EP2.儂は全能なり

 トマソンは今日も薄めた野菜のスープを作っていた。ガランの鍛冶場は国一番と噂されている筈だが、貧しい理由はただ一つ。御師様の偏屈さに他ならない。腕は立つが対話するのが面倒くさい。それが周知の事実であった。


 「はぁ、日用雑貨の修理依頼は途切れないけど、上客は中々、来店してくれないな。あの勇者様も行方不明になったらしいし」


 再度、深い溜め息を吐くトマソンの元にガランが姿を見せた。


 「腹減ったな。飯は出来たか?」

 「出来たも何も野菜と水入れて煮込むだけですから」


 この貧しい食事の腹いせでもぶつけるみたいに、トマソンはスープを注いだ皿を乱暴に机へ置いた。


 「貴重な飯だぞ、乱暴に扱うな。このスープの何処に不満があるというのだ?」

 「言わせて貰いますけど、修理仕事ばかりではスープすらも、口に入らなくなってしまいます。もっと、危機感を持って下さいよ」

 「何と! そんなに工房は危ういのか。それは知らんかった」


 何とかならないものかと、頭を捻り熟考するガランの姿を呆れた眼差しで見守る。すると何か思い至ったのか、ガランはトマソンの顔を見上げた。


 「食うのに困らなければ良いんだよな。なぁ、考えた事はあるか?」

 「一応聞きますが、その考えはなんでしょうね?」


 もはや、トマソンには不安しかしなかったが、ガランは自信ありげに頷く。


 「今作ったスープがあるだろ? それを今日食べる分の半分を明日食べる。その翌日には更に半分、と言った具合にすると食うのには困らなくなる。常に半分ずつ食べる訳だから、鍋の中のスープは永遠に無くなる事は無い」

 「流石は御師様です! ……なんて言うと思ったんですか? それだと、三日後くらいには一滴しか食べられませんよ。生きて行けませんよ」

 「やって見なければ分らんでは無いか」


 そんな会話から七日後――。


 ぐぅるるるぅぅぅぅぅぅ!! 工房内に響き渡る獣が唸るような音。床に倒れ込む二人の男がそこにはいた。


 「お、御師様。だ、だから言ったじゃ無いですか。生きて行けません、と……」

 「う、うむ。だが、数日分の食費は浮いたのでは……なかろうか?」

 「それは確かにそうですが、その分動く事もままならないので、仕事もしていません。どちらかと言うとマイナスです」


 野菜スープは二日目には殆ど無くなっていた。それもその筈である。元々、そんな事になる予定では無く量は作っていなかったのだ。三日目には匙一杯。四日目には匙の裏側についた水滴を。その頃から空腹の余り、槌を振るう事すらしていない。五日目にはとうとう寝て過ごした。そして現在に至る。


 「ああ、瞼が重くなってきた。こんな死に方あんまりだ。どうせなら、女の子といちゃいちゃしながら最後を迎えたかった」

 「ふむ。瞼を閉じるのを今日は半分に、明日は更に半分にすると――」

 「そんな訳ねぇだろ!」

 「なんだ。元気では無いか」

 「元気にもなるわ! ああ、もう。遊びは終わりです! 今から食材買ってきますから、食べたら仕事しますよ」


 いまだ寝そべっているガランを放って、トマソンは背中についた土埃を叩いて立上る。トマソンが玄関から出ようとした時だった。急に扉が開いたのである。開いた扉の先には見目麗しい少女の姿があった。蒼色の瞳に、腰まで伸ばした藍色の髪。どこか幼さを宿した少女にトマソンの心臓は貫かれた。


