第27話

綱は森の中を早足で進んでいた。

同行する貞光は木の上を、風のそよぎに紛れて進む。

はじめの方こそその気配を感じ取っていられたが、今はどこに潜んでいるのか見当もつかなくなっていた。

二人が目指しているのは鬼の都の近くにある村。貞光がいうには、三つほどあるというが、距離的に見て一番近い所から調査するという。

暑さで喉の渇きが増しても、気の逸る綱は休まずに進んでいた。

ほとんど人とすれ違いもしないので、角を隠すために頭に巻いた布を外して汗を拭う。

すると、どこからかガラガラと車を引くような音がした。

慌てて布を巻き直すと、綱のいる右手方向から荷車を引く若者の姿。

はねる癖のついた髪、つり上がった目、荷車には大きな甕が二つと、山盛りの梨と李。

白榔だ。

瞬時にそう思い身を隠そうとしたが、遅かった。

視線がバッチリと合ってしまったのだ。

動揺する綱に対して、白榔の方は軽く綱に頭を下げただけで去ろうとする。向かう方向は鬼の都だ。

さあどうしようかと、どうしたらよいかと迷った綱は、頭上にいるはずの貞光を探す。

一瞬の後には貞光が綱の後ろに立っていた。

「さ、貞光。さっきのって」

「綱、後をつけろ。場合によっちゃあ、顔覚えられても話をしてもいい。方法は任せる、あいつに関する情報なんでもいいから持って来るんだ」

「貞光はどうするんだ?」

「あいつの来た方向に村がある。そこで調査する。夜九つになったらここで落ち合うぞ」

「わ、分かった」

そう言うなり貞光は姿を消し、綱は歩を速めて白榔らしき男の後を追った。

鬼である綱が、荷車を引く人間に追い付くのは容易い。

すぐに後ろ姿を捉えると、歩幅を合わせてついて行く。

しかし、それで白榔に感づかれてしまった。

ピタリと荷車が止まったかと思うと、

「おい、俺に何か用か」

と低い声で睨まれる。

返答次第では斬りかかってきそうな目つきだが、綱は当然怯まない。

瞬時に出た言葉は、

「梨と李、美味そう」

だった。

「悪いがこれは売り先が決まってんだ」

顔を背けて荷車は再び進み始める。

迷いはしたが、綱は食い下がった。

「梨一個でいい」

「ダメだっつってんだろ」

「いくら?」

「聞いてんのか!」

遂には怒り出す白榔。

腰には太刀を提げてているが、抜く気配はない。

すぐに斬りかかってくるかと思ったが、戦いにならないのなら助かる。

正直梨を食いたかったのは本当だが、顔を見られ会話してしまったならこそこそする必要もない。

貞光は任せてくれると言ったのだから、綱なりに白榔につくことにする。

綱は荷車の後ろに回り、力を込めて押し出した。

「おい」

「これ重いな!どこまで行くんだ?」

「···んなことしたって梨はやらねえぞ」

「そんなつもりはねえんだけど。あ、じゃあ交代」

そう言うと綱は白榔と強引に場所を代わり、荷車を引く。

「見えると食いたくなるからなあ」

笑い声も立てながら、綱は進んだ。白榔は呆れた顔をしていたが、大人しく後ろを押している。

「で、どこまで運ぶんだ?」

「俺が止まれって言ったら止まれ。じゃねえと斬るぞ」

「お、おう···」

物騒な言葉を吐きながらも、その後は黙々と進んだ。

やがて、黒い塀が見え大きな門に着く。

「止まれ」

白榔の合図が聞こえて、綱は止まる。

門の中を行き交うのは鬼たち。

「なあ、ここって」

綱が聞こうとすると、白榔は驚くべき言葉を口にする。

「お前鬼か」

「なんで!」

鬼に見える要素といえば、綱が自覚しているなかでは体の大きさくらいのものだ。角と銀の髪はきちんと隠している。

要するに、心外だった。

「体がでかいのと、鬼の角隠し、この荷車を軽く引く怪力。それとここ、人間なら存在を知っていないと見えないし入れない」

「そ、そうなのか」

綱は初めて目にする鬼の都。思わぬ情報を得て、呆然とその黒々した外観を見る。

すると、目の前に白榔が梨を二つ差し出して来た。

綱は目を丸くする。

「ん?なに?」

「引いてもらっておいて何の礼もしないほど、おれはケチじゃねえ」

「でも売り物だって」

「そんぐらい構わねえよ。正直言えば助かった、ありがとな」

そう言うと白榔は綱に代わって荷車を引いて門の中へと去ろうとする。

綱は焦った。まだ情報らしい情報は得られていない。

悪い奴じゃなさそう、と綱は直感したのだが、そんなことだけを報告するわけにはいかない。

「ま、待ってくれよ!」

咄嗟に追いかける綱。白榔は怪訝そうな顔をする。

「まだ何かあんのか?」

「ここのこと詳しいんだろ?俺、初めて来たから右も左もわかんねえ」

「人間寄りの鬼はここにいてもしょうがねえぞ」

「は?」

何故それが分かる。

そう顔に出ていたらしい。

「俺を襲わないで梨が美味そうとか言っていただろ。人喰い鬼がそんなの言うわけねえ」

「すげえな。お見通しだな」

「こっから北東に行けば俺の住む村がある。そこなら李も梨もまだあるぞ。白榔に言われて来たって言えばもらえる。角だけは隠して行けよ」

「えーー。···名前、白榔って言うんだ。俺は渡辺綱」

「いや、聞いてねえよ。行けってば」

「旅先でこう会うのも何かの縁だし。どうせ帰るんだろ。手伝うからさあ、村に行っていいなら一緒に行こうぜ」

「あーもう勝手にしろ」

少々強引ではあるが、白榔の側にいることには成功する。

勝手にしろというので、もらった梨をさっそく齧りながら白榔の引く荷車を後ろから押した。みずみずしい梨は綱の喉を潤してくれる。それに甘くて、疲労が飛んでいくようだった。

