアドバイスをもらいつつ、日本で秋用にいくつか服を買った。

 あらためて集団で移動していると、多くの注目を集めてしまう。

 やはり一刻も早くクローシェの外見については対策が必要だろう。


「ここが、代官の屋敷か。大きいな」

「行政施設を兼ねていますからね。実際の居住区画はそれほど大きくないんですよ」

「そういうものか」

「はい。まあ、人と会って食事をしたりするのも仕事ですから、共用で使うスペースも多いんですけど……私の家みたいな領主だと、人が思うほど立派で豪奢な暮らしは全然なんですよね……」


 しみじみとした様子でマリエルが言った。

 王国でも有数の富裕貴族であるモイーと違って、マリエルは没落するほど生活に苦しんでいた貴族だ。

 平民が想像するような悠々自適な夢のある暮らしではなかっただろう。


 いつか来ることになるだろうと予感しながらも、今までは足が近づかなかった。

 できるだけ権力者とは距離を保っていないという思いが抜けなかったからだ。

 だが、モイーが領主となったからには、このまま挨拶せずにいるのは失礼に当たる。


「エア、クローシェ。警戒してくれるのは良いけど、あからさまな態度は避けてくれ」

「うん、大丈夫。アタシはその辺りちゃーんと分かってるからね。クローシェは知らないけど」

「お姉さま! わたくしだって大丈夫ですわ! むしろわたくし、お姉さまが失礼を働かないか、心配で心配で」

「ふふふ、言われてるぞ。エア」

「大丈夫だし! アタシだってふざけて良い時と悪い時の区別はつくし! っていうかさ、アタシはもう一度会ってるの。クローシェこそ貴族と会うの初めてなんじゃないの? 大丈夫? 挨拶の仕方とか分かる?」


 失礼極まりないと、エアがプンプンと怒る。

 たしかにエアは相手を選んでふざけているところがある。

 天真爛漫なようで、案外思慮深い。

 本能か知性かは別として、踏み込んではいけない境界をよく理解している。

 渡も今では理解できたため、その辺りの心配を本気ではしていなかった。


 〇


 新しい領主の誕生を祝おうと――あるいは顔を繋いで新たな可能性を得ようと、様々な人が面会を希望していたようだが、それ等の待ち人を飛ばして、渡たちは面会が叶った。

 事前に面会を希望していたとはいえ、優先して会えるのは御用商人として提供するものが認められたからだ。


「おお、ワタルか。王都以来だな。元気にしていたか?」

「はい。先日はありがとうございました。おかげでとても助かりました。あれから特に問題なく過ごせております」

「構わんよ」

「あの時の役人(アウグスト)からも良くしてもらいました」

「ああ。そのような者もいたな……」


 モイーにとってアウグストの興味は薄いようだ。

 世話になったが、モイーとの関係性とどちらが重要かと言われれば、モイーの方が明らかに重要だ。

 最低限の義理は果たしたと判断した渡は、本題に入ろうと思った。


「それで今日は何用だ。本当なら、じっくりと我の蒐集品を見せてやりたいのだが、我はこれでも忙しい。なにせ急いで視察を終えて王都に戻らねばならぬからな」

「話は聞きました。国府次卿になられたとか。御栄達おめでとうございます。先日のお礼を兼ねて、お祝いの品をお持ちしました」

「おおっ! そうか。それは楽しみだ。万華鏡はあれから見つかったのかね?」

「はい。職人に無理を言って、もう一つ作ってもらいました」

「左様か。迷惑をかけた。……ムフフフ。これこれ、この美しさよ」


 モイーは普段の言動は紳士的だし、見た目もオシャレで内面も外面も優れた人物だ。

 だが、渡から万華鏡を手に入れたモイーの顔はにちゃりと笑み崩れて、蒐集家特有の少し気持ちが悪い雰囲気が出ていた。

 万華鏡を覗き込み、悦に浸る姿は少年のようにも見える。


「まったく不思議よな。見れば見るほど違う形が現れて、一つとして同じ物はない。これはどこか国や町の姿にも通じる」


 一度手に入れながらも、手放さなければならなかったコレクション。

 対価として十分に地位や実益を得たとはいえ、それでも蒐集家としては、手放したくなかったのだろう。

 全身から喜色を漂わせていたモイーだが、渡たちの存在を思い出して、はっと我に返った。


「オホン。よくやってくれたな。後で褒美をやろう。我も万華卿などと呼ばれるようになったからには、元の逸品がなければ格好がつかないところだった」

「ありがとうございます。ご貴族様も大変な世界ですね」

「いや、よくやってくれたな」

「実は今日は、モイー卿にもう一つ、非常に珍しいものをお持ちしました」

「なんだとっ!? 万華鏡だけではなくか」

「はい。はるか遠い異国から取り寄せた、至高の酒器でございます」


 渡が取り出したのは、江戸切子と呼ばれるガラス杯だった。

 木箱に丁重に保管されていたそれを、ゆっくりと慎重な手つきで、テーブルに置く。

 コトン、と音を立てて、江戸切子が置かれ、室内の明かりをキラキラと反射した。


 テーブルの上に置かれた切子細工にモイーの目が見開かれ、血走った目で凝視し始めた。


「なんだあこの美しい入れ物は!?」

「これは――」

「待て! このドッシリとした重み、磨かれた表面の美しさ。まさかこれはガラス、か……?」

「ご名答です」

「しかしこの透明感はどうだ!? 一体どうやってこのような形に、色に、模様にできるのだ!? か、考えられん! なんという芸術だ……! す、素晴らしい……!!」


 異世界においてガラスはとても貴重品だ。

 その上、そのすべてが・・・・・・色付きガラス・・・・・・だった。


 まず透明なガラスという一点だけでもモイーの強烈な興味をひかせる上に、切子細工はその見た目も宝石を思わせる美しさがある。


 日本が世界に誇るガラス細工の一つ、切子細工は、特に江戸切子と薩摩切子の名が有名だ。

 江戸時代、日本にやってきたペリーも、切子ガラスには感嘆の息を漏らしたという。


「おおおおお、美しい……。ふつくしぃいいい……」


 長崎に伝わっていたガラス製法が大阪に持ち込まれたのは、江戸中期の一七〇〇年代中頃といわれている。

 その後、半世紀ほど後に江戸に伝わった製法は洗練され江戸切子発祥のもととなる。


「気に入っていただけたようですね」

「う、うむ。見るだけでなく、持って使ってみたいが良いか?」

「もちろんです」


 江戸切子の特徴は、V字カットと手磨きによって生まれる綺羅やかな光の反射と美しい輝きだ。

 飲み物を入れたときに底面の模様が側面に浮かびあがり、宝石のように美しく輝くさまは時に万華鏡・・・に例えられる。

 モイーに贈るのに相応しい品だった。


「むふっ……むふふふっ……フハハハハハ!!  これが我の物になるのか!!」

「お気に召したようで何よりです」

「ヌハハハハハハハ!!」

「あの……」

「ワーハッハハハハハ!」

「ちょっと」


 渡の声掛けも、失礼にならない程度にしかかけられない。

 モイーの部下たちは、また始まったよ、と諦めた態度で見守っているため、渡たちは落ち着くまで黙ってみているしかなかった。


 もうやだ。急に帰りたくなってきた。


――――――――――――――――――

少し長くなったので、前後に分かれます。

追記。天満切子を江戸切子に変えました。

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