 「ど、ど、ど、ど~ちら様でしょうか?」


 半ば上擦った声に目の前の少女はくすりと微笑む。その仕草もまた可憐で何も入っていない腹にドストライクだった。


 「急な訪問で申し訳ありません。私はテレサと申します。教皇様の使いで【神殺しの剣】を研いで頂く為に参りました」

 (ああ、ここは天国なのだろうか。やっぱり、私はあの時に瞼を閉じ切ってしまっていたのでは無いか。いや、きっとそうに違いない。こんな触れたら壊れてしましまいそうな儚い少女が存在しているのが、何よりの証拠。うちのオッサンがモンスターの化身であれば、彼女は女神の生まれ変わりだ)

 「……? あ、あの? どうかなさいましたか?」

 「えっ? いえ、見惚れていただなんてそんな事は――」

 「いえ。後ろで倒れている方が、いらっしゃるようですが、どこが具合でも悪いのでしょうか?」


 テレサが目で訴える先にはガランの姿があった。今まで見せた事も無い俊敏な動きで、トマソンはガランに詰め寄る。テレサからは眼前のトマソンが突然消えたように見えた事だろう。


 (いつまで、寝転んでるんですか! 上客の仕事ですよ。しっかりして下さい)

 「ああ。先程から死んだ父と母が手招きしてくるんだ。ここは楽園だぞってな」

 「おい! しっかりしろ! あんたが二日目の深夜に、スープを追加で食べた事知ってんだぞ! なんで私より弱ってんだ!」


 無我夢中で御師様の両頬を叩く。トマソンは人が見ている事も憚らずに必死だった。そんな事情も知らないテレサには、青年が初老間際のオッサンを殴りつけている風にしか見えていなかった。


 そんなこんながあり。ガランの世話を甲斐甲斐しく行った結果、ガランは両頬を腫らせて元通り? になったのである。


 「で、これが【神殺しの剣】と言う訳ですな?」

 「その通りです。国一番の名工と名高いガラン殿であれば、研ぐ事は造作も無いだろうと教皇様の御考えです」

 「やりましたね御師様。教皇様の名指しの仕事ですよ」


 ガランは渡された剣を眺める。持ち手は至ってシンプルで特徴的なのは赤と黒が混ざった両刃の刀身だ。それは剣本来の姿では無く、大量の錆が浮き出ていたのだ。それを研いで綺麗にして欲しいというのが今回の依頼内容だった。


 「確かに研ぐ事は容易に出来るが……」

 「何か気になる事でも、あるのでしょうか?」


 不安そうな眼差しをガランに向けるテレサ。少し上目遣いで瞳が潤んでいる。トマソンはそんな彼女に見惚れつつも、話の流れに暗雲が立ち込めているのを逃さない。


 「いえ。何も気になる所はありません。そうですよね? 御師様?」

 「私はガラン殿に聞いているのです。年配に暴力を振るう方は黙っていて貰えますか?」


 彼女の冷徹な眼差しにトマソンは、先程の光景を思い出す。


 「いや! あれは違うんです」

 「何が違うと言うのですか? 私の目には無抵抗な人を増悪の感情で、殴りつけるあなたの姿がバッチリと映っていますよ! 暴力に訴える方は嫌いです」

 「違う! 誤解だ! 誤解なんだーーーー!」


 トマソンの恋は始まる前から終わりを告げていた。トマソンが崩れ行く様を横目にガランは咳払いをする。


 「【神殺しの剣】と名付けられているが、その神とは一体誰の事を差しているのだろうか?」

 (ああ、これはいつものやつだ。でも、私にはもうどうでも良い。好きにやってくれ)

 「それは我らが主神。全能なるカノン様の事です。自身が誤った道を歩んだ時に、我々人間が止められるように、と授けてくれた尊い剣なのです」

 「全能の神カノン様自身を……か」

 「それが何か?」


 ふんぬ、と顎に手を当てて考え込むガランに、小首を傾げて見守るテレサであった。


 「テレサ殿と申されたな。あなたは考えた事はあるだろうか?」

 (ああ、始まってしまった)

