第19話 マリエルの過去①
あまりにも落ち込んだ声で言うものだから、渡は咄嗟にマリエルを抱きしめた。
宝石のような美しい瞳が驚きに揺れていた。
「ご、ご主人様? どうされましたか?」
「悪い。言いにくいのに無理に聞き出したな」
「い、いいえ! 私こそいつまでも過去を引きずってしまっていて申し訳ありません」
「謝らなくていい。俺が君の気持ちに土足で踏み込んだ。言いづらそうにしていた時に、もう少し理由を考えるべきだったな。悪い」
抱きしめながら、マリエルの背中を擦る。
体をガチガチに緊張させている。
とても華奢な背中だった。
マリエルは貴族として教育を受け、情緒も思考もとてもしっかりとして成熟した大人びている。
交渉術も含めれば、自分よりもよっぽど大人だと感じることもままあった。
それでもまだ二十歳前の少女でしかない。
年長者の渡がカバーしてあげなければならなかっただろう。
渡が謝ったことで、マリエルが狼狽えた。
抱きしめられていることに遠慮のような仕草を見せたので、渡はなおさら強く抱きしめる。
今のマリエルにはしっかりと抱きしめて、離さないことが大切に感じた。
マリエルが一瞬、泣きそうな表情を浮かべる。
わなわなと唇が震えて、なかなかうまく言葉が出ないようだった。
「ご、ごめんなさい。私、奴隷なのに、ご主人様に気を使わせてしまって」
「良いんだ。俺は君もエアも、ただの奴隷だと思ってない。俺の気持ちは伝えただろう?」
「は、はい……」
「落ち着いて話せるようになるまで、保留してもいい。なんだったら別にマリエルの領地でなくても良いんだ」
「主は無理やり話させるような人じゃないよ。マリエルも知ってるでしょ」
エアが横から口添えをしてくれたおかげで、マリエルの体からこわばりが解けた。
ストンと力が抜け、全身を渡に預けてくる。
その重みが今は嬉しかった。
心臓の音が響いてくる。
トクン、トクンという落ち着いた拍動が、マリエルの心境が安定し始めたのを物語っていた。
「いえ、話します。話させてください。私もご主人様に聞いてもらいたいです。……聞いてもらっていいですか?」
「ああ、もちろん。マリエルが構わないなら、ぜひ聞かせてくれ。俺はお前の話だったらなんだって耳を傾けるよ」
「ご主人様……」
マリエルが嬉しそうに笑って、渡の目を見つめた。
キラキラと輝く瞳がうっすらと潤んでいるように見えた。
頬が上気して、声に艶が混じる。
心臓の音が高鳴る。
「ただ……」
「ただ……?」
マリエルが不安そうな表情を浮かべたので、渡は苦笑した。
自分の心境に余裕がなくなって、周りがまったく見えなくなっていたらしい。
「さすがに往来でいつまでも抱き合っていられないから、一度ゆっくり話せる場所に移動しよう」
「~~~~っ!! は、恥ずかし……!」
「んふふ、主もマリエルもとっても情熱的だった。そのままちゅーするかと思った。ちゅー、ちゅー」
「おいおい、あんまりイジメてくれるな、エア。俺だってさすがにそこまで周りが見えてないわけじゃないさ。なあ、マリエル。……マリエル?」
「やだぁ……。消えたい。もう家に籠って出たくない……」
真っ赤な顔を手で覆ってもだえる姿に渡とエアは顔を見合わせて笑った。
道行く人々が興味深そうに視線を寄こすが、それも一時のことだ。
渡はマリエルの手を引いて、一度自宅へと連れ帰った。
そうでもなければ、マリエルはそのまましゃがみ込んでしまったかもしれない。
(やれやれ、爺さん婆さんの家に行くのが少し遅れそうだ)
ただ、マリエルの気持ちをカバーしないという手は考えられない。
一本連絡だけ入れておこうと渡は思った。
〇
自宅に帰るとすぐにエアコンを入れる。
少しずつ蒸し風呂状態だった部屋が冷えていく。
これからまた出るので、エアには外出の準備を頼んだ。
「ちょっとは落ち着いたか?」
「はい。ありがとうございます」
まだ恥ずかしさを引きずっているのか、どことなく上ずった声だったが、それでもずいぶんとマシになったほうだ。
先ほどまでは言語能力も幼稚園児並みに退化して、あうう、はずかしい、死にたい、などと呻き続けるばかりだったのだから。
今は大人しく椅子に座ってぼんやりとテーブルを見つめていた。
渡は珈琲を淹れながら、そんなマリエルの変化を楽しく思いながら見つめた。
こうして身じろぎしないと、西洋人形じみて見える。
あまりにも顔や体が整いすぎていて、見慣れた今でも、ふとした拍子に現実感を失ってしまいそうになる。
今は目の光も弱々しくなっているせいで、余計にそう思えた。
エアもさすがに哀れに思ったのか、いつものように揶揄うことはしない。
元々ほとんど終わっていた外泊準備の確認をすると、パソコンを立ち上げて動画を見始めた。
先日飯田選手が防衛に成功した試合があったのだが、エアが録画や解説動画を見たがるのだ。
自宅で珈琲を淹れながら、これが一杯で四十万円かと思うと不思議な気持ちになる。
とてもではないが、マトモな額とは思えない。
王家御用達の商人というのは凄いものだ。
渡は自宅ではネルドリップを使用している。
紙フィルターとの大きな違いは、珈琲の油分を多く含ませることができる点だ。
油に多くの香り成分が含まれる関係上、より豊かな香りを楽しむことができるし、味にもどこかまろやかさが加わる。
氷を敷き詰めたカップに濃い目に出した珈琲を注ぎ、シロップとミルクを手渡す。
マリエルは甘党なので、どちらも少し多めに使った。
「ほら、アイスコーヒーだ。飲むといい」
「いただきます。……美味しい」
「ふふん、これでも珈琲歴だけは長いんだ。まだまだマリエルには負けんぞ」
「すぐに追いつきます」
「どうだか。世界一のバリスタになるには、厳しい修業が必要になるぞ」
「覚悟の上です。ご主人様の舌を満足させるためには、どんな苦労も
「言ったな」
軽口をたたいて、沈んだ気持ちを解きほぐす。
マリエルもそんな渡の考えは十分に分かった上で、調子を合わせてきた。
硬い表情が少しずつほぐれて、微笑が戻ってくる。
(やっぱりマリエルは、笑顔でいる姿が魅力的だ)
(俺はもっとこの娘の笑顔が見ていたいなあ)
だからこそ、過去に触れるのにはためらいがあった。
「ご主人様はずっと私だけじゃなくてエアにも、奴隷になった過去について詳しく聞こうとはしませんでしたね」
「誰だって奴隷になんてなりたくないからな。深く聞けば嫌な記憶を思い出すことになるだろう」
「そうですね。……でも、私のことを知ってもらういい機会です。聞いてもらえますか?」
「ああ、君がそう言うなら」
マリエルがおずおずと、自分の過去について話し始めた。
――――――――――――――――
忙しすぎて話的には進展がなくて申し訳ない。
明日マリエルの過去が明らかに!?
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