第31話
「よくもまあ、こんなころころと策を変えられるものよな」
酒呑童子は鼠が運んで来た文を握り潰した。
源頼光という人間がこの都にやって来る、それはもう不可避。
ならばその策を逆手にとって全滅させ、あわよくば京の都の人間を餌にしてしまえばその後の憂いはなくなる。
安倍晴明という男がいるせいでなかなか手が出せずにいたが、今人間たちの考えていることは手に取るように分かるのだ。
酒呑童子は地下の通路を通り、地上に出た。
実に久しぶりの地上だ。
太陽が高く、酒呑童子は目を細める。
それを見た官吏の鬼が駆け寄って来た。
深々と一礼した後、その鬼は
「どうかされましたか」
と恐縮気味に目を逸らしながら尋ねる。
少々苛立ちはするが、酒呑童子はしかたなく、溜め息混じりに訊いた。
「白榔という男を知っているか。行商の人間らしいが」
官吏は安堵したように答える。
「はい。西南の地区でよく見かけます」
西南の地区、とは赫灼童子の一派の残党が多い所。
そこに知り合いが多いのだろう、予想通りではあった。
「酒を持って来させろ。大量にな。ついでに、俺の所で呑んでいけとも伝えろ」
「はあ···。承知いたしましたが」
官吏は不思議そうな顔をしている。
「なんだ?」
「お知り合い···でございますか」
「いいや」
白榔は酒呑童子のことはろくに覚えていないであろう。
しかし、官吏が気にしたのは別のことにあった。
「あの、ご存知かと思いますが、人間を殺すのはご法度でございます」
酒呑童子が白榔を喰うとでも思ったのか、官吏らしく釘を指してくる。
酒呑童子は鼻で笑うと、官吏の肩をバンバンと叩いてそのまま地上の街を歩きだした。
面白くないものだ、と酒呑童子は思う。
人間なんていくらでもいる。
力だって鬼の方が強い。
何故人間を狩ってはいけないのか、理解に苦しむ。どうせ勝手に増えるのだから、好きにしていいではないか。罪人以外は殺すのを禁じたところで、酒呑童子と同じように考える鬼は年々増えている。もうそろそろ規律でも変えて良い頃ではなかろうか。
そんなことを考えていて、酒呑童子は足を止めた。
背中のちょうど真ん中にある目がかっと開く。見えるのは、長く鋭い爪を酒呑童子に襲わせようとする大鬼。
「やっと出て来やがったな、酒呑童子!」
なんの恨みがあるのか、心当たりは多すぎて分からないが酒呑童子は振り向き様に拳を振り上げた。
そして敵の鬼の攻撃をかわす瞬間に、顔を目掛けて振り落とす。
どっと倒れた敵はすぐに立ち上がり、腰の小太刀を抜くとめちゃくちゃともいえる振り方をした。
面倒な奴。
頭である酒呑童子に逆らうのは規律違反につき、酒呑童子の餌。
ということにしたいのは山々だが、そもそも鬼同士の諍いが規律違反である。
ならば殺してもよかろう。
そう思って酒呑童子は深く息を吐く。両の手のひらには一瞬で雷球が生成された。人頭三つ分はあろうかというその雷の球を、酒呑童子は小太刀に向かって投げた。
バリバリ音を立てて、雷は小太刀から鬼へと駆け巡る。
悲鳴すら上がらずに鬼は息絶えた。
当たりは騒然としている。
酒呑童子は倒れた鬼の腕をもぎ、ばくりとかぶりついた。
焼かれた鬼も美味い。
酒呑童子は、今度は足を掴み、肩に担ぎ上げる。
残りはねぐらでゆっくりと食おう。
命の危険もあるが、地上は予想外の餌にありつけるようだ。
酒呑童子の歩く先を鬼たちが避けて道を空ける。
なんとなく気分がよくなり、腰に提げた瓢箪に口を付けた。
ごくりごくりと喉を鳴らし、開けた道を歩く。