 「えっ? 何をですか?」

 「神とは何か? だ」

 「こう見えても私は司祭の一人です。良いでしょう、教えを授けましょう。全能神カノン様は世界を創――」

 「そこだ!!!」

 (御師様……言わせてあげようよ。わざわざ立ち上がってまで布教を説こうとしてくれたのに、見てよ彼女の顔を今にも泣きそうだ)

 「その、全能と言う部分が可笑しい」


 テレサは盛大に広げた手のやり場を失い、苛立った様子で椅子に座りなおす。


 「何が可笑しいと言うのですか!?」

 「全能の神であれば、こんな剣一本で止める事が果たして出来るだろうか?」

 「それはっ! 全能神カノン様が授けて下さったんだから間違いありません!」

 「なるほど。だとすれば全能神カノン様は自身の全能性をも凌ぐ、全能な剣を創ったという事になる。で、あれば。振るう者もまた全能という事になるな。儂は今、神にならん! 儂は全能なり!」


 ガランは天高々と剣を掲げ、神々しいまでの決め顔を見せつけた。


 (ちょっと! 御師様! 悪ふざけが過ぎますって! 下手すると異端審問に掛けられちゃいますって! 見て下さいよ。テレサさんプルプル震えてますよ)

 「冒涜するんですね? ええ、分かりましたよ。教皇様には伝えておきますから、必ず異端審問で裁きを下しますから!」

 (ほら、彼女の天使の顔が悪魔に変っちゃいましたよ。諫めて下さいよ)

 「落ち着きなさい、テレサ殿。どちらかと言うと……全能神カノン様を冒涜しているのは貴方達の方だ!!!」

 (なに煽ってんだ、てめぇ!!!)


 可憐な顔は見る影もなく、殺気に満ちた鋭い眼差しを向ける。


 「何を根拠にそんな事を?」

 「根拠はこの【神殺しの剣】だ。テレサ殿の言う伝承が本当だとして、この剣が存在する事により全能神カノン様の全能性が揺らぎかねない。にも拘わらず教会は賜わった物として【神殺しの剣】を手元に残し続けた。敬虔なる信徒であればこそ、全能性が揺らぐこの剣は廃棄するべきだったのだ! 全能神カノン様は貴方達を試していたに他ならない!」

 「!!! そんな! なんていう事でしょう。全能神カノン様を盲信するあまり私達は何て罪深い事を――」

 (えっ? 納得しちゃった? まぁ、筋は通ってるっちゃ通ってるのか?)

 「それを踏まえた上で、この【神殺しの剣】を研ぐ依頼はどうする?」


 テレサさんは深い悲しみにより涙ながらに首を振る。


 「いいえ。その必要はありません。今の話を一刻も早く教皇様に伝えなくてはなりません。一度持ち帰り判断を仰ぐ事にします」


 彼女は去り際に憑き物が取れた清らかな笑顔で帰っていった。


 ――数日後。


 「ちわーす。荷物届いてますよ。商品名は『剣』ですね。サイン、お願いしまーす」


 トマソンが受け取った剣は、あの日見た【神殺しの剣】だった。


 「御師様……。危ない物と一緒に大金が届いたんですけどぉ」

 「なるほどな。口止め料と処分費と言った所か。同封されている手紙にも後は宜しくと書いてあるわ」

 「どうするんですか? そこらへ捨てる訳にもいきませんし」

 「精錬して修理用の鉄にでもすれば良かろう」


 そう言って【神殺しの剣】を徐に溶解させ、溜まっていた修理の一部として使い始めた。鍋や木こりの手斧、包丁にハンマーへと分散されて行ったのだった。


 手紙には続きがあり、テレサさんは今回の信仰心の高さから司教の座に就いたらしい。


 その後、地方では神も唸ると評判の料理屋が出来たり、神々が住まう住宅と話題の建築屋が出来たそうだ。


 その話題はガランにとってどうでも良い事で、相も変わらず今日も槌を振るっている。

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とある鍛冶師のパラドクス 神村 涼 @kamira09

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