第43話 職人通り
結局、蜘蛛族とアルラウネの生地が選ばれた。
蜘蛛族が吐き出す糸を紡いだ布は深めの黒に染められており、艶やかな光沢があり、手触りはサラサラと滑るようでありながら、恐ろしく強靭だった。
生半可な鋏や針では徹らず、渡が全力で引っ張っても裂けることがない。
見た目に美しく着て心地よいだけでなく、護衛を必要とする貴人や政治家、あるいは恐ろしい勢いで転倒することがあるバイクレーサーなどの職業人なら、喉から手が出るほどに欲しがる素材だ。
アルラウネは植物型の魔物だ。
その繊維は体の動きを全く妨げないうえ、寒暖から守るのに適しているらしい。
強靭な繊維であることは変わらず、防弾・防刃性能は折り紙つき。
こちらは明るいグレーに染められていて、華やかな宴会に向いてそうだった。
「主! 生地が決まったよ!」
「みんなよく選んでくれたな。ありがとう」
「今回は選ばれませんでしたが、私のお勧めしたバロメッツもとても良いものなんですよ」
「晩餐会なんかで利用することもあるかもしれないな。来年の冬に使うことがないか、考えてみるよ」
今回選ばれなかったマリエルが少しだけ不満そうに言うので、宥めた。
バロメッツは強靭さ、頑丈さでは劣るのだが、毛並みの滑らかさ、手触りや高級感のある光沢は一級品の素材だ。
エアとクローシェが渡の安全を第一に、そのうえで見た目を選んだのに比べ、マリエルは社交性を第一に考えたのだろう。
渡が今後有名になればなるほど、身の危険が及ぶ可能性も高くなる。
そんな理由で今回は、身を守れる素材が選ばれた。
今後もっと強靭なコートや、あるいは護身の効果のある優れた装身具が手に入れば、また着るものも変わってくるだろう。
そもそも渡としては、もっと気軽に安全を確保してほしいものだと、自身の影響を無視したことを考えていた。
「こちらの生地で仕立てられるのですね」
「あ、いえ。違います。これは持ち帰る予定です」
「はて、どういうことでしょう?」
ウィリアムが困惑したのもおかしな話ではない。
ただ、これらの生地は地球でスーツに仕立てるつもりだった。
こちらの世界で仕立てても、文化と相容れなければ意味がない。
「この生地は私の故郷で用いようと思います。こちらの国では、故郷の珍しい生地を持ってきたので、それを仕立ててもらおうかと」
「ほほう……? 興味がありますな。拝見させていただいても?」
「うーん。それは完成してからのお楽しみで」
「なんと。ずいぶんと焦らすのが上手ですな。そのように言われては無理強いはできませんが、気になるではありませんか!」
ウィリアムが身を乗り出すようにして興味を示してきたが、渡としては布地についてまで商売を広めるつもりは今のところなかった。
先に見せて興味を持てば、ウィリアムは必ず商人としてどのように売り出すか考えてしまうだろう。
それはできれば避けたかったのだ。
さて、仕立屋は地球産の布地をどう捉えてくれるだろうか。
期待と不安が入り混じって、会うのが楽しみでもあり、怖くもあった。
〇
クローシェは黒狼族という種族名からも分かるように、瞳や髪の毛が黒い。
骨盤や脚の長さは日本人離れしているとはいえ、その特徴的な色合いは日本人にはなじみ深いものだ。
クローシェには事前の約束の通り、ウェルカム商会で身の回りの物を購入した。
ちなみに肌着はマリエルとエアの強い勧めもあって、日本で購入している。
荷物がパンパンに詰まった袋をいくつも、クローシェは笑顔で持っている。
正月のバーゲンセールでまとめ買いしてしまった女性の有様だ。
かなりの重量になるはずだが、少しも重そうにしていないのは、やはり優れた身体能力があってのものだろう。
先日、戯れにクローシェと腕相撲をしてみたのだが、なすすべなく負けてしまった。
まったく勝てる気がしなかった。
その後、エアにも惨敗。
ヒト種であるマリエルとの対決ではかろうじて勝利を収められたものの、それ以来、渡はウェイトトレーニングを始めている。
「お客様、こちらです!」
「ありがとう。ゆっくり進んでもらって大丈夫だからね」
「かしこまりました!」
ウェルカム商会の見習いの少年が、きびきびと歩いて先導してくれている。
獣人の栗鼠族だという少年は背が低く、小学生のように見える。
ふっくらとした血色の良い頬が、ますます子どもらしく見えた。
南船町の職人区画は少し距離が離れているうえに、職人通りと呼ばれる細道は建物が乱立し、中にはすれ違うのも難しいような狭い道がある。
金槌や水音、火のパチパチと炭が弾ける音など、商業区画とはまた違う喧噪で満たされていた。
「いやあ、可愛らしい子だな」
「ご主人様、もしかしてそちらの趣味も……?」
「主……アタシたちじゃ満足できなかったの?」
「汚らわしいですわ……! 不潔ですわ!!」
「ち、違う違う!! 俺も大人になったから、子どもが頑張ってる姿を見ると微笑ましいねって感想だよ……って、なんだその目は。信じてないのか!?」
「……ウウン。チガウヨー」
「ワタシモゴ主人様ヲシンジテマス」
あからさまに不信感をあらわにする奴隷たちの軽口に、渡は激怒した。
今夜もまたたっぷりと思い知らせてやらねばならないと決心した。
渡は稚児趣味がわからぬ。
けれども奴隷の態度には人一倍に敏感であった。
青筋を浮かべる渡は、エアとクローシェが目くばせしたことに気づかなかった。
二人がそっと渡の姿を隠し、前後を固め、邪な目線と悪意から庇っていた。
職人街は狭く薄暗く、入り乱れている。
素晴らしい物品が次々と生み出される陰で、いくつもの悪意もまた生まれる場所だった。
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