第44話 仕立て屋と採寸

 仕立て屋の店は昼間にもかかわらず薄暗かった。

 密集した建物の距離が近すぎて、日光を遮ってしまうのだ。

 土壁は長年の汚れの蓄積で鮮やかな黄土色がくすんで見える。

 歴史を感じさせると言えば聞こえが良いが、実際はかなりの古ぼけた家だった。

 案内の少年は素早く門扉を叩くと、そのまま中に入った。


「バックさん! ウェルカム商会です。こちらのお客様の仕立てをよろしくお願いいたします!」

「ほっほっほ。よく来たね。こちらがお客さんかな?」

「はじめまして。お世話になります」


 出てきたのは猫背のキツイ初老の男性だった。

 薄手の長袖シャツにチョッキを着ている。

 穏やかな顔で、頭髪はやや薄いが、身だしなみはキッチリとしている。

 自分の服も当然仕立てているからか、姿勢が悪いにもかかわらず、恐ろしく様になっていた。


 その後ろには複数の職人がいて、縫製や鋏入れといった工程を黙々と取り組んでいた。


 店の中は沢山の丸めた布地が棚に刺さり、切られた生地が吊るされている。

 すでにほとんど完成しているものも多くあった。

 落ち着いた雰囲気なのに動きは素早く、皆が熟練した腕なのは雰囲気で理解できた。


「こちらのバックさんは町でも有数の職人で、マエストロと呼ばれる方です。それじゃあ僕はこれで失礼します! 良い服ができると良いですね!」

「案内ありがとう!」


 マリエルがチップに小銭を握らせてあげていた。

 これから店に帰ってまた働くのだろう。

 紹介を終えるとスタスタと足早に帰る見習の少年の姿は、元気いっぱいだ。


 バックはよいしょっ、と声を上げて椅子から立ち上がると、目を細めて渡たちを見た。


「さて、依頼人はあなたかな?」

「はい。冬物のスーツを作ってもらいたいんです。持参した布地があるんですけど、構いませんか?」

「ああ、希望があるなら見てみようか」

「エア、持ってきた布を出してくれ」

「はーい! おじさん、ちょっと失礼しまーす」

「ほっほ。元気なおなごじゃの」


 エアが袋から布を取り出した。

 地球で色々と調べた上で決めた布だ。

 テーブルに置かれたそれを、バックが真剣な目で見つめ、軽く手触りを確かめる。


「ふむ。珍しい布地だのう。染めは鮮やかな青。手触りは柔らかめだね。表面の光沢に色気があるねえ」

「藍色ですね。俺の故郷の織物です」

「長年この仕事をやってるが、初めて見る。だがいい布だ」


 渡が用意した布はウールのベネシャンと呼ばれるものだ。

 もともとはイタリアのベネチアから語源がきている。


 滑らかな光沢があって、柔らかめのふわっとした質感が特徴的だ。

 体にピタリと添わせるクラシカルなスタイルの現代よりも、布地をたっぷりと使って大きめに見せる、華やかかりしバブル期によく用いられた。


 バブル期の日本と異世界では感覚が似ているところがあった。

 無駄を削ぎ落すというよりも、その無駄もまた一つの豊かさや力の象徴と捉えている。


 渡の感覚からすれば色合いが派手なのだが、生地を調べている時にマリエルたちの意見を尊重した形だ。


 バックは初めて見るであろうベネシャン織りをじっくりと観察していた。

 その眼の鋭さは、この布地が異なる世界からの物だと見抜きそうで、渡は少しドキドキする。

 ただ、もし分かったとしても、それを率直に尋ねるようなことはしなかった。


「……よろしい。では採寸をしようか。仮縫いをして、その後に調整をするから、何度も通ってもらうことになるよ」

「分かりました。できるかぎり時間を作ります」

「で、誰のを作るのかな?」


 バックが渡の顔から、マリエル、エア、クローシェへと移る。

 今回は渡の服を作ってもらうわけだが、女性の服も作れるようだ。


「俺です。晩餐会なんかに参加するのを予定しています」

「うん。じゃあ失礼するよ」

「えっ、な、なんですか?」


 バックがそういうと、ペタペタと渡の体を触り始めた。

 突然の接触に驚いて目を見開くが、バックは落ち着いている。

 肩や胸、骨盤に太ももと全身のありとあらゆるところを触られた。


 敏感で普段触られることのない場所を遠慮なく触れ、確かめられて、これで年配の男性が真剣な態度でなければ突き飛ばしていただろう。

 あまりにもな反応を見せた渡に、マリエルからフォローが入った。


「ご主人様、メジャーじゃ分からないその人の骨格を確かめてるんですよ」

「こういうのって当たり前なの?」

「そうですね。女性の仕立てだと、女性の人が採寸しますけど……でも触られるのは一緒ですよ」

「ほっほ。お嬢さんがたの前だと言いづらいが、玉や竿まで触る職人やつもいるよ」

「本気で言ってます!?」

「本気も本気じゃよ」


 人間の体は左右対称のようで、実際には様々な部分が偏っている。

 そもそも臓器の数や位置が左右対称ではない上に、利き手や利き足の関係で発達具合にも差が出る。

 フルオーダーメイドはそういった着手のバランスに合わせた微調整を行うことで、抜群の着心地を実現させるのだ。


 バックから説明を受けて、まったく納得がいかなかったわけではない。

 ただ、知らない人間に突然触られる驚きと不快感に、渡は初めて痴漢される人の気持ちが分かった気がした。


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昨日更新できなかったので、土曜日ですが更新します!

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