敢えてゆっくり歩き、逆らった者の末路を見せつけた。
すると騒ぎを聞き付けた野次馬の中に人間を見つける。
「お前、白榔か」
「……あぁ、そうだ」
睨み付けても眉一つ動かさない。さすがにここに商いに来るだけのことはあって肝が据わっている。
酒呑童子はニヤリと口角を上げた。
「後で官吏から話されると思うが、後日酒を持って来い。そして呑んで行け」
「······」
応答はなく、感情も読み取れない。
「返事はどうした」
「お前、何を企んでいる?」
酒呑童子を少しも信じないと言いたげな、挑発的な光が白榔の瞳に宿った。
だが、今は何も悟られるわけにはいかない。
「何も。なんだ、得意先が増えるのは不満か」
「···どれくらい持ってくればいい?甕で三つが限界だ」
「では、甕三つでいい」
「分かった」
それだけ短く答えて白榔は背を向けた。
「三日後でな」
そう注文をつける酒呑童子には視線で返事をする白榔。
小走りに駆ける先には荷車。
まだ甕が二つ乗った荷車を重そうに引いて行く。
その後ろ姿が滑稽で哀れで、今すぐにでも鬼に喰われた方が彼のためだとさえ感じたのだった。
三日後、罪人の鬼が引かれてくる大部屋に白榔はやって来た。
官吏に目隠しされた状態だったらしく、彼はそのまま大人しく酒呑童子を待っている。
「逃げずに来たか、白榔」
「逃げるわけねえだろ」
不機嫌そうな白榔に上機嫌な酒呑童子。
不機嫌な声音のまま、白榔は不満を呟く。
「荷を運んでもらえたのはいいとして、この目隠しなんだよ。」
酒呑童子が笑い声を立てながら、白榔の目を覆っている布を取ってやった。
「悪いな、誰にも道順を知られるんじゃねえと官吏どもに言ってあるんだ」
目が見えない状態で襲われることなど考えていないのか、肩の力が抜けたように目を瞬かせている。
「それより、なんで俺と飲む必要があんだよ」
白榔の態度は解せぬと言わんばかり。
無理もない。
酒呑童子は答えず、白榔には背を向けて甕の封を切る。
中から豊潤な酒の香りがする。
美味そうな酒だ。
「理由なんて要らねえだろ」
ようやくそう言いながら、酒呑童子は二つの盃に酒を満たす。
そして、自身の爪で手のひらを掻いて血を滲ませた。
それを数滴、酒に混ぜる。
鬼の血は動物を下僕にできる作用がある。文を運ぶ鼠も、潜り込ませている鬼の血を飲ませていた。人間に試すのは初めてだ。
普段鬼を喰っている酒呑童子、そこらの鬼よりも、血が強力に効くのではないかという期待はある。
飲ませることができれば、の話だが。
血を混ぜた方の盃を白榔に差し出した。
「ほら、乾杯だ」
白榔は素直に受け取ったものの、盃に口をつけようとしない。
「理由なんて要らねえ?そっちはそうでも、こっちは違う」
表情が乏しいと思っていた白榔に、苛立ちがこみ上げてくるのが見てとれた。
「今さら俺になんの用だ?あんたの邪魔しているつもりはねえんだが」
「なんだ、まだ何か疑っていんのか」
生意気な視線がむしろ心地よい。
酒呑童子は酒を飲み干すと、部屋の隅に転がっている罪人の鬼を引っ立てる。
小さく悲鳴を上げて震えているのを嘲笑いながら、手のひらに雷球を作り罪人にぶつけた。
断末魔を上げて息絶えた鬼の腕をもいで、それを酒呑童子は食らう。
白榔は黙ってそれを見ていた。
「最近は焼き鬼にハマった。食うか?」
「食うわけねえ」
「じゃあ飲めよ」
「···下戸なんだ」
見え透いた嘘。
鬼の血の作用を知っていると見ていい。
では何故ここにのこのこ来たのだろうか。
