第40話

六年前のこと。

頼光が弓の腕を買われ、狩りの同行を請われることが増えた頃だ。季武はこの時にはもう従者として働いていたが、貞光はまだ晴明の屋敷で暮らしていた。

晴明の特命で怪し退治を始めたのも同時期で、ならば我もと頼光に頼んで綱も従者に加えてもらったという経緯がある。

その日も某氏に頼まれ、都の東に位置する大文字山へ頼光と季武、綱は狩りに出掛けた。

丸々と肥えた大イノシシが出るという話だった。仕留めた者は英雄間違いない。そんな某氏の思惑はさておき、大イノシシが人里で畑を荒らしたり人を怪我させてはなるまいと、頼光たちも大イノシシの探索に熱が入った。

しかし、人の気配を察知したのか大イノシシは見つからない。

どんどん山深く入ることになり、某氏は苛立ち始めた。

「おい、頼光。大イノシシがこの辺りにいるのではなかったか。どこにもいないではないか。早よ見つけろ」

横柄な某氏に頼光は反発するでもなく、むしろ申し訳なさそうに謝罪する。

「申し訳ございません。相手も狩られぬよう必死なのかもしれませぬ」

「ふん。噂ほどには大したことのない男よ」

自分は探しもせず言いたいことを言っているだけのくせに、偉そうに何様だ!

という感情が綱に沸き上がる。生憎、隠すのは苦手だ。

そして某氏に悟られる。

「なんだ、その目は。鬼のくせに。鬼ならば人の役に立てい。頼光よ、躾がなっとらん」

これはもうぶん殴ってもいいんじゃないかと、綱は拳を握り締めた。

その拳を頼光が制す。

「重ね重ね申し訳ございません。私の元に来て日が浅いゆえ、今後よく言い聞かせておきます」

どうにも納得がいかない。

頼光が頭を下げているのだから綱も頭を下げる。

全く関係のない季武も、主人に倣っていた。

協力してくれと言ったのは某だ。だから協力しているじゃないか。文句を言うとは何事か。

綱のことのみならず、頼光のことまで悪し様に言われては頭に血も昇ろうというもの。

怒鳴り付けたい気持ちをぐっと堪える。

頼光は怒ったりしないのか。穏やかなのが悪いとは思わないが、これではナメられよう。

しかし、頼光とて我慢の限界が来ていたと知ったのはその直後。

「言い聞かせておきますが、我々武官はこの国に暮らすみなの命を守るものであり、貴族一人の自尊心、虚栄心を守るものではございません。それから、鬼が人の役に立つべきなのではなく、他者に対しての思いやりと感謝の気持ちを持つべきは鬼も人も同様であるということを強く申し上げます。従いまして、先ほどの『鬼のくせに』『人の役に立て』というお言葉、撤回していただけぬのであればこのまま帰らせていただく所存でございますが」

