第35話
気持ちが昂るとどうにも腹が減る。
腹は減るが、酒吞童子は食うのを我慢していた。
今頃地上は火の海らしい。その内逃げ遅れた哀れな鬼の焼死体がごろごろ出てくるであろう。
いや、焼けすぎは美味くないか。
そんなことを考えていたら口角が上がっていた。
「なんだよ、兄貴。いいことでもあったのか」
酒呑童子にそう訊ねて来るのは、大きな刺股を持ち、うねった角を持つ鬼。かなりの胴囲である。
「楽しみなんだよ、
星熊と呼ばれた鬼は酒呑童子の弟分。実際に血のつながりがあるわけではないが、人間より鬼を好んで食らうのは同じである。
その星熊は太い眉を寄せ、信じられぬと言った顔で瓢箪の酒を飲んだ。
「あの鼠、本当に大丈夫なのか?」
「なんだ、星熊。ここに人間が来られるとまずいのか」
「そうじゃねえ!」
「ならいいじゃねえか。生きたままの鬼を食らう好機よ」
人間の元に忍ばせている鼠、指示した通りにここまで来る間皆殺しにしてくれれば万々歳。失敗したとしても、自分と星熊、それと隅でじっと動かない
「なあ、虎熊」
虎熊も鬼食い鬼である。しかし肉はほとんど喰わずに、血を好んだ。そのせいで体は細く、赤黒い。でっぷりとした腹周りの星熊と対照的だ。
この虎熊がなんと答えるか。興味深く言葉を待つが、虎熊はじっとしたままだ。
「チッ!いけ好かねえ」
敢えて聞こえるように、星熊が悪態を吐く。
酒呑童子としては、鬼食いでありながらほとんど食わない虎熊のおかげで取り分が多くなることを期待したい。
「ところで星熊、人間の都までまだ到達しないのか」
「いやあ、だいぶ近づけたんだぜ。あとは下々の鬼どもにやらせりゃあ早えだろ。餌がわんさかいるってなったら、やる奴はいくらでもいる」
「それも、安倍晴明と源頼光という奴を食ってからな」
火攻めを企てていると聞いた時はさてどうしようかと思案させられたが、火攻めで死ぬような弱い鬼はそもそもいらんという結論に至った。
生き残った鬼で後はやるだけだ。
「けどよ、兄貴。安倍とかいう奴が手強いんだろ?どうするんだよ」
「だから、白榔を取り込んだのよ」
「はぁ?あの人間?」
「鼠を使って監視していたのは安倍の方よ。奴め、鬼や怪異には滅法強いが、人間には弱い」
だから安倍晴明という陰陽師と直接戦うのは避けることにしたのだ。
「人間たちが白榔を殺すことはまずない。適当な頃合いで頼光たちを通し、地下通路の一つから安倍晴明の所へ向かわせる」
念のためと造った地下通路は一つや二つではない。地上は火の海とて、塀の外に出ることは実は容易い。
何度も人間が調査に来ていることは知っている。
念入りに策を練ったつもりだろうが、こちらに筒抜けになっていればおそれるものはない。
酒呑童子は甕に入った酒を、柄杓でぐびりと飲んだ。
「それに外から
「金熊を呼んでたのかよ」
驚く星熊に、酒呑童子は笑う。
「こんな面白い催し、仲間外れなんて可哀想だろ?」
「大丈夫かよ」
「金熊が弱いとでも?」
「いや」
星熊は太い腕を組んでいかつい顔をしかめた。
「強すぎんだろ」
酒呑童子は気分よく、酒を甕ごと飲み干したのだった。
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