第25話

李鳳が蕣花の部屋を訪れると、蕣花は頼光邸に仕える女人と何か話しているところであった。

李鳳に気が付くと蕣花は居住まいを正し、丁寧に頭を下げる。

女人も李鳳に頭を下げると退室し、蕣花と二人になった。

「蕣花さん、体の具合はどう?出血は落ち着いた?」

「はい···だいぶ。まだ少し血は出ますが」

「悪露やからね。そらまだ完全には止まらへん。けど少しだけに落ち着いたんやったらよかったわ」

李鳳はそう安堵しながらも、ここに運ばれた十日前の出血量を思い出すとまだ体調がすぐれなくてもおかしくはない。

顔を擦り、脚を擦り、李鳳は体を診ていく。

「そういえば、ここの頼光様にはまだ会うてへんね?」

「あ···はい、まだ。ご挨拶しなければならないことは分かっているんですが」

「いいえ、私が頼光様に釘刺したんよ。今日はご在宅みたいやから、私がいる内に会ってみる?」

「はい!」

李鳳が部屋の外に控えている女人に声をかけ、頼光を呼んでもらう。

少しの間の後、複数の足音が聞こえてきた。

まさかと思い部屋の外を見ると、頼光の後ろから渡辺綱という鬼がついて来ている。

呼んだのも入室してよいのも、今日は頼光のみ。

「綱様は呼んでません。下がりよし」

「そうなの?なんで?」

綱は不服そうに声を上げる。

しかし蕣花に鬼の角を見せたくない李鳳は綱の角を指差し一喝した。

「それを見たらまた心が恐怖を思い出してまう。殿方にはできればまだ会ってほしくないくらいや」

それでも主の頼光だけには会わせる義務くらいはあろうという判断だ。

「主治医のいうことだ。綱、悪いが下がっていてくれ」

こういう時、頼光は話が早くて助かる。権力をかさに、横暴な振る舞いにでる輩も多い。

綱も大人しく、頼光と李鳳にも一礼して下がってくれた。

「綱様が悪い訳ではございませんが」

「いや、蕣花殿が怖がるのであれば仕方ないこと。こちらこそ、配慮が足りませんでした。綱も彼女を心配しているだけなのですが」

「心得ております。さぁどうぞ」

李鳳が頼光を部屋に入れると、蕣花が瞬時に頭を下げた。

「助けていただき、ありがとうございました。おまけに、こんな何日もお世話になってしまい」

涙ぐんでそう述べる蕣花に頼光は優しい言葉をかける。

「いや、礼には及ばない。顔色も良くなってきたようで安心した。足らないもの、不自由しているものはないか」

「十分すぎる待遇で、恐縮でございます」

「そうか、それならよいが。何かあれば遠慮なく女人に言ってくれ」

そう言い終えると、頼光の視線が李鳳に移った。

「李鳳殿、蕣花殿に聞きたいことがあります」

「···鬼の都のことやね?許可出せません」

まだそのことを話せる状況にはないだろう。

医師として蕣花の心を案じ、そう突っぱねる。

頼光は李鳳に頭を下げた。

「申し訳ありません。蕣花殿に負担を強いることは重々承知。しかし、今も蕣花殿のように苦しんでいる人がおります。情報が必要なんです」

頼光の仕事は理解している。

そしてその仕事を代わりにできる者がいないことも。

李鳳は息を深く吐いた。

「蕣花さん。頼光様は大変な職務を担っております。貴女のように、鬼共にひどい扱いを受けている人間を救うこと」

鬼という言葉に蕣花の体に怯えが走る。

気付いてはいるが、李鳳は言葉を続けた。

「辛ければ途中でそう言ってくれて構わへん。少しだけでも、協力してくれる?」

李鳳は彼女の怯えを取り去るように、優しく背を撫でる。

気丈にも蕣花は首を縦に振ってくれた。

頼光は蕣花にも丁寧に頭を下げると、さっそく口を開く。

「ありがとうございます。まず、貴女の近くにはどのくらいの人間がおりましたか」

「どのくらい···複数の悲鳴のような声が聞こえていました。しかし姿は見ていませんので、正確な数は···」

「そうですか。声は女性でしたか」

「はい。女性が複数人、ということしか分からないのですが」

「大丈夫です。ではどのくらいの期間、貴女は鬼の都におりましたか。また、どういった経緯で辿り着きましたか」

この質問には、蕣花の体の震えが大きくなってしまった。

それでも、じっと頼光を見つめる眼差しに心の強さを感じ取った李鳳は成り行きを見守る。

「どのくらい···すみません。よく分からないのです。ひどく暑い頃···夏を五回は鬼の所ですごしたかと思うのですが」

思い出そうとして、頭が痛むように蕣花が顔を歪める。

李鳳は止めようとしたものの、蕣花は李鳳の手を握り視線はじっと頼光に向けたまま。話させてしまった方が良いのかもしれない。

