第36話
幻のはず。なのに熱波は本物のように肌で感じる。
熱すぎて上半身をあらわに、人間たちの救助を行い続ける金時、流れる汗も煩わしく額を腕で拭った。
「金時!あと二往復分だぞ!頑張れ!」
塀の上から貞光が叫ぶ。そんな彼も上の着物を脱ぎ、滝のような汗を流している。
あと、二往復。
腰に提げた瓢箪、中の水を一口飲もうとして既に空だったのを思い出した。
「保昌さん!水!」
保昌に予備の水を頼むと瓢箪が飛んでくる。一口飲むと、
「もうそれで最後です!」
と返って来る。想像以上の熱さについつい飲み過ぎていたようだ。
だが、あと二往復。
「金時!行けるか!」
「行く!」
貞光にもそう答えて、再び荷車を引こうとした時だった。
ズシン
と地が一瞬揺れる。
気のせいかと思ったが、もう一度、
ズシン、ズシン
一際大きく地鳴りがした。
「な、なんじゃ?」
地鳴りが鳴りやまず、救助した人間たちも悲鳴を上げる。
「金時!気を付けろ!保昌は人間たちを守れ!」
貞光が叫びながら保昌の所へ駆けて来た。
すると、保昌の馬に乗せていた槍を持ち出す。
なぜ地鳴りで槍なのか、理由はすぐに知れることになった。
辺りの木々が一斉に飛んだかと思うと、さっきまで貞光の立っていた塀に金時の体ほどもありそうな大玉がめり込んでいる。
「なんじゃ?あれは」
「でかい鬼が来てる!金熊だ!」
貞光の言葉の後で、その鬼がのっそりと姿を現した。
貞光は巨大な鬼を見上げ、
「おいおい、羅城門よりでかいんじゃねえか···?」
とぼやく。
確かに羅城門を見下ろしそうな身の丈、目はまん丸で三つ、それぞれ違う方向を見ているようで不気味だ。それに、耳まで裂けている大きな口。
鬼とは別の化け物にも見えるが頭には大小の角が六本。紛れもなく鬼。
貞光が金熊と呼んだ鬼は辺りの樹木をむしりとると、口に入れてむしゃむしゃと食み出した。
「なんや、雑食か?」
保昌も太刀を抜いて金熊を見据えている。
すると、金熊は頬を膨らませたかと思うと口をすぼめて何かを吐き出した。
鋭い速さで襲って来るそれはさきほど見た大玉。
「貞光さん、金熊っていうのは」
「金熊童子っていう、酒呑童子の子分!それ以上のことは知らねえ」
貞光の情報収集能力で知らないとなれば、実戦で知るしかない。
「金時、とにかくやっつけるしかねえぞ」
「そうじゃな」
金時も鉞を手に持ち、貞光は保昌に向かって叫ぶ。
「保昌、人間たちを守ってくれよ!」
「御意!この平井保昌、命に換えても守り通します!」
大きな保昌の声を聞いて、貞光と金時は金熊に向かった。
敢えて貞光とは距離を取って金熊の後ろに回る。
巨体ゆえに一つ一つの動きは遅い。
先ほどは木々を口に入れていたが、どうやらそれは単なる攻撃手段だったよう。
足元を貞光、金時が走れば、狙いを定めるように手が動く。
捕まれば握り潰されるであろう大きな手は、遅いとはいえ脅威だ。
金時は鉞、貞光は槍で手を払うも、このままでは埒が明かない。
「金時、オレが背中から首を斬る。こいつの気を引いていてくれ」
「わかった」
金時は金熊の手を狙って鉞を振るう。
貞光が背後に周り、鬼からは死角になったらしく、金熊の手は金時だけを狙って来た。
金時を捕まえようとして、金熊が屈む瞬間がある。
それを逃さず、貞光が敵の体を登りだした。
そして素早く首に到達、槍を突き立てようとする。
しかし。
突然、金熊の顔がぐるん、と背中側に反転したのだ。
裂けた大きな口が貞光に迫る。
「貞光さんっ!」
叫ぶと同時に、鬼の首目掛けて鉞を投げた金時。
鬼の両腕がごきごきと鳴って、これまた正面が変わる。その腕が鉞を防いだが、一瞬鬼の視線が逸れた時を狙って貞光が槍を口の中に突き刺した。
