天使は天界から出て行きたい!

ぽん

ルナは出て行くことにしたが……

「ねぇルナ、私決めた!」


 私は椅子から立ち上がり、メイドのルナに言う。


「今日で天界を出て行くことにするわ!」

「分かりました。では、今日中に荷物をまとめておきますね」


 少し間を開けて、ルナは応えた。

 歳が同じで、小さい時から一緒にいたからか、ルナとの関係は主人とメイドという関係よりかは、双子の姉と妹という関係に近い。メイドにしては少し砕けた口調なのは、そういった理由があるからだ。


「あれ? もしかして、あんまり驚いてない?」


 私は溜息をつきながら、椅子に座り直す。

 もっと驚くと思っていたのに、ルナは顔色一つ変えず、私の前に置いてあるティーカップに紅茶を注いでいる。


「そうですね。普段からこんな世界退屈だ! 早くどこか遠い世界に行きたい! と言っておられていましたので、そろそろかなと」

「えっ、私ってそんな頻繁に言ってたの?」

「1日の間に少なくとも24回程度は言っておられましたよ」

「1時間に1回ペース!? 無意識って怖っ……」


 心の声が漏れてしまっていたらしい。それも1時間に1回のペースで。


「あれって無意識だったんですか? 王族たちとの食事の席でも「ジジイ共はよくこんな娯楽も何もない世界で退屈せずにいられるわ」などと言っておられたので、私はてっきり天界へのあてつけか何かだと思っていました……」

「えっ、何そのエピソード!? 王族に向かってジジイ共って、無意識の私強すぎない? 反逆罪に問われてもおかしくないレベルの発言だよね?」

「ちなみにですが、ババア共とも言っておられましたよ」

「無意識の私がさらに罪を重ねていく……」

「でも大丈夫ですよ、ノア様。あの時の料理のセッティングは私が担当でしたので」


 そう言ってルナは私の前に座り、紅茶を啜る。

 どうやら、私に入れてくれたのではなかったらしい。図々しいにも程があるが、こんなの日常茶飯事なので、気にする程のことでもない。


「それくらい私も知ってるよ。それと私の罪が無関係ってことも」

「いえいえ、無関係なんてことはありませんよ。ノア様は関わることがまずないので、料理のセッティングについて詳しく知らないと思いますが、セッティング中というのは1人になる機会も多いんです。なので、王族たちの料理に睡眠薬や毒なんかを盛ることも簡単にできるんですよ」


 ルナは天使が絶対にしないような、小悪魔のような笑みを浮かべる。セミロングの髪と同じ、薄水色の瞳が濁ったように見えるのは、多分そのせいだろう。


「てことはまさか、王族たちの料理に毒を盛ったってこと?」

「いえ、そんなことはしていませんが、お酒には少し細工をしました」


 さっきまで浮かべていた笑みが嘘かのように、普段の表情に戻った。

 笑ってしまいそうになるから急にスンとしないで欲しい。


「細工って、毒でも混ぜたの?」

「いえ、あの食事の席で準備されていたお酒を全てアルコール度数の高いお酒にしておいただけです。なので、誰の記憶も残っていないと思いますよ」


 毒を盛っていなかったことに胸を撫で下ろしながらも、私は違和感を覚える。


「私の勘違いかもしれないけど、ひとつ聞いてもいい? もしかして、私が飲んでたお酒もそのお酒だったり――」

「します!」


 ルナは食い気味に応える。


「てことはそんなお酒飲ませたから、私が無意識のうちにそんな発言をしちゃったんじゃないの?」

「いえいえ、ノア様は食事が始まる前に言っておられましたので、関係ないと思いますよ」

「始まってすらなかった……」


 てことはもう私、確信犯じゃん。


「全員が揃って数分後くらいにはもう言っておられましたよ」

「私、よくその場で捕まらなかったな……」

「老人共は耳が遠いので、多分聞こえていなかったのでしょう」

「ルナも老人共って言っちゃうんだ」

「どうせ誰も聞いてませんので、心配ありません。もし聞かれたとしても、ノア様の命令と言うことにして、私は天界から逃げるのでご心配なく」

「解雇通知の作成を命じます」

「靴を舐めるのでお許しください」


 ルナは渡した解雇通知を空中で粉微塵にしてから、土下座をしたが、粉微塵になった解雇通知に驚きすぎて、へりくだっている図々しさ100点の美少女メイドの姿なんて目に入らない。


