第43話

菘が都にやって来て数日後に、晴明から一人で来いと呼ばれた。

雨がしとしとと降る夜。

いつも穏やかな笑みの晴明が、頭を抱え込むように眉を寄せている。

縁側に案内され、晴明の隣に座した頼光は呼ばれた理由を訊ねる前に庭に視線を向けた。

梧桐と牡丹の木が左右で対になるように配置され、若々しい葉が雨に濡れる。

寒くはないだろうかなどと考えていたら、晴明が口を開いた。

「菘は人食い鬼やぞ」

聞き間違いかと思った。

雨の音が声を紛れさせたのだろうと。

「晴明様、もう一度」

だからそう聞き返した。

しかし晴明の言葉は変わらない。

「菘は人食い鬼や」

晴明の言うことであれば間違いはないのであろう。

彼女の笑顔や振る舞いからは想像していなかった。

さらに晴明は続ける。

「どこかの鬼の子飼いかもしれへん。確証はない。可能性の一つや」

言われなければわからぬものだと、驚きはしたが晴明の見立てを否定するつもりはない。

なので、

「そうですか」

と短く返す頼光。

人食い鬼であるということは人に害為すことが多い。しかし例外がないわけでもない。

ただ、根拠乏しくその『例外』を期待して菘を都に置いておくことは晴明の立場上許されないことだろう。

ましてや、どこかの子飼いの鬼ということはなおのこと、よからぬ企てをしていると考えてよい。

頼光とて職務は都の警護。

みすみす、危険因子を見逃してはいけない。

それは分っているが。

「頼光。追い出せっちゅうことやない」

「え?」

頼光の悩みを察知したかのような晴明の一言。

思わず頼光は訊き返した。

「どういうことですか?」

晴明は茶を一口啜ると、

「綱はな、いつかちゃんとした仲間になれるんやないかと言うてた」

と話す。

綱らしい。

「季武の方はな、誰かの子飼いならむしろ泳がせた方がいいと」

こちらも頭の切れる季武らしい発想であった。

「頼光はどう思う?」

晴明は庭の梧桐と牡丹の木を眺めてそう訊ねて来る。

頼光は即答できない。

まだ十二の子ども。

感情で言えば綱に同意だ。

しかし最悪の状況も想定しなくては都の武官としては失格。

「俺は…。菘を手元に置いて注視するのが最善かと。仲間になるかどうか、それは過度に期待せずに。もしも」

あまり考えたくはないこと、頼光は一度言葉を切る。

「もしも、菘が俺たちに牙向くなら、俺が責任を持って菘を斬ります」

強い決意を持って、頼光はまっすぐに晴明を見た。

「そうか。そう決めていられるんやったら、ええわ。菘はお前に任せる」

ようやく、晴明の顔に笑顔が戻った。

その後で、

「お迎えが来ているようやで」

と晴明に促されて玄関を出る。

雨の中、綱に傘をさされて菘が立っていた。

明るい少女だと思っていた彼女の顔には陰りが見える。

「どうしたんだ?」

頼光が訊くと、菘の代わりに綱が答えた。

「自分のせいで頼光様が怒られると思ったみたいですよ」

率直なその言葉に反応したのは晴明だ。

「俺、そんな怖くないで…」

落ち込むような素振りを見せる晴明だが、実際鬼にしてみれば陰陽師は脅威なのだと季武から聞いたことがある。

ましてや晴明の能力は陰陽師の中でも格が違う。

幼い鬼が本能的に『怖い』と思うのも仕方がないのだろう。

頼光は屈んで視線を菘に合わせると、

「大丈夫。怒られてないよ」

と言って安心させてやる。

「本当に?」

「本当に」

晴明と頼光を交互に見て、菘はようやく安堵した様子。

「良かったぁ」

うっすら涙さえ滲ませて菘が笑う。

「ほな、もう暗いから急いで帰り」

皆で晴明に頭を下げ、すぐ近くの自邸へと歩く。

その間、菘はじっと頼光を見ていた。

「菘、俺の顔に何かついているのか」

そう訊くと菘は、

「頼光様って偉い人なの?」

といかにも子どもらしい問いをぶつけてくる。

屋敷の大きさ、綱や季武の頼光への振る舞いを見て、もしかしたらずっと気になっていたのかもしれない。

ただ、答えには困る。

天皇家の血を引いていて貴族であることに違いはないのだが、武官であるため地位は実は低い。

従者をつけられるくらいなのだから偉いのだろうという考えもある。

子どもにどう答えたらいいのか、頼光が詰まっていると綱が、

「頼光様はな、すうっごく偉い人なんだぞ」

などと吹き込んでいた。

盛るなと訂正する前に、菘の目はもう輝いてしまっている。

「頼光様ってすごいのね!」

その笑顔にむしろ罪悪感しか覚えない頼光。

「いや、あのな菘。すっごく偉いわけじゃないんだ」

考えた結果、

「ほんの少し、偉いだけ…」

と絞り出す。

しかし菘には大差がなかったよう。

「そしたらね、あたしも綱みたいに頼光様の『じゅうしゃ』になる」

「は?」

これには綱と頼光の声が重なった。

「季武もそうなんでしょ?どうしたらなれる?それとももう、あたしは『じゅうしゃ』なの?」

頼光は綱と顔を見合わせる。

一応頼光は、

「菘はまだ子どもだろう」

と言ってやんわりと拒否するが、菘は引き下がらない。

「じゃ、十三になったらいい?」

「良くない」

ぴしゃりとはねつけたのは綱。

菘の顔がみるみる不機嫌になった。

「じゃあどうしたらいいの!あたしだって綱みたいに頼光様のお役に立ちたい!」

大きな声で菘はそう主張する。

さらには、

「人間の頼光様はか弱いでしょ?だから守ってあげたいの!鬼のあたしの方が力も強いもん。木にだって登れるし」

と捲し立てた。

その言葉には綱が吹き出してしまう。

「いやお前、イノシシ前にして震えていたじゃん」

菘な真っ赤になり、

「たまたまだもん!もっと小さいのならあたしだって倒せる!」

そう嘘か真かの反論。

子どもらしいその姿に頼光の頬も緩んだ。

しかし、先の晴明との約束が頭を掠める。

『菘が俺たちに牙向くなら、俺が責任を持って菘を斬ります』

従者になるなら、ある程度の武芸は必須。

鬼なら上達は早いだろう。

ただ、菘に武器を覚えさせてよいものか。

晴明は任せると言ってくれたものの、そこは迷いが出る。

頼光の背中を後押ししたのは、綱の言葉だ。

「頼光様、少し武芸を仕込んでやっても良いのでは?」

菘の顔がまた輝く。

くるくるとよく変わる表情は悪鬼の類とは思われない。

「そうだな……。綱、指南してやってくれるか」

今はまだ、あどけない少女。本心を知る術は晴明さえ持たない。

ならばこの輝く笑顔を信じてみようか。

そう頼光は思ったのだ。

「やった!頼光様!頼光様は絶対、あたしが守るからね!」

菘は飛び上がらんほどに大喜び。

「言っておくけどな、弱っちいままじゃ従者になれねえぞ」

言葉とは反対に、綱の声も弾む。

「強くなればいいんでしょ!なるもん!そして頼光様を守るもんね!」

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