饒舌に捲し立てる頼光に呆気に取られるのは某だけでない。綱も、静かに怒る頼光の気迫に圧倒される。

やがて、

「わ、分かった、取り消そう。だから引き続き、どうか頼む」

声を絞り出した某とはもはや視線も合わせず、黙々と大イノシシの探索に戻る。

綱は頼光の隣に駆け寄り、小声で謝罪した。

「申し訳ありませんでした。俺のせいで」

言い聞かせておく、と言っていたので、何か注意を受けると思っていた綱であるが、この後の頼光の言葉は予想外のものだった。

「不満を隠せぬなら、せめて背を向けるようにな」

微かに笑い、綱の肩を叩く頼光。

「···はい」

嬉しさに、綱は張り切る。自分の行い、振る舞いは頼光の評価にも繋がると実感すると、イノシシの探索にも力が入った。

しばらく経って、綱の耳に何やら動物の息づかいが聞こえた。

姿勢を低くして、茂みを掻き分ける。

「······でけえ。あいつか」

確かに丸くてでかい、間違いないだろう。

皆に知らせるため、その場を静かに離れる。

しかし頼光と季武に伝える前に、某に察知されてしまった。

「おい、見つけたのか!」

興奮気味に某が大声を上げる。

まずい、と思ってももう遅い。

けたたましい足音。

動物の荒い息。

大イノシシが某に向かって突進して来ている。

「ぎゃーっ!」

腰を抜かしている某、イノシシの牙を食らったらただではすまない。

綱は足元に転がる石をイノシシに向かって投げつけた。

「こっちに来い!」

幸いイノシシの気を引くことには成功。

しかし。

「キャーっ!」

今度は子どもの悲鳴だ。おそらく女児。

ただ、姿が見えない。

「どこだ!どこにいる!」

イノシシが追ってくるが、子どもも放ってはおけない。

「上!上ーっ!」

上?

前方、やや上を見ると、木の上で震えている女の子。しかも、額に角。鬼だ。

このままではイノシシが突進してしまう。

綱は走るのをやめて振り返り、イノシシに向かった。

イノシシは攻撃の直前、頭を下げて牙を振り上げる習性がある。

大イノシシが頭を下げた一瞬で、綱は大きな牙を掴んで体を持ち上げた。

「綱!」

丁度そこへ季武がやって来る。

「季武、外すなよ!」

綱が言い終える前に、もう季武は矢を放っていた。

大イノシシは矢を食らって動かなくなった。

そして樹上の少女に声をかける。

「おーい。もう大丈夫だぞ。降りて来られるか?」

少女は大きく頷くと、身軽に地上に降りた。

「一人か?お父さんとお母さんは?」

綱がそう訊くと少女は、

「いない」

と一言。

「どこから来た?」

この問いには、

「あっち」

と言って北を指差す。

「名前は?」

「菘」

イノシシが動かなくなったためか、菘に不安そうな表情はなくなっていた。

「綱、迷子か?」

季武がそう言うと、

「迷子じゃないよ」

と菘は笑う。

そこへ頼光が某を背負って綱たちのもとへやって来た。

「あっ、人間だ!どうしよう」

菘が何故か慌て出す。

「なんで?」

と綱が理由を訊ねると、

「あたしは鬼だから、人間と一緒にいちゃだめなの」

そう言って綱の後ろに隠れてしまった。

「菘、大丈夫だよ」

綱が優しく笑いかけると、菘は首を傾げる。

「頼光様、某様は俺が背負います」

季武が某を背負ったところで、綱が頼光の前に菘を出す。

菘は目をパチクリ瞬いていて、落ち着かなそうだ。

「頼光様。イノシシから逃げるようにそこに樹上におりました」

綱がそう言うと、

「鬼の子だね。迷子?」

と頼光からもさっきと同じ質問。菘が頬を膨らませる。

「違うってば。迷子になる歳じゃないよ。あたし、もう十二だもん」

「じゃあ、この辺に住んでいるとか?」

「住むところ変えながら色んな所行ってんの。楽しいよ」

頼光にそう話す菘の言葉に嘘はなさそう。しかしさきほどイノシシに脅えていた姿を見ると、不安や危険、恐怖と隣り合わせなのは間違いない。どうしたものかと、頼光にも困惑の表情が見て取れる。