「それに、経緯もはっきりとは覚えていないのです。ある日の深夜に目が覚めると、もう鬼に囲まれて···。本当に何も分からない」

話しながら、蕣花の目からはぼろぼろと涙が溢れる。

「蕣花殿」

その涙を拭おうと伸ばした頼光の手にも、蕣花は怯えてしまった。

「頼光様!」

李鳳はすかさず、蕣花と頼光の間に入る。

「人間とはいえ、男性に恐怖を覚えます。今日はこのくらいに」

そう制止する李鳳。

頼光より先に、反応したのは蕣花だった。

「人間、男性···」

ポツリと呟く蕣花。

「蕣花さん?」

何か思い出したのだろうか。彼女の涙は止まらないが、聞かなければならない気がした。

「人間の男がおりました。鬼のように恐ろしい人間が」

「人間?」

聞き返す李鳳の声が頼光に重なる。

恐ろしい人間とはなんだろうか。

鬼の都なる場所にいる人間は、蕣花のように畜生のような扱いを受けているのではないか。

不可思議に思ったのは頼光も同様らしい。

「蕣花殿。その人間のこと、他に覚えていることはございますか」

体は小刻みに震え、涙を流しながらも蕣花は気丈にも話してくれた。


何人目の孕みだろうか

大抵、吐き気で自分が孕んだのだと知る。

何か食べていなければ吐く時もあれば、食べると吐く時もあり、また吐き気が軽い時もある。

同じ人間だというのに、体とはなんとも不思議なものよ。

いつの間にか鬼の住む街に連れて来られ、子を産まされその子は喰われる。その繰り返し。

いい加減この心までも死んでしまえば良いものを、何故だか蕣花の心のまま日々は過ぎる。

少なくとも、子を宿している間は美味い果物を食べさせてもらえる。それがせめてもの救いにでもなっているのだろうか。

まるで罪人のように、格子窓の付いた部屋で一人吐き気と戦う蕣花。

自分の周りの状況はまるで分からない。

時折聞こえる女性の悲鳴に、赤ん坊の泣き声。

蕣花と同じ、家畜としての女が多数いることは理解できる。

しかし、分かるのはそれだけだ。

人間の男性を見かけたのはそんな頃。

蕣花たちの『餌』用に、時折果物を持ってくる商人がいる。

その商人と、蕣花たちを管理している鬼の間で諍いが起きた。

「値上げするなんざ聞いてねえぞ!」

地の底が震えるような、嗄れた声はここの鬼のもの。

その声に反論するのは、男性の声。まだ若いが、その口調は冷静だった。

「こっちだってなぁ、仕入れ時に高い金払って来てんだ。売る時にその分取り返すのなんて当たり前だろ」

「高い金払う前に殺して来ちまえよ!」

「馬鹿なのか。殺したら別の仕入先見つけるのにも苦労すんだろ」

「じゃあ、てめぇが死んで餌になれよ、人間!」

人間、という言葉が聞こえた。

格子窓から覗くと、大きな一本角で体の赤い鬼と小柄な男性が見える。男性ははねた癖毛にややつり上がった目をしていた。腰には太刀。

どんなに目をこらしても、この男性に角は見えない。

確かに人間だ。

しかし、鬼がこの人間に向かって大口を開けた瞬間のこと。

腰を落とした人間が太刀を抜くのと同時に、その鬼の首をはねてしまった。

「てめえ!白榔はくろう!」

激昂した鬼たちはその人間のものらしき名前を叫ぶと、一斉に襲い掛かる。

白榔は顔色一つ変えずに鬼たちの攻撃を躱すと、すべて一刀のもと全員を切り捨ててしまったのだ。

「あれ?買ってくれる奴いなくなっちまったか?」

あまりの強さに、鬼たちは呆然としている。

「おおい。これ、ねえと困るんだろ?買ってくれよう」

本当には困ってなさそうな白榔の声、ようやく体の小さな鬼が彼に金を渡している。

その後は何事もなかったように、果物を建物の中に運び入れる様子が見えた。

鬼を切り捨てたとしてすぐに役人が飛んできたものの、小声で何かを話すと白榔は消えて行く。

いくつもの鬼の首を見て、その場で嘔吐してしまう蕣花。

それ以降も、蕣花は時折白榔の声を聞いた。


話した蕣花は青白い顔で口元を押さえる。

李鳳は白湯を差し出した。

「蕣花さん。もうええわ」

頼光には目で、これ以上の聞き取りを制する。

頼光も理解してくれたようで、蕣花と李鳳にむかい、丁寧に頭を下げた。    

「思い出させて申し訳ない。貴女のように苦しむ人がなくなるよう、必ず鬼の都を殲滅すると約束いたします」

足早に頼光は部屋を退室していったのだった。

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