第33話 新たな依頼
地球に帰還を果たして翌日、渡は事務室に入ると、ノートパソコンを起動させた。
王都に行く前に書き溜めていた返信は、昨晩送信だけはしていた。
深呼吸を繰り返して、心を落ち着かせる。
冷静だ、動揺することなく、冷静に受け止めよう。
メールが多く受信していることは、ほぼ間違いないことだろう。
忙しいのは喜ばしいが、同時に様々な初対面の人と出会い、大きな金額をやり取りするのは、それなりにメンタルに負担がかかる。
メールボックスの受信数が増えていくのを、片目をすがめながら、恐々と渡は見つめていた。
「うげ……」
「ご主人様はそのパソコンというのを見るたびに呻いていますね」
「正確には、届いたメールの数を見てなんだけどな」
メールの受信数は三十件を超えている。
仕事が忙しいのは良いことだが、慢性治療ポーションの量を考えると、対応が難しい。
南船町だけでなく、ゲートを利用して王都や碧流町の薬師ギルドを利用した方が良いかもしれない。
メールの誰も彼もが困っていて、助けを求めていた。
治るためなら大金もけっして惜しくない。
そういう人の求めには、できるかぎり応えたいと思った。
新たに受信したメールのタイトルを流し見していると、ふと覚えのある名前があった。
「んっ……!?」
「どうされましたか?」
「いや、若井
「歌手ですか」
「ああ。ハイトーンが物凄く綺麗な人で、三オクターブの美声で有名なんだよ。そうだ、マリエルも良かったら一度聞いてみるか?」
「はい、ぜひお願いします。こちらの方の歌にも興味があります」
「まあ、異世界の文化に馴染んでるマリエルが楽しめるかは分からないけど」
音楽は国を越えて広がる力がある。
マリエルも気に入ってくれると嬉しい。
サブスクリプションの配信サービスから、一番有名な曲を選ぶと、再生した。
短いイントロのすぐあとに、いきなり高音が響き渡る。
四分ほどのやや短めの曲の中で、hiEが何度も繰り返される。
男性ではプロの歌手でも綺麗に発声するのは厳しい。
特筆すべきは、満の声は高音とは思えないほどの低音部が確かで、力強いのに柔らかさすら感じさせられるところだ。
少しも苦しく感じさせない伸びやかな広がりがあって、聴いていて心地いい。
やっぱり名曲は何度聴いても素晴らしいな、とあらためて感動を覚える。
見ればマリエルも衝撃を受けたのか、口に手を当てて驚いていた。
曲を聴いて、昔の記憶が戻ってきた。
「俺さ、初めてこの人の曲を聴いた時、実は女性なんじゃないかって疑っちゃったんだよ。男にこんな綺麗な声出るかって」
「たしかに凄い人ですね……」
「ただ、この人怪我で喉を傷めてしまったみたいで、以前みたいに歌えなくなったんだって。その話を聞いた時には、神様は残酷なことをするって思ったよ。誰よりも美しい声を与えておきながら、それを奪うんだからさ」
「じゃあ、なおさらご主人様のポーションで、元の声を取り戻してあげないといけませんね」
「ああ、そうだな!」
マリエルに言われて、渡は自分の役割をあらためて思い出した。
そうだ、世の中には本当に優れた人がたくさんいる。
だというのに、不慮の事故や怪我、トラブルで思うように実力を発揮できず、苦しんでいる。
そういった人が一人でも元気になれば、世の中はもっと良い影響が生まれるだろう。
満の喉が治って、また歌いだせば、多くの人が復活を喜び、曲に酔いしれたり、元気を貰えるはずだ。
お金を稼ぎながら、世の中を今よりも良くできる。
そう考えると、ますます力を入れないといけないと思えた。
〇
さて、この満を紹介したのは、いつものように遠藤亮太だった。
満と亮太にどんな関係があるのか。また他のアスリートよりも先に満を紹介した意図はどこにあるのか。
いつものように、亮太に連絡を取ることにした。
できれば事前情報を集めておくのは、どの顧客が相手でも変わらない。
亮太は今は福岡にいるらしく、直接会うことは叶わなかったが、それでも時間を作って話を聞くことができた。
「お久しぶりです。時間をいただいてありがとうございます」
「若井さんの件だろ。俺からもよろしく頼むよ。あの人の全力の声を俺もまた聴きたいから」
「もうすぐペナントレースも終わりですよね。成績凄く良いみたいじゃないですか」
「ああ。首位打者争いに食い込んでるよ。まったくチケットやるって言ってるのに、全然見に来ないんだから」
不貞腐れたように亮太に言われて、渡は苦笑した。
ありがたい申し出なのは確かだが、同時に見に行く機会がなかなかない。
「俺も忙しいんですよ。昨日までまた日本を離れてたんですよ」
「マジか。まあ俺も渡のおかげで助かってるしな。頑張ってくれ」
「じゃあ今度、大阪のドームでやる時はチケットください。なんとか時間を作っていきます」
「分かった。三人分で良かったか?」
以前にマリエルとエアと食事を一緒にしたことを覚えてくれているのだろう。
ありがたい申し出だったが、今はクローシェがいる。
彼女だけ留守番にさせるのは可哀想だろう。
「……四人でお願いします」
「お前……まさか」
亮太の震える声を聞いて、渡は慌てて否定した。
「いえ、手は出してません! ただ、親戚の子を預かってて。どうせなら一緒に見せてあげたいなって――」
「今度渡にノック練習を体験させてやるよ。ちょっと強打するかもしれないけど、治してくれた薬もあるし大丈夫だろ」
「勘弁してくださいよ!」
「……なあ、良い子いたら紹介してくれよ」
「ちょっと約束はできないですけど。っていうか、そんなこと言ってて良いんですか?」
切実な声でお願いされたが、亮太がこの前、芸能人の女優と仲良くなったと個人名をぼかしながら、報告をくれていたはずだ。
その仲が進展すれば浮気騒ぎになる。
「よし、じゃあ若井さんのことを話そうか」
亮太が突然話を変えようとしたため、渡は思わず笑ってしまった。
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急に暑くなったり寒くなったりで体調を崩し気味です。
土日はほとんど寝て過ごしました。
皆様もお体にお気をつけください。
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