当の菘は綱たちの顔をまじまじと見ていた。

「あなたたちはだあれ?お着物、キレイね!もしかしてきぞくって人?あれ?鬼はきぞくじゃないんだっけ?」

興味津々に綱や頼光たちを見つめる菘の眼差しは輝いている。

なので、

「すぐそこが京の都だ。一緒に行ってみるか」

綱のそんな誘いの言葉も自然といえよう。

「うん。行っていいの?あたし、鬼だよ」

頼光も、

「京の都は鬼もいるよ。安心しなさい」

と言って菘の手を引いた。

「頼光様、晴明様は祈祷のためお帰りがいつになるか分かりませんが」

季武がそう言う意味が分からなかった綱であるが、身元の分からぬ妖や鬼は晴明に一度会わせなくてはならないと後程知る。

「そうだった···。俺は明日から出張になるが、陰陽寮にいる晴明様には話をしておく。綱と季武で菘を会わせておいてくれないか」

「分かりました」

そういうわけで都にやってきた菘であるが、その翌日晴明の自宅に呼ばれると、

「あかんな」

と小声で綱と季武に話した。

その時菘は、晴明の屋敷の周りを貞光と一緒に散歩に行っていて不在。

綱と季武は当然驚く。

綱は言葉が出ず、季武が理由を訊ねた。

「何故ですか。まだ子どもです。害があるようには思えませんが」

「梧桐、牡丹」

晴明が呼ぶと男女の子どもが現れた。

「さっきのお姉ちゃん、どうやった?」

晴明の問いに、二人の顔が脅える。

そして小さな口を開いて言うには、

「怖い、怖い」

「人食べて来た。人の血の臭いがする」

だそう。

綱は季武と顔を見合わせた。

「この子らのは本能的なもんや。感情とちゃう。俺かてあの娘がとは思いたくないねん。せやけど、この二人が脅えるっちゅうことは、菘には何かある」

反論しようとする綱を季武が制止した。

「綱。晴明様のお立場をきちんと考えろ」

晴明は都を陰陽師として守る。天皇家や摂関家からの信頼もある。

『人食い鬼』を少女だからという理由や同情で見て見ぬ振りはできない。

「綱、季武。早い内に元の所へ送ってやるんやな」

晴明は溜め息とともにそう吐いた。

「はい」

季武はそう答えるが、綱の心はもやもやしたままだ。

「ただいま帰りましたー」

玄関の方から貞光と菘の声がする。

パタパタと足音が聞こえると、梧桐と牡丹はパッと消えてしまった。

「綱ー、季武ー!都って面白いね!」

無邪気に笑う菘。人食い鬼。

晴明や梧桐、牡丹を疑うわけではないのだが、どうしても結び付かない。

「菘、楽しかったみたいだな」

季武に聞かれた菘は満面の笑みで

「うん!」

と返す。

「じゃあ、明日の朝には元の所に戻れるか」

続けられた季武の言葉に菘の顔が曇った。

「菘、大丈夫だな。戻れるよな」

腰を低くして視線を合わせ、季武は確認するように訊ねる。

しかし菘は首を横に振った。

「もっといたい」

涙を堪えるように、菘の顔が歪む。

「綱も季武も、貞光だって、鬼なんでしょ?あたしはここにいちゃいけないの?なんで?」

誰も答えられずにいると、ついには菘は泣き出してしまった。

見かねた晴明がその頭を撫でる。

「鬼がここに長くおるにはな、審査があんねん。まず、人を喰わぬこと」

「食べなかったら、いていいの?」

「まあ、そうやな」

「じゃあ、もう食べない」

驚いた晴明が、

「食べたことあるんか?」

と訊くとあっさり、菘は頷く。

「うん。旅人さんでね、痛い痛いって言うから、痛い所を食べてあげたの。ありがとう、って言ってくれたんだけど、いけないことだった?」

そう認めた。一体どういう状況なのかよく分からないが、嘘を言っている様子でもない。

「ここやったらいけないことやな」

「じゃあもう食べない。約束する!」

まっすぐに晴明の目を見つめる菘。

晴明が困ったように頭を搔く。

そして、

「分かった。頼光の言うことちゃんと聞けるんやったらええよ」

「ありがとう!やったーっ!」

菘は嬉しそうに小躍りした後、

「ねえねえ貞光!もう一回散歩連れて行って!」

「はあ?なんで?」

貞光の腕を引っ張って再び外に行ってしまった。

貞光がいれば問題は起こさないだろうとは思うが、季武は複雑そうな顔で晴明に訊ねる。

「良いのですか」

「あまり良くはないねんけど、しゃあないわ」

「良くはないというのは、何故ですか」

そう訊くのは綱。人食い鬼であろうと、もう食べないと言っているのだから許容してやれぬものか。そう思ったのだ。

しかし晴明が気にしているのは違うことらしい。

「十二いうてたやろ。なんか引っ掛かんねん。京の周り、大江山とかも鬼の巣窟やし、一人っきりの鬼の子どもがそうフラフラしているもんやろか。どこかの鬼の息がかかった子飼いかもしれへん」