鬼の街は異形鬼の街といっていいくらい、人とは違う姿形の鬼が多い。目の数足の数、肌の色も様々。

すると、毛深く肌の青い大きな鬼が白榔を見つけて声を上げる。

「おう、白榔!ようやく顔見せやがったな!」

顔を見知った相手のようで、白榔は綱と出会ってから初めての笑顔を見せた。

「悪いな、おいちゃん。弟が熱出してよ。しばらくつきっきりだったんだ」

弟?弟がいるとはどういうこった。

「なぁにぃ?人間てな弱えんだろ?大丈夫だったかよ!」

しかも人間。

本当にどういうことだ?親が鬼かもしれないと頼光たちから聞いたのに。

いくら考えても分からないので、とにかく忘れぬように心の中で反芻する綱。

「もう大丈夫だよ。元気に走り回れるくらいにはなった」

「けどよ、早く帰ってやれよな!ほれ、代金」

金を受け取ると、荷車に乗せられた甕を一つ鬼が持って行く。

「毎度」

白榔と鬼は手を振りあって別れた。

その後も同様に、回る順番が決まっているらしく迷うことなく荷が消えて行く。

人間の街の商いと何ら変わらない、かと思えば、所々で捌かれた人間の体の一部を見かける。

よくもまあ、人間がこんな堂々と歩いて無事なものだ。

不思議に思って、白榔に訊ねる。

「なあ、白榔ってさ。ここで危ない目にあわねえ?」

「あぁ。その辺並んでいるのは罪人。表向きの決まりでな、罪人以外の人間は食っちゃいけねえんだ」

「表向き?」

「人喰鬼がこんだけいたら、罪人だけじゃ足りねえよ。こっそり捕まえたり攫ったりしている連中も多い」

そうか、罪人だけなのか、と一瞬思ったが、確かにそれだけではないであろう数。

実際に蕣花のような女性もいる。

綱は並ぶ人の首や腕、脚をまじまじと眺めた。

大人の男の腕の中に、明らかに子どもと思えるものもこっそりと置いてあり、綱の胸はざわつく。

気持ちを切り替えるように、彼からもらった残りの梨を齧った。

白榔は綱の心裡は察していないようで、道行く鬼に会釈しながら話を続けてくれた。

「それに古い知り合いも多いしな。いざとなりゃ俺は斬ってもいいし」

物騒な物言いではあるが、白榔に声をかける鬼は確かに多い。

「なんでこんなに鬼と仲いいの?」

「あーもーうるせえな」

質問ばかり浴びせられて煩わしいのだろう。

白榔の調査ではあるのだが、ただ単純に、

「気になるじゃん!」

そう、気になるのだ。

潔い開き直りに、白榔は眉を寄せつつも答えてくれる。

「ここの生まれなんだよ、俺。まだ都として整備されてなかったころだけどな。親が鬼で、六つ?ぐらいの時に父親が死んでここ出たけど」

綱が思っていたより情報が多かった。

賢い季武や貞光なら簡単に頭に入るのだろうが、慣れていない綱は、

「へー」

と返すだけで精一杯。

「お前、人にあれこれ聞いておいて感想そんだけか」

呆れられた、怒らせた、というわけでもなく、それこそただの感想のように白榔はぼやく。

そして綱の顔をまじまじと見て、

「そういうお前はなんだよ。人喰い鬼でもねえくせにこんな所来やがって。言っとくけどな、ここの頭張ってやがる酒呑童子は鬼食い鬼だぞ」

と酒呑童子の名を出した。

鬼食い鬼というのは初耳。

「···そうなのか?」

「なんでそんな何も知らねえで来てんだよ。物見遊山か」

「そう、それ」

会話の想定はまるでしていなかった綱はそうとしか言えなかった。

白榔は大きな溜め息を吐く。

それ以降は商いに集中、最後の李を売って荷車は空になった。

さて帰路に、というところで体大きく腕四本の鬼が一体、白榔たちの進路を塞ぐ。

「人間だ人間だ」

よだれを滴し、血生臭い呼気には酒の匂いも混じっていた。

その鬼を制そうとするのは周りに集まって来た野次馬たち。

「おいあんた。よそもんか?こいつは行商だ、食っちゃいけねえよ」

そう言う鬼もいれば、

「規律違反は官吏に捕まって食われるぜ!悪いこたいわねえ、人間食いてえなら金を払って食いな!」

忠告する鬼もまたいる。

しかし、