金熊の咆哮は凄まじく、貞光は振り落とされてしまう。
しかしそこはさすがの貞光で、空中でもうまく体勢を整えると無事に着地した。
金熊を見れば、全ての目が真っ赤に変じ、爛々と燃えているよう。
なにか嫌な予感を感じた金時だが、その予感は当たってしまう。
鬼が拳で、地面を手当たり次第に打ち出したのだ。
「金時!一度離れるぞ」
遅い動きは一変、素早い連打で地鳴りが大きくなる。
これでは近くの村にも影響が出てしまう。
それに、近くに救助した人たちもいた。
「貞光さん、助けた人たちをここから離さんと!」
鬼から離れながら貞光に叫ぶと、
「もう保昌が離していたぞ!」
ということらしい。
安堵するにはまだ早いが、一先ず安心する金時。
それを貞光に見透かされる。
「安心すんのはあいつ倒してからだからな!」
もちろんそれは分かる。分かるが、ではどう倒すか。
二人の姿が見えなくなったことで、再び木々を噛み、大玉にして吹き出していた。
目は赤いまま、その威力も増している。
そこへ、
「なんや、えらいでかい鬼が来よったな。あれ、金熊童子か」
小走りで晴明がやって来た。
「晴明様!」
貞光と金時の声が重なる。
「あの危険物が見えたからな。遅くなってすまん、足遅いねん」
まだ息を整えながら、晴明は一枚の札を取り出した。
「貞光、金時。どっちがええやろか」
なんのことか金時には分からない。なので、反応は貞光が速かった。
「僕が行きます!」
晴明と金時を見比べ、晴明は、
「そうやな。詳しい説明なしで行ける貞光がええわ」
と言って貞光の胸に札を張る。
札に手を翳したまま、何かの呪文を詠唱すると貞光の体が光り出した。
「分かっていると思うけど、時間かけるんやないで」
そう言って不思議な形の剣を貞光に渡している。実戦用というよりは宝剣という類のものではあるまいか。
それを受け取った貞光が地面を蹴り上げると、今までの比ではないくらいに高く跳び上がった。
「は、晴明様。あれは···?」
「俺が普段から使わせてもろてる式神の一人でな。
空中で自在に跳ねる貞光を目で追うと、金色の蛇が纏わりついているように見える。
飛ぶというよりは跳ぶといった様子で、貞光は襲って来る金熊の拳を躱していた。隙を見て腕を駆け上ると肩口から一発で腕を切り落としてしまう。
金熊の上げた雄叫びは怒りの色を帯びた。一層素早くなった動きで貞光を捕まえようとするが、勾陳とやらが憑依した貞光を捉えられない。
どころか、前後が反転する首や三つの目をもってしても、貞光を見失った様子。
それを貞光が見逃すはずもなく、金熊の首を一刀両断した。
「お見事じゃ···」
金時が感心していると、晴明が瓢箪を翳す。
すると金熊の体、首、腕が吸い込まれていった。
戻って来た貞光は息が上がっている。
「お疲れさん」
晴明が貞光の胸の札を剥がすと、貞光の体がふらついた。
「貞光さんっ!」
慌てて金時が支えるも、貞光は意識朦朧。
「さっきの勾陳憑依の副作用や。しばらく寝かせてやらんと」
「そ、そうなんか···」
今日のこれ以上の戦闘は出来ないかもしれない。
「せやからな、これは最終手段やったん。金時、捕まっている人間たちの救出はあとどれくらい残っとる?」
「あと、荷車で二往復です」
「場所は把握しとるな?」
「はい、もちろんです!」
「中に鬼はもうほとんどおらん、一人で行けるか?」
「行けます!」
金時は両の手で自身の頬をバチンと叩く。
「金時、俺は持ち場に戻る。保昌も戻って来るやろうし、後は任せるで」
「はい」
幸い金熊の大玉の被害を受けなかった荷車、それを引いて再び金時は走ったのだった。
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