第20話 マリエルの過去②

 マリエルがアイスコーヒーをゆっくりと口にし、その後ぽつぽつと話し始めた。

 エアの過去は軽く聞いたことがあるが、マリエルの事情について聞くのはこれが初めてだ。

 できるだけ落ち着いて、余計な口を挟まないように渡は気を付けた。

 言いづらいことを告白してくれているからこそ、こちらもそれ相応の利く態度を示したい。

 マリエルの視線はじっとグラスに注がれている。


「私の家は男爵家で、ハノーヴァー家を名乗っていました。建国以来長らく続いた、由緒ある家系だったんですよ」

「立派な家だったんだな。ちなみにどれぐらい古いんだ?」

「父の代で九代目、百六十年ぐらいだそうです。古いだけで爵位が上がることもない、田舎領主でしたけど」


 本当に古い家だな。

 建国からというからには、大昔に何らかの手柄を立てたのだろう。

 一代の在位が二十年弱というのは、長いのか短いのか、渡にはよく分からない。

 徳川幕府が十五代というから、九代目となれば非常に長い統治だな、と推測するぐらいだ。

 マリエルは本当に深窓の令嬢、お貴族様だったわけだ。


「辺境っていうからには、ここから遠いのか?」

「とても。王都から南東に遠く離れた場所ですよ。徒歩なら二週間は見ないといけないでしょうか」

「結構、いやかなりあるな。ちょっと帰郷しようって気軽には言えない距離だ」

「そうですね。大した娯楽もない、本当にド田舎もいいところです」


 マリエルが自嘲気味に頷いた。

 同じ首都で考えると東京から大阪でざっと四百キロ。

 一日の移動距離を四十キロで簡単に計算すると、二週間はそれを超える旅になる。

 マリエルの眼が故郷を思い出しているのか、遠くをぼんやりと見つめる。

 一体どんな領地なんだろうか。


「でも良い所です。夏は暑すぎず、冬は暖かな土地で、土地は肥えています。自然豊かで、川の水がとても綺麗で、水量もとっても豊富なんです。小麦が沢山採れて、収穫期には視界一面が金色模様に染まるんですよ。刈り入れの時は領主なのに父も母も収穫祭を楽しんで」

「聞く限りじゃ良い土地そうだけど、どうして没落してしまったんだ?」

「私のお爺様の代に、非常に大きなモンスター災害が起きたそうなんです。国から騎士団が派遣されるほどの規模だったと聞いています」


 声が沈んだ。

 記憶としては知らなくとも、話すのも嫌な話だろう。


「たくさんのたくさんの人が死んで、人も物もすごい被害が出たそうです。それで、ものすごい出費が必要になりました。自然が豊かということは、モンスターにとっても魅力的だったみたいですね」

「そんな厳しい過去があったんだな」

「その時に一掃されて、幸い父の代ではモンスターは滅多に出ないほど数を減らした平和な領地になったそうなんですが、非常に大きな負債を抱えてしまいました。父も母も頑張っていたんですが、返済が追いつかなくなってしまったというわけです。領地を国に返すことになり、借金の形として私は奴隷になって、ご主人様に買っていただきました」

「言いづらい過去を話してくれて、ありがとう」


 これで全部を言ったのか、マリエルの肩からふっと力が抜けた。

 持っていたグラスの氷が融けたのか、カランと音を立てる。

 渡は話を聞いて、考えていた。

 非情かもしれないが、コーヒーノキの量産に向いているのかという視点と、マリエルの気持ちを慮る視点は、渡の中で両立している。

 マリエルを幸せにするためにも、ビジネスの成功は欠かせない。


「いくつか質問したいことがあるが、構わないか?」

「私にお話しできることなら。すべてをお話しするつもりです」

「先にビジネスについて聞いておこう。マリエルはコーヒーノキを農園として経営してもらえると思うか?」

「小麦以外に収入を欲しがる農家もいると思いますし、今の領主が誰かは知りませんが、中央でお金になるなら興味を持つはずです」

「なるほど。なら頼んでみるのも手だな。その時にはマリエルにも頼むことになると思う」


 これで懸念材料の一つは片付いた。

 もし難しそうなら、それはそれで別の伝手を探すまでだ。

 モイー男爵に声をかけても良い。

 どこかしらに適性のある土地があるかもしれない。


「マリエルは王都で暮らしていたと言ってたが」

「大抵の貴族の子息は王都の学園に通います。勉学に励んで、顔を繋いで、領地に帰ったときに活かすためです。縁談相手を探したりもします」

「勉強だけじゃないんだな」

「私、領地経営に役立てようと思って、これでも真面目に頑張ってたんですよ?」

「分かるよ。優秀な奴隷を買えて、俺はとても助かってるから」

「そう思うと、まったくのムダではなかったんですね。フィーナっていう、とてもよくできた親友がいましたけど、どうしてるんでしょうねえ……」

「へえ。また会える機会があれば良いな。いつかその学園に行く日も来るかもしれない」


 元々望んでいた役立て方ではなかった。

 マリエルの微笑が寂しげなのは、本当は領主の一族として、家を援けたかったからだろう。

 だが、その学園生活を終える前に家が保たなかった。

 奴隷商人のマソーも教育を受けていたとは言っていたが、学園を卒業したとまでは保証していない。


「その、ご両親は元気にされているんだろうか?」

「どうでしょう。元貴族としての伝手を頼っているかもしれませんが、私には消息を辿ることはできませんでしたから」

「どうして黙ってたんだ? あ、いや。責めてるわけじゃない。知りたいなら力になるってことだ」

「私も知りたくなかったわけじゃないんですよ。でも、知るのが怖かったんです」

「怖かった?」


 はい、と頷く。

 渡なら何が何でも知りたいと願う。

 主人にそれとなく教えてもらえるように仕向けたかもしれない。


 だが、マリエルは一切そんな素振りを見せなかった。

 むしろ奉公を優先させている。

 今も渡が強く聞こうとしなかったら、話さなかったはずだ。


「私はご主人様に買っていただいて、貴族の頃よりもいい暮らしをさせてもらっています。父と母がもっと酷い生活をしていたらどうしようって、知るのが怖かった」

「俺に言ってくれたらいいじゃないか」

「そんな厚かましいこと言えません。奴隷は主人の役に立つために買われているのに、余計な負担をかけることになってしまいます。それなら知らない方が、まだ希望が持てました」


 ああ、と納得した。

 マリエルはとても責任感が強いのだ。

 奴隷に落ちたからと言って不貞腐れるのではなく、精一杯奴隷の義務を果たそうとする。


 どこまでもまっすぐで、その身分は堕ちたとしても、心の在りようは誇り高い。

 マリエルを見ているだけで、両親の育て方が良かったのが推測できる。


 だからこそ、渡は言わなければならなかった。

 誇り高き奴隷にふさわしい主人としての言葉を。

 気持ちに応えなければならない。


「見くびるなよ。いいか、マリエル。君の両親がどんな境遇であろうと、俺が力になってやる。せめて人並みの生活ができるようにしてやる。それぐらいできる甲斐性があるのは、お前も知ってるだろ?」

「……ありがとうございます。本当に良いんですか?」

「良いも悪いもあるもんか。俺に任せろ」

「ご主人様……。どうか、両親をよろしくお願いいたします」

「ああ」


 感極まったように頬を涙で濡らし、深々と頭を下げるマリエルの声は震えていた。

 この涙を、喜びの涙に変えてやりたいなと、渡は思った。

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