「うるせえ!人間なんざうじゃうじゃいんのに、なんで金払わなけりゃいけねんだ!」

納得できんと言わんばかりの形相で、四本の腕を振って暴れる大鬼。

白榔は眉一つ動かさず、太刀の鞘を握っていた。

綱も太刀を抜いて大鬼に向かおうとするが、白榔に止められてしまう。

「鬼が鬼を殺すのも法度だ。やめておけ」

それだけ言うと、太刀を抜くと同時に大鬼の左腕二本を切り落とした。

一瞬の早業。

そして、痛みに目を剥く大鬼の背後に回った白榔は、敵の首に太刀を突き刺す。あっけなく、大鬼はどっと倒れた。

身の躱し方も良く心得ているようで、その身には返り血もついていない。

倒した鬼のことは目にもくれず、白榔はさっさと荷車を引いて歩きだす。綱はその後を追った。

「放っておいていいのか?」

「いいよ、人間は部外者だ」

人間が迷いこめば有無を言わさず食われる、そんなふうに思い込んでいた綱であるが、以外にも秩序は存在していたらしい。もっとも、白榔が特別なのだろうが。

「白榔って強いんだな」

「じゃねえと来れねえ」

「それもそうか」

無法者はいる。それはどこにでもいえること。それでも白榔は上手く鬼と関われていると思う。

「お前、ついてくる気かよ」

「一緒に行こうっつったじゃんか」

「···そうだった」

「荷車は俺が引くからさ、白榔は乗っていてくれよ」

「いいのか?」

拒否されるとばかりに思っていたのだが、案外乗り気で白榔は消えた荷の代わりに乗り込んだ。

「じゃ、行くぞ。道間違えたら教えてくれよ」

「おう、任せた」

丁度遠くで六つの鐘がなったのを綱は聞いたのだった。


「あ!帰って来た!にいちゃん!」

村に着くと、年の頃十ばかりの少年が綱の引く荷車に駆けて来た。

「あれ?にいちゃんじゃない。誰?」

少年の声で、横たわっていた白榔がむくりと体を起こす。

鶴丸つるまる。こいつは商い途中で会った···えーーと」

「わたなべ、つな」

忘れるとは何事か、との意味を込めて綱はわざとらしくゆっくり名乗った。

「そうそう、綱だってよ」

「ふーーん。変な名前」

子どもは素直だ。

綱とて普通と違う名なのは百も承知だが、こうも面と向かってはっきり言われることはそうそうない。

しかしまあ、白榔とその鶴丸というらしき少年が笑いあっているので良しとする。

村を見渡すと大きな家が一軒、そこを中心に家屋がざっと二十はあろうか。

まだ日が落ちきっていないせいか、外を歩いている者も多い。

「綱、夕餉食っていくだろ」

「いいのか?」

「働いておいて、梨二個じゃ割りに合わねえだろ。嫌ならいいけど」

「全っ然嫌じゃない!」

正直腹は減っている。白榔の申し出はありがたすぎる。

白榔に案内されてついていくと、なんと白榔の家は一番大きな建屋だった。

「ただいまー。父ちゃん、母ちゃん、今日は兄ちゃん早く帰って来たぞ!」

鶴丸が一番に扉をくぐり、声を上げる。

奥からは小走りでやって来る女性が一人。

「白榔、お疲れ様。早かったのね」

「こいつに手伝ってもらった。飯出せる?」

「もちろんですとも!」

明るい声の女性は綱に向かって深々と頭を下げた。

「息子がお世話になりました。私、白榔の母で千景ちかげと申します。田舎ではございますが、当家は酒師の家ゆえ美味しいお酒も召し上がってください」

「酒っ?」

嬉しい申し出ではあるが、同時に疑問が沸く。

酒師ということは自邸で酒を醸造しているのだろう。それを売り物にしているとは珍しい。

というばかりでなく。そもそも親は鬼ではなかったか。父鬼は死んだと聞いたが。

いや、頭は混乱するがこういう状況ではまず挨拶を述べねばなるまい。

そう判断した綱は地に両膝をつき両手も揃え、

「お世話になったのは私のほうでございます。親切にしていただき、誠に助かりました」

全く淀みのない声で頭を下げた。

その立ち振舞いに一同は一瞬絶句。

渡辺綱、実は育ちが良かった。

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