「え、今のそれ、どうやってやったの?」

「ノア様、それは企業秘密ですよ。き・ぎ・ょ・う・ひ・み・つ・」


 体勢を起こして、今度は悪戯な笑みを浮かべる。


「ルナって表情豊かだよね」


 思ったことをすぐ口にしてしまうのは私の悪い癖だ。


「そうですか? 私から見れば、ノア様の方が表情豊かだと思いますが」

「そう? 私、ほとんど笑ったりしないよ?」


 それこそ、急にスンってなった時に笑うか笑わないかくらいだと思う。


「あの時の食事の席でも、消毒用エタノールを飲みながら笑っておられましたよ」

「いやいやいや、ちょっと待って? 度数の高いお酒って消毒用エタノールだったの?」

「そうですよ。いい飲みっぷりでした! まあ私は飲んでませんが」

「いい飲みっぷりって、なんで止めてくれなかったの? 確か消毒用エタノールって不純物が入ってるから、飲んだら人体に良くなかった気がするんだけど……」

「でも、私たち天使ですし、きっと大丈夫ですよ! まあ私は飲んでませんが」

「天使は魔法が使えて、寿命が長いだけであって、体の構造は人間とほとんど同じだからね?」


 天使でも、ナイフで刺されたら死ぬし、毒を盛られても死ぬ。魔法で防いだり、治療したりできるから、確かに人間よりかは死ににくいけど、不死身というわけではない。


「でも別に、あの時から体調に変化があったとか、そういうことはないのですよね?」

「確かに体調に変化は無いけど……」

「なら大丈夫です! 何も心配ありません! 私が保証します! まあ私は飲んでませんが」


 ルナに保証されても、なんの説得力もないけど、別に何も起きていないので良しとしておく。

 そんなことよりも気になることがひとつ。


「まあ私は飲んでませんが、ってさっきからずっと言ってるけど、どうしてルナは飲まなかったの?」


 お酒が嫌いでないことは知っているし、王族たちとの食事の席だからと遠慮するような、一般的なメイドではないことも知っている。普通のメイドはそもそも、王族たちの食事の席で料理を作ることはあるが、食べることまずない。


「どうしてもなにも、消毒用エタノールなんて飲むわけないじゃないですか。だって消毒用ですよ? 飲んでいいわけないじゃないですか。毒みたいなもんですよ!」

「ルナは1回、殺天使未遂で捕まってきた方がいいと思うよ。いつか絶対誰か殺すから」


 私としても妹のようなルナに天使殺しなんてさせたくない。

 だって、そんなことしたら天界での私の印象絶対悪くなるもん。頭のおかしいメイドのせいで胃を痛めたくは無い。


「大丈夫ですよ、ノア様。殺すとしたら1人目はノア様にしますので、胃を痛める心配はありません。まあでも、その場合は胃どころか全身を痛めることになると思いますけどね」

「急に恐ろしいこと言わないでくれる? メイドに命狙われながら生活するとか絶対嫌なんだけど?」

「でも、退屈はしないと思いますよ」

「確かに退屈はしないと思うけど、下手したら死んじゃうからね?」

「天界での最高戦力とまで言われたノア様が死ぬなんて私には想像できません。なので、ノア様は不死身です」


 何故かメイドに勝手に不死身認定されてしまった。


「確かに最高戦力とか言われていた時期もあったけど、それって3000年くらい前の話であって、今はそんなに強くないからね?」

「確かに最近のノア様は部屋に引きこもって、お菓子を食べたりしかしていない、屑ニートですが、それでも強いのは確かです」

「ねえ今、屑ニートって言わなかった?」

「言ってません。栗きんとんって、言っただけです」

「それだと意味不明な文章になると思うけど、それはいいとして。そもそも私、戦いとか別に好きじゃないんだよね」


 昔は魔界との戦争があったから、戦っていたけど、その時も仕方なく戦っていただけで、戦いが好きというわけではなかった。

 やっぱり平和が一番だと思う。


「でしたらノア様は何が好きなのでしょうか? やっぱり金ですか? 金銀財宝ですか? 宝物庫の暗証番号は把握済みですよ」

「なんで暗証番号知ってるの? お母様から教えて貰った私しか知らないはずなんだけど?」

「時間を持て余していたので、100年くらいかけて気合いで解読しました」

「その忍耐力は認めてもいいけど、そんな時間あるなら、もっと有意義に使った方がいいと思うんだけど。あと、分かってると思うけど、中に入ってる財宝とか勝手に取ったら犯罪だからね?」

「そんなこと知ってますよ。ノア様は私がそんな犯罪なんてこと、すると思ってるのですか?」

「絶対すると思ってる」


 さっきの話を聞くまではそんなこと、全くといっていいほど思ってなかったけど。


「そうですか」


 ルナは寂しそうに呟いたかと思うと、「それはそうと」といつもの口調で続ける。


「さっきの話に戻りますが、ノア様は何が好きなのでしょうか?」

「何が好き――か。そうだね、強いて言えば平和な世界で、お菓子を食べたり、ルナと話したりできる今の生活が好きかな」

「さすがノア様。そんなクサイセリフをよく言えますね。私なら恥ずかしさのあまり、自殺したくなりますよ」


 ルナに言われ、自分が何を言ったのかを思い返して、恥ずかしさが込み上げてきた私は肩の下辺りから生えている翼で顔を覆う。


「まあでも、今の生活が好きというのは私もノア様と同じですが……」


 翼に遮られ、ルナの声がよく聞こえないので、翼の位置を元に戻す。


「よく聞こえなかったんだけど、今なんて言ったの?」

「今の生活が好きなのでしたら、わざわざ天界を出て行く必要など、ないのではないでしょうか? と言っただけです」


 テーブルの上にあった、お盆で顔を隠しながら、いつもの口調でルナは言う。


「それもそっか。なら、もう少し天界にいようかな。天使の寿命って無駄に長いもんね」


 私は椅子から立ち上がり、ルナに近づく。


「ルナ、顔真っ赤だよ」


 私はお盆を取り上げて、悪戯な笑みを浮かべた。

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