第44話

『頼光を守る』

それは今日まで菘が幾度も口にしてきた言葉。

彼女の本心を探りつつも、菘の方はいつでも本気の言葉だったのだと今になって知る。

「菘!もうよせ!下がっていろ!」

頼光は虎熊から菘を離そうとするが、菘本人の抵抗にあう。

「下がるのは頼光様です!こいつは、まだこれくらいじゃ倒せません!」

菘の言葉の通りに、虎熊は再び立ち上がろうとしていた。

その時、季武が張っていた結界にひびが入り始める。

酒呑童子の雷球を食らいすぎたのだ。

「まずい!伏せろ!」

季武が声を上げた瞬間、パリンパリンと音を立てて結界が飛散する。

風が舞って、煙が僅かに薄れると疲弊したような酒呑童子の姿。

「菘!もうやめろって!」

綱の声で振り向くと、菘が今度は腕と腹を斬って虎熊を羽交い締めにしている。

虎熊は明らかに弱って、酒呑童子も弱体化しているのが見て取れた。

倒せる。

頼光は綱を呼ぶ。

「綱!行くぞ!」

菘が流した血を無駄にするわけにはいかない。

弱体化したとはいえ、酒呑童子は強かった。

左右から上下から、浴びせる斬撃は当たっても浅い傷にしかならず、首と胸を狙う一撃はことごとく防がれる。

背後に回ると、カッと見開かれた背中の目が頼光たちを追っていた。

倒せぬことに焦りが生まれるが、それは酒呑童子も同様のようで、

「くっそーっ!もうまとめて焼いてやる!」

力を振り絞るように、一際大きな雷球を作る。

放たれたらそれこそ終わるが、バチバチと鳴る球には迂闊に近づけない。

頼光は懐の札に触れる。

最終手段のその呪符は地上の晴明の元へ転移できる、晴明の札の中でも高度なものだ。

使うべきは今か。

そう思って取りだそうとすると、酒呑童子の雷球が消滅した。

ぱっと虎熊に目をやれば、今度は季武が両腕を切り裂いている。

季武の血も浴びた虎熊はもうほとんど動かなくなっているが、その脇には菘も横たわっていた。

「くそーッッ!」

怒りが頂点に達したらしい酒呑童子、しかしその時頼光たちの背後に何かの気配。

目の端で捉えたのは、ガリガリに痩せた鬼だった。

「飛蝗ーっ!こんな時になんの用だぁっ!」

飛蝗という鬼は一瞬で高く跳ぶと酒呑童子の顔を覆う。

「離れろ!どういうつもりだ!」

飛蝗を引き剥がそうともがく酒呑童子。

今だ。

綱と視線を交わしつつ手振りで合図。

酒呑童子が飛蝗綱を引き離して放り投げると、綱が首、頼光が胸を突く。

「ぐっ···うぅぅッッ!」

酒呑童子の呻き声。

一度引いて頼光は一刀、酒呑童子の首をはねる。

それでもなお酒呑童子は目をギョロリと動かして頼光を睨んで来た。

「人間め···っ!人間めぇっ!」

恨み言を叫ぶ酒呑童子の胸を再び綱が突く。

もう一度、二度、三度目でようやく、酒呑童子は動かなくなった。

そして、気になるのは飛蝗。

ただ立っているだけで、殺意は感じない。注意は向けつつ、腰に提げた瓢箪に酒呑童子を吸わせると、頼光は菘と季武の元へ。

「菘!季武!」

虎熊の姿はなく、夥しい量の血の中で二人は倒れている。

季武の腕はまだどくどくと血が流れ、綱が止血を施しながら、頼光は札を取り出して息をふっとかけた。

一瞬の後には、晴明の目の前。

「無事か?」

急いで立ち上がる晴明に頼光は縋る。

「晴明様!菘と季武が動きません!」

晴明が菘の首や手に触れた。季武にも同様に触れる。

「季武は、大丈夫や。ただしすぐに医師に診せんと。菘は······あかんな。もう息をしとらん」

目の前が真っ暗になった。頼光はそんな錯覚に陥る。

「一体何があったんか聞きたいところやけど、季武が一刻を争う。まずは京に戻るで」

金時が急いで、荷車に菘と季武を乗せる。

「貞光、貞光!」

眠っている貞光を晴明が起こし、

「季武が血を流しすぎて危ない。すぐに戻って李鳳を起こしておいてくれ」

と早口で指示を出した。

「は、はい!···あれ、菘は?」

「もう死んでいるわ」

信じられぬように、貞光が固まる。

「貞光、後でちゃんと話すわ。頼む、今は都に行ってくれへんか」

晴明に呼ばれて我に返った貞光は頼光にも一礼して走り去って行った。

今度は晴明が隣にいた大鬼に頭を下げる。

「朝追殿、必ず後日参ります。後は頼みました」

「おう」

朝追という鬼は言葉少なにそう返事をした。そして何かに気づく。

「あれは、飛蝗じゃねえか」

朝追の視線は飛蝗に向けられた。頼光たちと一緒に転移してきたようだ。

「飛蝗?お知り合いですか?」

驚いた頼光は朝追にそう訊ねる。

「昔にな、酒呑にいたぶられているところを赫灼の兄貴に助けられていたんだよ。···今までどこにいやがったんだ?」

飛蝗はほんの少し頭を下げるといづこへと去って行った。

その後ろ姿に、何度も朝追が声をかける。しかし飛蝗は止まらず、頼光は静かに頭を下げたのだった。

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