それをそのまま聞いてみる。
「酒も飲む気がねえならなんで来た」
白榔は黙った。
目的はあるはず。白榔が口を開くのをじっと待つ。
焼けた鬼の腕一本を食べ終えるころ、白榔が言葉を発した。
「あんたさあ、地下からほとんど出ねえそうじゃねえか。何をそんなに怖がっている」
酒呑童子は笑う。
「怖いんじゃねえよ、面倒くせえだけだ」
鬼を見れば喰いたくなる。しかし鬼同士の諍いは規律違反。こんなに『餌』があるのに、我慢しなければならないのなら、視界にいれぬ方がいい。
酒呑童子は白榔にそう説明する。
しかし。
「嘘だな。いや、嘘じゃねえにしても、それだけが理由じゃねえだろ」
断言する白榔。
「じゃあ、なんだっていうんだ」
「お前が昔から京にある人間の都に執着しているのは知っているんだ」
「へえ···で?」
「地下に籠って餌待っているだけか?野心家のあんたが?」
「何が言いたいのか分からねえな」
「地下通路でもせっせと掘っているのか。鬼は屈強だからな、そんぐらい何年もかかんなくてもできるだろ」
面白い奴だ。そして聡い。予想以上に。
「そうだとしても、お前に咎められるいわれはねえ。たとえ京中の人間が鬼の餌になったとしても、お前は守られる。そうだろ?」
「人間の都を脅かそうとしているのは認めるんだな?」
毅然とした態度は好感が持てる。
だから教えてやるのも悪くない。
「ああ、認めてやる。けどそれは、都からやってくる人間と鬼の討伐隊を返り討ちにしてからだ」
「討伐隊だと?本当にそんなのが来るのか」
「来る。確かな情報だ。なんなら日付まで」
「······」
何かを考えるように、白榔は目を伏せてしまう。
そして、酒呑童子は核心を訊ねた。
「人間のお前はどちらの味方をする?」
白榔はなおも答えない。
酒呑童子は盃にもう一杯。一気に飲み干すと、考え事をしているらしい白榔に近づいた。
一瞬の反応の遅れを酒呑童子は見逃さない。
白榔の目と鼻を片手で塞いで押し倒した。
人間の抵抗など酒呑童子にとってはないに等しい。
白榔に馬乗りになって低い声で囁く。
「赫灼の子なら鬼を守ってくれるよなぁ?」
そう脅すように言いながら、酒呑童子は爪で腕を掻いた。
血がボタボタと白榔の口を濡らす。
しかし白榔は口を固く閉じたまま。
鼻を塞ぐ手に力をこめると白榔の口が僅かに開いた。
そこに流し込むように、さらに腕の傷を広げる。
すると白榔は咳き込み、喉が鳴った。
その瞬間を狙ってさらに血を流し入れる。
白榔は苦しそうに体を捩るも、酒呑童子のされるまま。
実に気分が良い。
「こんなものか」
盃に一杯程度は飲ませられたかというころに、ようやく酒呑童子は白榔を解放した。
白榔は苦しそうに嗚咽を漏らしている。
さて、効果はいかほどか。
立てと念じてみる。
白榔はよろよろと立ち上がった。
偶然か、鬼の血の効果か。
「満足したか」
酒呑童子を睨み付ける白榔。
腰には太刀。
「ああ、気は済んだ。どうせなら一戦交えるか?速やかに帰ってもいいぞ」
口ではそう言いながら、ここに留まれと念じれば白榔はその場に腰を下ろす。
「どうした、帰らないのか」
返事の代わりに白榔は、憎悪に満ちた顔を酒呑童子に見せた。
「···下衆野郎め」
そい言い捨てる白榔の額は一部が盛り上がっている。
角が出て来るであろうそこを見て、堪えきれずに酒呑童子は高らかに笑い声を上げたのだった。
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