第29話

「どうせなら泊まっていってくださいな!」

美味い飯、美味い酒。

それだけ馳走になったら出ようとした綱を千景が引き留める。

あれよあれよという間に湯を浴びせられ、布団まで用意されてしまった。

となれば出て行きにくいのが人というもの。綱は鬼だが。

貞光の約束の刻限が迫っている。

しかたなしに、皆が寝静まった頃に出ようと綱は眠った振りを決め込む。

体を起こしていても眠くなる綱だ。寝た振りはつらい。非常にツラい。

それでもなんとか持ちこたえ、綱は体を起こした。

忍び足で外に出て、家に向かって一礼。

背を向けて駆け出そうとした時だった。

「おい、どこ行く気だ」

心臓が跳ね上がるように、綱は驚く。

振り向くと、白榔が腕を組んで立っているのだ。

「白榔···」

どう言い繕うか、頭は回らない。

口をぱくぱさせるだけの綱に白榔は大きな溜め息。

「悪い奴だとは、思えねえんだけど。俺、こういう勘は当たるし」

言いながら白榔はがしがしと頭をかきむしった。

「けど、引っ掛かるんだよ。お前、本当になんなんだ?」

なんと言えば良いか迷う。

しかし、綱は正直に打ち明けた。

「京の都から来た、源頼光が家臣、渡辺綱」

「目的は?」

「···…」

嘘は苦手だ。正直に話すことで、頼光たちに都合の悪いことが起きぬとも限らない。

それでも、この場を誤魔化すことはできなかった。

しばらくの沈黙の後、綱は重い口を開く。

「鬼の都で人間がひどい目にあっている。それを救いたい」

目をまっすぐ見る綱に、白榔も睨むように綱の目を見据えた。

「やめておけ」

白榔の言葉は短い。

有無を言わさぬ、そんな気持ちがこもっているように。

しかし綱とて、はい分かりましたとは言えぬ事情がある。

「なんでだ」

「あそこはあそこで、うまくまわっている。人食い鬼じゃない鬼もいる。それに、あそこの人間を解放すれば周囲の村に被害が出る」

白榔の言いたいことも分かる。実際に鬼の都を見てきたからこそ、綱にも分かるようになった。

綱の脳裏に蕣花という女性が過る。会えてはいないが、それだけ心の傷になるような出来事があの都で起こっているのだ。

「じゃあ、見捨てろって?」

聞いてしまったら、知ってしまったら。動かずにはいられない。

それが主人である頼光の意向であり、綱自身の意志だ。

「川で死人が出たら川を埋めるのか?俺があんたを殺したら俺の村は皆殺しか?」

「······」

白榔に反論する言葉を綱は持たない。

貞光や頼光だったら、もっと上手く議論を交わせたかもしれない。

だがしかし、綱はもう白榔の言葉を無視もできなくなっていた。

鬼の都の人間たち、白榔、皆にとって最善のことをしたい。

それを、精一杯に伝える。

「白榔の気持ちは分かった。けど、どうするか決める権限は俺にはない」

それが歯痒くもあるが、綱は頼光を心から信頼していた。

「この辺りに住むみんなにとって、一番良い道を探してみせる」

それだけ言うと、綱は走り出す。

白榔がまだ何か言っていたが、振り返らずに綱は進んだのだった。

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