その可能性があるとは、綱には想像できなかった。大江山の鬼は特に粗暴、凶鬼であることが多いのは綱も知っている。

それを憂いてのことであれば、綱にはもう何も言えなくなった。

「それを考えたら、やっぱり都には置くわけにはいかん。何か、納得させる理由考えんと」

菘には可哀想ではあるが、仕方ないのかもしれない。

そう考えた綱だが、季武は思いもよらない提案をする。

「晴明様、敢えて泳がせるのはどうですか。まだ十二歳を送り込むということは、なにか長期的な企てかもしれません。菘を置いておくことで早めに察知できることも。もちろん、菘が誰かに送り込まれた確証も今はないですが」

「そうやなぁ」

晴明は考え込む。どうするのがこの都にとって最善か。

晴明の立場も慮るべきではあるが、ふと思い付いたことを綱は口にしてみる。

「あの。そうだとしても菘がいつか、本当に俺たちの仲間になることはないのでしょうか」

「なんやて?」

「まだ十二でしょう。こっちで楽しい思いして、美味いもの食ってたら、こっちの方がいいって思ってはくれないでしょうか」

再び考え込む晴明。絞り出した言葉は、

「······それを期待するのは、相当な賭けやで」

だった。


菘の動向を注視しながら星熊と戦う状況、心身の疲弊は想像以上だ。おそらく頼光と季武も同様だろう。

打破する方法、それはさっさと敵を倒すに限る。

とはいえ、星熊の刺股さばきは隙を見せない。

「おいおい、もう疲れたのかぁ!」

ではこちらからと言わんばかり。

その時、頼光と視線が合った。

武器を持つ手を、もう一方の手で叩いている。

『武器を奪え』の合図。

季武と、それに菘にも伝わっていた。

頼光と綱で『左右同時攻撃』。

菘のことはもう、ここに来て何もしないのなら信じるしかない。

綱は腹を括った。

綱と頼光で星熊の左右を取り、これまで通りの斬撃を続けて刺股を大きく振らせる。菘は星熊の正面、季武は背後でじっと待っている。

「おぉ?二人だけでいいのか?人間なんかじゃそろそろ腕上がらねえだろぉ」

星熊の挑発には乗らず、頼光と綱は太刀を止めない。その二人の太刀筋の合間を狙って、素早く季武が一矢放った。

「見えてんだよ!あほ!」

星熊の後頭部を狙った矢は刺股が跳ね上げる。

しかし、矢と同時に菘が地を蹴っていた。

鬼特有の素早さは、季武の矢の速さに等しい。

矢を弾いた刺股は菘の動きを捉える前に菘に掴まれ、菘の足は星熊の首を蹴る。

女性といえども鬼。刺股を奪われ星熊は地に転がった。

「てめえらぁっ、許さねえ!」

激昂した星熊、起き上がる前にトドメを。

弓から太刀に持ち変えた季武が星熊の首を狙った。

しかしそこは酒呑童子の側近ともいえる鬼なだけはある。

季武の太刀を掴むと、星熊は大きな口で季武に噛みつこうとした。

ただし、その星熊の行動も季武には想定の内だったようで、左手を自ら星熊の口に入れてしまう。

直後、星熊の口から煙。分身を出したのではない。

季武の鬼火だ。大きく燃やした鬼火が星熊の体を内部から焼く。

「ッッ!」

焦った星熊は季武の腕を噛み千切ろうとした。

「うぅっ!」

季武に食い込む星熊の大きな牙、痛みに季武は顔を歪める。

「季武!もうよせ!」

頼光が叫んで星熊の胴を斬ると、星熊の体は季武の鬼火に焼かれたのだった。

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