第50話 小雪が感じた化粧品の効果

 テーブルの上に珈琲が置かれる。

 黒々とした液体の表面にはうっすらとオイルの光沢があった。


「すごくいい匂いね」

「今朝焙煎して、先ほど挽いたばかりの粉です。コーヒー豆を焙煎するときに、豆の粒の大きさをピンセットで撥ねて、揃えるんですよ」

「ものすごく手間がかかるんじゃありませんの?」

「本当は専業でやらないと儲けにならないんですけどね」


 渡は趣味だから、と笑った。

 芸能界でも仕事としてのスタンスを崩さない人もいれば、本当に芸能という世界が好きで楽しんでいる人もいる。

 渡の珈琲への情熱は、完全に趣味の好きで仕方がないという様子だった。


 いったいどんな味だろうか、と口に含むと、香りの豊かさに小雪は驚く。

 近年の流行である浅煎りとは違う、深煎りの濃い一杯だが、口当たりは驚くほどサッパリとしている。

 豆の持つ甘味が口に広がった後、わずかな酸味と苦さが順番にやってくる。

 小雪の端正な顔に笑みが浮かんだ。

 長年カメラに晒されて鍛えられた、見る者を魅了する完璧な笑顔だ。


「美味しい……」

「気に入っていただけて良かったです。実はちょっと不安だったんですよ。あくまでも仕事じゃなくて趣味ではじめたので」

「お店で出して十分通用する味だと思いますよ」

「それはそれで赤字になりそうです……」


 渡が苦笑しながら言った。

 一杯のコーヒーにどれだけ元手と手間がかかってるのだろうか。


「さて、そろそろ商品について紹介しましょうか」

「そうですね、お願いします。若井さんの喉が治ったのって、堺さんのおかげなんでしょう? 少しだけ期待してるの」

「ははは。効果は試してからのお楽しみということで。こちらですね」


 渡が取り出したのは、陶器のボトルだった。

 シンプルで非常に小さなもので、内容量は100mlほどしかない。

 碧流町でももっとも源泉に近いところの湯を特別な機械で濃縮したものだ。


「これが……?」

「そうですね。皴やシミ、そばかすなんかに非常に高い効果があります。肌の保水効果や質感なども変わるようです」

「これって、隣に座られてる二人も使っているんですか?」


 小雪は渡の左右に座るエアとクローシェを見た。

 二人とも海外でモデルをしていると聞いても驚かない美女揃いだ。

 若く美しく、シミ一つない綺麗な肌をしている。


「アタシも使ってるよ」

「お姉さま、使ってますよ、ですわ」

「つ、使ってますよ」

「あらあら、ご丁寧にありがとうございます」


 母国語ではないのだろうか。

 丁寧語になると、途端にたどたどしい話し方になったエアの話し方に、小雪は目を細めた。

 自分にもこんな若々しい素肌をしている時はあった。

 この化粧水を使うことで、本当にこんな肌が手に入るなら――。


「綾乃さんはこの商品の価格について聞いていますか?」

「ええ。百万円でしょう? たしかに化粧品には高級なものが多いけど、それでもちょっと常識外れな高さですよね。本当にその価値があるのかどうか、疑わしい気持ちもあるんです。ごめんなさいね、こんなことを言ってしまって」

「俺はこの商品の価値は十分値段に負けないだけあると思ってますが、いきなり信じるのも難しいと思います。だからこそ大手なんかは試供品を配ってるわけですし」


 渡は試供品は提供しないと言った。

 ばら撒くような売り方は一切せず、紹介で直接販売する方法にこだわった。

 そこに違和感を覚えないでもないが、詐欺とも思えない。

 もし騙す気なら、もっと逃げて足がつかない様にして当然だからだ。

 むしろ渡は素顔を晒し、自分の店に招いている。


「あの、言いにくいんですけど」

「なんですか?」

「綾乃さんの変化を、興味本位でネタにする人とか、うちの商品を紹介してほしいとかって話になるかと思うんですよ。ただ俺としてはまだ大きく販路を広げられる状況ではなくて、本当に信頼できる人だけに、紹介制で売りたいと思っています」

「ああ……整形したんじゃないか、とか。大丈夫ですよ。私慣れてますから、ああいう手合いの人たち」


 好き勝手なことを書いて飯の種にする下種な人たち。

 小雪が嫌悪感を滲ませながら言った。

 ただ、話の内容としては、渡の商品も相当に怪しかった。

 若井の紹介でなければ話を聞くこともなかっただろう。


「買う前提ででしたら、こちらの商品を試してもらっても問題ありません。事前にスマホで写真を撮っておいたり、左右どちらかだけ使って効果を試してもらうのが良いと思います。最初に使うとしたら、どこが良いとかありますか?」

