第29話 意外な再会

 役所の中はざわめきと静けさが同居した、不思議な雰囲気がある。

 待合の椅子に座った渡は、マリエルの手を握っていた。

 ほっそりとした長い指、触るといつもは柔らかく、暖かなそれが、今は氷のように冷たくなっている。


 自分の手のぬくもりを伝えるように渡はしっかりとマリエルの手を握る。

 そんな心遣いに、マリエルは恐縮していた。


「私のせいで不快な思いをさせてしまって、申し訳ありません」

「マリエルは悪くないよ。アイツの言い方、アタシ嫌い」

「そうですわ。両親と会いたいと願う気持ちをあのように扱うなんて」

「エアとクローシェの言うとおりだ。別にマリエルが何か問題を起こしたわけじゃない。それどころか奴隷になってまで借金を返済していたんだ、堂々としてれば良いさ」

「ありがとうございます……」


 役人からすれば面倒なだけなのだろうが、それでも物の言い方がある。

 あの役人は貴族に連なる一族なのだろうか。

 爵位を持たない次男三男が官吏として働くのは珍しいことではない。

 貴族になりたくてもなれなかった者からすれば、自分から領地を手放す貴族に悪感情を持っていてもおかしくはなかった。


 袖の下を渡したり、自分がモイー家の御用商人であることを伝えたりすれば、あるいは渡がもっと知名度や権力があれば、丁重にもてなされたのだろうか。

 どちらにせよ、マリエルが気にする必要はない。


「ようやく両親の足取りが分かるんだ。楽しみにしていよう」

「……ありがとうございます」

「たださ、実は俺、心配してることがあるんだ」

「ご主人様が心配を? いったい何をでしょうか?」

「いや、マリエルの両親と会う時には、俺が主人なわけじゃない。嫌な感情を持たれたらどうしようって……」

「そんな。大丈夫ですよ。もし誤解されても、私がちゃんと誤解を解きます。渡様はとても……素敵な人だって」

「そ、そうか……ありがとう」


 周りの邪魔にならないように、静かな声で話した。

 娘さんを俺にください、と両親に挨拶するわけではないが、渡にとってマリエルは奴隷であり、恋人のようでもありと、複雑な関係だ。

 これが肉体関係を持たないただの使用人としての扱いなら、もっと気軽に会えるのだが。


 渡の内心の不安を伝えると、マリエルはとんでもないと否定してくれた。

 そして、話の内容に注意がそれたことでマリエルの緊張がほぐれ、手も少しずつ温もりを取り戻していく。

 っていうか顔が真っ赤だな。

 それは渡も同じだった。顔が火照って、まともにマリエルを直視していられなかった。


「しかし遅いな……。こんなにもかかるものなのか?」

「私も利用するのは初めてですが、書類が見つからないのでしょうか」

「アタシ待つの疲れたー。クローシェ、あっち向いてホイしない?」

「よろしいですわよ。お姉さまが相手とは言え、負けませんけど」

「あっち向いて……ホォオオイ!」

「クッ、その手にはかかりませんわ!」


 エアとクローシェが小声で超高速フェイントを織り交ぜたじゃんけんとあっち向いてホイをやり始めるほどには、長い待ち時間が経過していた。




 役人が戻らず、少しずつ苛立たしさを感じていた時、思いもよらない人から声がかかった。

 モイー男爵だ。

 護衛の騎士だろう男が二人後ろについていた。

 エアとクローシェがそれとなく警護に戻るあたり、それなりの使い手なのだろう。


「むっ、ワタルではないか。こんなところで会うとは奇遇だな」

「モイー男爵!? これはお世話になっております」

「よいよい。我とお前の仲だ、もっと軽くせよ。それよりも万華鏡は良いぞ。あれは今社交界でも『変幻絵図』と呼ばれ、注目の的だ」

「そうですか。それは良かったです」


 意外なところで意外な人に出会った。

 モイーは渡に対してかなり好意的に捉えてくれているらしく、機嫌よく対応してくれている。

