#1-3_otogiri_tobi/ 天地が回る(2)

 学校最寄りの店は避けた。校則で買い食いが禁止されている。皆が守っている校則ではないにせよ、告げ口などで発覚すると、教師に呼びだされて注意されるようだ。飛は平気だが、白玉はそうじゃないだろう。

 だとしたら、なぜ白玉はコンビニに行きたいなんて言いだしたのか。

 学校から十二、三分歩いて、見つけたコンビニに入る寸前、その疑問が浮かんだ。

 飛はドアを開けて、今まさにコンビニに足を踏み入れようとしていた。

 振り向くと、白玉はドアの前に敷いてあるマットを踏むことすらためらっているかのようだった。顎を少し引いて、肩に力が入っている。

「……入らないの?」

 飛はふだん自分にコンビニ禁止を課している。あくまでもそれは浪費を防止するためだ。どうしても必要な物があれば、学校帰りだろうと何だろうと、さっと入ってぱぱっと買ってしまう。躊躇なんかしない。たかがコンビニだ。

 白玉にとっては、たかがコンビニじゃなくて、されどコンビニ、なのだろうか。

「……は──いりま……す、よ?」

 ろれつが怪しいし、目が泳いでいる。明らかに白玉は緊張している。

 飛はいったんドアを閉めた。

「買い食い禁止だよね。校則で。気にしてるなら、やめとく?」

「いいえ」

 白玉はやけにはっきりと言いきって、飛を睨みつけた。厳密に言えば睨んでいるわけではないのかもしれないが、すごい目つきだ。真剣そのもの、というか。飛はちょっと怖かった。命が懸かっているわけでもあるまいし。本気すぎる。

「それじゃ……」

 飛はふたたびドアを開けてコンビニに入った。白玉もついてきたが、動きがぎこちない。見るからにカチコチだ。表情も硬い。険しすぎる。

「……大丈夫?」

「大丈夫」

 言葉少なだし、あからさまに様子がおかしい。女性の店員もいぶかしんでいる。

「初めて万引きしようとしてるヤツの挙動だぞ……」

 バクが言うと、白玉は首をぶるんと横に振った。

「そんな! 万引きなんて、わたしは決して」

「……白玉さん」

 飛は控えめにたしなめた。白玉は「はふっ」というような妙な音声を発して、レジのところにいる店員に目をやった。

 店員は横目で白玉を見ている。咳払いをした。白玉は完全に目をつけられている。無理もない。飛まで肩身が狭くなってきた。

「買うの? 何か」

「……飲み物を」

 蚊の鳴くような声だった。白玉はえらくしょんぼりしている。

 飛は白玉に向かって手をのばしかけ、慌てて引っこめた。

 今、飛は何をしようとしたのか。たぶん、缶やペットボトルの飲料が並んでいる棚まで、手を引いて白玉を連れてゆこうとした。

 そこまでする必要はない。あたりまえだ。白玉はよちよち歩きの幼児じゃない。

 ガラス扉付きの棚で飲み物を選んだ。白玉はぶどう味の炭酸飲料を迷わず手に取って、飛は一番安い麦茶にした。お金がもったいなかったが、飛なりに空気を読んだ。白玉にけちだと思われたくないという気持ちも少しあった。

 会計をすませて店を出ると、白玉は炭酸飲料のペットボトルを抱きしめて、ぎゅっと目をつぶった。

「……買っちゃった。ぶどう味」

「え? なんか……めずらしい商品? とかなの? そのジュース……?」

「たまに買うの。こっそりと、ごくたまに。よく知らないけれど、ロングセラーだと思います。ずっと売っているし」

「あぁ。そうなんだ」

「コンビニに入るのも、なんだかどきどきして。お祖父様やお祖母様にバレたら、絶対に叱られるので」

「……厳しいんだね。白玉さんのおじいちゃんとおばあちゃん」

「わたしのためを思って、厳しくしてくれているんです」

 白玉は微笑んでいた。でも、目を伏せている。笑っているのに、翳のある表情だった。

 両親じゃなくて、。きっと何か事情があるのだろう。

 気にならないわけじゃないが、どうしても知りたいとまでは思わない。他人に自分のことを話すのは面倒だ。飛もいちいち訊かれたくはない。

「どこかで飲む? ここだと、あれだし」

 白玉は飛の視線をしっかりと受け止めてうなずいた。

「はい」



 片側が石垣の坂道を上ると、左手に石段がある。石段の先は空き地だ。砂利が敷かれていて、錆びた高さ違いの鉄棒が三台、設置されている。本当に鉄棒しかない。それで、鉄棒公園と呼ばれている。