「そうですね。……やっぱり目尻かな。顔をアップで映すことが多いから」


 撮影機材やモニターの技術の進歩にともない、今では毛穴すら映ってしまう。

 リアルタイムで画像処理が行われて修正してくれるような高級なビデオカメラもあるが、肌の荒れがそのまま出てしまうケースもあった。

 自分の老いは、誰よりも自分が知っている。


 テーブルには手鏡が用意されていたが、ビフォーアフターの証拠として、自分で写真を撮った。

 効果があれば良し。効果がなければ、お断りする良い理由になるだろうと、そんなことを考えた。


 小雪は誘われるままにボトルを取る。

 プラスチックなどと違って、ボトルは見た目よりもしっかりと、そして少し重かった。

 表面には読めないデザインで何かが描かれているが、化粧品のボトルには奇抜なデザインが描かれていることもあるため、気にしない。

 封を取り、手のひらに数滴垂らすと、それをそっと左目の周りへとあてがう。


 素肌がスポンジのように、それを吸い込んでいったのが分かった。

 同時に、肌のあたりにムズムズとした感覚が広がった。

 くすぐったいような、心地よいような不思議な感覚だった。


「うお……」

「どうかしました?」

「いえ、ご自身で確かめられた方が良いかと」

「そうですね。…………あら……」


 先に手鏡を見せられて、言葉をなくして、小雪がまじまじと自分の姿を見る。

 穴が開くほどに注視しているのは、先ほどまで気にしていた目尻だ。

 笑う時にくっきりと表れていた小皺がなくなっている。

 鏡に何か特殊な加工がされているのかもと、慌てて写真を撮ってみたが、変わらない。


 こんな。こんなことが本当に起きるのか。

 驚きだけでなく、じわじわじわじわと喜びが広がっていき、最初は小波のようだったそれが、やがて大津波になって小雪の心をさらっていった。


 急き立てられるようにボトルを掴むと、反対側にも押し当てる。

 すごい!

 なくなってる! 皴だけじゃない!

 シミもくすみも!


 額に、頬に、首筋に、手の甲に。

 まるで今すぐに使わなければ永遠にこの機会を失ってしまいかねない、と言わんばかりに、小雪は慌てて次々に気になっていた場所に、商品を使った。


 瞬き一つせずに自分の変わった姿を見つめる態度には鬼気迫るものがあったが、渡たちは何も言ずに見守っていた。


 一日にしてボトルの二割ほどが失われた頃、小雪は自分の変化をうっとりと見つめて、恍惚とした表情を浮かべていた。

 これほど透き通った肌は何時ぶりだろうか。


 シミも皴もくすみもない、もっちりと水分を含んだ艶々とした肌!

 気になっていたほうれい線もなくなり、たるみ始めていた頬は自然とリフトアップしている。


 美容整形とはまた違う肌そのものが若返った・・・・・・・・・・感覚!

 小雪は殺気すら感じさせるほどの真剣さで、購入の意図を口にした。


「……堺さん。私これ買います。リピートします。できれば今スペアもいただきたいのですけど」

「お、お買い上げありがとうございます」

「効果はどれぐらい続くんですか?」

「これから生活するうえでシミとかは、体の自然な変化として出てくると思いますが、変化自体は続きますよ。ただ状態をキープしたい場合は、月に一度ぐらい、気になる場所に使うと良いと思います」

「まあ……」


 シミやくすみは徐々に、少しずつ出てくるものだ。

 場合によってはこれ一本で一年ほど保つことも可能だろう。

 そう考えると、安すぎるぐらいだ。


「私、若井さんの顔を立てるために会いに来たけど、最初は話だけ聞いて、最後は断ろうかなって思ってたの」

「そうだったんですね」

「ええ。……でも、来て良かった。今ならもう一度高校生の役だってできるかも。なんちゃって!」


 自然とかもしだされた満面の笑みは、美女を毎日見ている渡ですら、同性であるマリエルたちですら、顔を赤くして魅了する。


 その後、秘密保持契約書を交わし、小雪は商品を三本購入した。

 それだけでなく、今後定期的に、優先的に商品を提供してもらうように約束を交わした。

 商品の品質が長期間保つなら、もっと大量に購入しているところだ。


 いずれこの化粧品はものすごく話題になるはずだ。

 万が一でも品切れで手に入らなくなる未来は絶対に避けたい。


 ああ、いい買い物をしたなあ。

 即決だったが、小雪の心はとても満たされていた。


――――――――――――――――――――

3500文字!

久々に分量多めでお送りしました。


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