 この時、モイーは夜ごと晩餐会に招待され、その自慢の一品を披露して、自他の派閥を問わず、その影響力を増していた。

 派閥の波を泳ぎ切る貴族として、個人の蒐集家として、モイーにすれば、渡の貴重な商品はなんとしても押さえておきたい相手だった。


「しかしお前も忙しいやつだな。我が領地に来たかと思えば、王都にも出向いているとは」

「マリエルの両親について調べていまして」

「ああ、あの件か」

「それに忙しいのはモイー卿もでしょう。たしか、先日お会いした時は王都から帰ったばかりではありませんでしたか?」

「我の収集品を見せびらかしに来たのだ」


 モイーはお茶目にウインクなどしているが、実際はそれだけではないだろう。

 遊び惚けているなら領地運営などままならない。

 今もこうして役場に来ていることからも、忙しなく動き回っていることはたしかだ。


 渡とモイーが談笑している所に、先ほど受け付けていた役人が戻ってきた。

 憮然とした表情を浮かべていた彼だったが、渡に親し気に話すモイーに気付くと、目を見開いてあわあわとし始めた。


「失礼ですが、モイー卿はこちらの商人をご存じなのですか?」

「ああ。懇意にしておる御用商人だ。失礼のないように頼む」

「はっ! ははぁっ!」


 役人の顔色がみるみるうちに変わった。

 それだけで観察眼のあるモイーは、ある程度の事態を察しただろうが、十分に釘は刺したと見たのか、それ以上追及することはなかった。


 渡としても、やるべきことをこなしてくれているなら、別に特別扱いがされたいわけではない。

 それよりは今は折角会えたモイーとの縁を大切にしたかった。


「それでワタルよ。万華鏡はもう手に入らないのか」

「は、はい。畏れ多いことですが、あれは非常に珍しいもの故、非常に交渉にも苦心を重ねて、ようやく仕入れた逸品ですから……。どうかされたのですか?」

「うむ。他言無用とせよ。ただの杞憂であれば良いのだが……。陛下の悪い癖がでないか心配でな」

「国王陛下が、ですか?」

「そうだ。陛下の収集癖は我以上なのだ。召し上げようとなさる可能性がある」

「なるほど……」


 一国の王が、臣下の物を取り上げるとかありえるのか、と渡は思ったが、それ以上は何も言えなかった。

 異国どころか異世界の常識などまったく分からない。

 ただ、モイーが心配する程度にはあり得る話なのだろう。


 万華鏡は当然、日本でなら代わりはいくらでも手に入る。

 貴重性を持たせるためにもったいぶっているだけだ。


 渡は思案した後、とりあえず前向きに検討することにした。


「であるならば、手に入らないか、もう一度手を尽くしてみましょう」

「おおっ、左様か。面倒をかけるがよろしく頼む」

「ただ、確実なお約束はいたしかねます。ご容赦ください」

「ふうむ、仕方ないな。また珍しいものが手に入ったらぜひ声をかけよ。対価は用意する」

「分かりました」


 エアの宝剣も非常に高価なものだったようだし、十分な対価を支払ってくれるだろう。

 金銭も良いが、蒐集家ならではの、普通では手に入らないような希少品、あるいは何らかの便宜を希望しても良い。

 意外なところでの再会に渡は喜んだ。


「では、我はこれで失礼する。君、この者にくれぐれも失礼のないようにな」

「は、はいっ!!」


 颯爽とモイーがその場を離れたあと、役人が非常に緊張した様子で、結果を報告しはじめる。

 少し気の毒になる態度だったが、先ほどの失礼な目を忘れていない渡は、あえて優しくする必要性を覚えなかった。


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本当は昨日の更新をここまで続けたかったのですが、分割せざるを得なかった。

もうすぐモイーは前述にあった王様に「お前良いモノ持ってんな、寄こせよ」イベントが発生します。

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