 飛は鉄棒公園の一番高い鉄棒に腰かけて、ペットボトルの麦茶を一口飲んだ。

 白玉は鉄棒の柱を背にして立っている。炭酸飲料のキャップを開けるか開けまいか、決めかねているようだ。

 もうけっこうな時間、迷っている。

 さっさと開けばいいのに。だいたい、迷うようなことだろうか。当然のことながら、キャップを開けないと炭酸飲料を飲むことはできない。飲みたいから、飲むために、買ってきたんじゃないのか。

 内心やきもきしながらも放っておいたら、白玉はとうとう意を決したようにキャップを開けた。ペットボトルに口をつける。目を閉じて炭酸飲料をちょっとだけ飲み、ぶるっと身を震わせた。

「……っ──」

 バクが何か言いかけて、やめた。飛も白玉に声をかけたくなったが、ここは黙って見守ることにした。

 白玉は丁寧にキャップを締め直した。肩を上下させて、ふぅっ……と、息をつく。

「おいしい」

「……うまかっただけかよ」

 バクが小声でツッコんだ。

 白玉は目を開けてペットボトルを掲げた。うっとりと見とれている。

「やっぱり、おいしいです。何度飲んでも」

「……よかったね」

 飛にはそれしか言えなかった。白玉が飛に笑顔を向けた。

「これで一ヶ月は戦えそうです」

「……戦うの?」

「はい──」

 白玉が首を横に振ると、長い髪がやけに揺れた。

「いえ! 戦うというのは物の喩えで」

「そんなに好きなんだ……」

「好き?」

 白玉は小首を傾げてまばたきをした。飛はなぜだか泡を食ってしまった。

「……や、だから、そのジュースが。好き……なんでしょ?」

「お祖母様から、果汁百パーセントのものを除く清涼飲料水、とくに炭酸飲料は、悪魔の飲み物だから口に入れないようにと、固く禁じられていて……」

「悪魔とはずいぶん大仰だな」

 バクが呆れたような口調で言うと、白玉は伏し目になった。

「体に悪いからと。お祖母様は健康によくないことが大嫌いなの。おかげでわたしはすくすくと育って、このとおり」

 バクは、ケッケケッ、と意地悪く笑った。

「しっかり隠れて飲んでんじゃねえか。悪魔の飲み物」

「んん……」

 白玉は大仰に顔をしかめた。

「ぐうの音も出ないです……」

 飛は麦茶をもう一口飲んでから、バクの中にペットボトルを突っこんだ。鉄棒を両手で掴み、後ろ方向にぐるんと一回転する。

「すごい!」

 途端に白玉が両目をいっぱいに見開いた。

「その技はたしか、地獄回り! ですよね!?」

「……かな。そんな名前だったかも」

「前にも回れる?」

「あぁ。前? できるけど──」

 飛は前向きに一回転してみせた。白玉はぴょんと跳ねた。

「天国回り!」

「……何回でも回れるけど」

「見たいです!」

「いいけど……」

 飛は後ろに三回、そのあと前に三回連続で回転した。

 白玉はぽかんとしている。

「わ、わたし……とても人間業とは思えないものを、見せつけられている……」

「……そんなたいしたあれじゃなくない? これくらい……」

「何だァ?」

 バクが、ゲヘッ、という感じの下品な笑い声を立てた。

「生意気にも照れてやがんのか、飛ィ?」

「はぁ? 照れてないし……」

「も、もしかして、もっとすごい技もできたり……?」

 白玉の瞳がきらきらと輝いている。瞳孔が開いているのだろうか。ずいぶん興奮しているようだ。そうとう期待されているらしい。

「……まあ、できるっちゃできるけど。積もる話があるんじゃなかったっけ」

「それは、あとで!」

 白玉は即答した。

 結局、飛はめちゃくちゃ回転しまくって、回っている最中に鉄棒から手を放して掴む離れ業まで披露する羽目になった。

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