第21話
李鳳から聞いた話は頼光の気をひどく急かせてしまった。
一刻の猶予もない、そんな雰囲気を全身に醸しながら、頼光は綱たち従者を伴って晴明邸を訪れる。
いつものように奥の部屋へ…というわけでもなく、玄関に現れた晴明に頼光はすぐさま頭を下げた。
「晴明様、無謀かしれませんが、酒呑童子討伐の特命をいただけませんか」
晴明にはいつもの笑顔がなく、口を真一文字に結んでいる。
それが否、という答えだとわかってはいるが、蕣花の話を聞いてしまったらすぐにでも行かねば気が済まない。こうしている間にも殺される人間や、蕣花のように食用としての赤子を生まされる女性が後を絶たない。
「無謀やと分かっているんやったら、俺が応というわけないことも分かるやろ」
晴明にしては冷たい、毅然とした言葉。
「お願いします。鬼の都で苦しめられている人、早く救ってやりたいんです」
頼光がもう一度、膝をついて頭を下げる。鬼の従者たちもそれに倣った。
しかし。
「あかん」
晴明の返答は短い。
何を言っても無駄、そう言いたげでもある。
それでも頼光は食い下がった。
「何故ですか。菘はあの町についてよく調査してくれました。季武に貞光、金時も酒呑童子の近くまで行けたというではないですか」
「ええか。大江山はな、昔から強い鬼が棲んでいる悪所や。野良に近い鬼とは訳が違う。鬼を束ね、鬼の都を造った茨木。その茨木を追いやった酒呑」
「わかっております」
「いいや。お前はわかってへん。都を造り、治めるのにどれだけ高い能力が必要か」
わかってはいるつもりだ。だから晴明は何度も何度も調査を繰り返しているのだろう。
情報は何より強力な武器となる。
わかっている、つもりだ。しかし晴明を説得できる何かを、頼光は持ち合わせていない。
いつ、討伐の許可は下りるのか。
そう訊ねようとした時、晴明が頼光たちに背を向けた。
「上がっていき。酒呑童子討伐に何が必要か、ちゃんと教えたる」
促されるまま、いつもの部屋に通される。
茶や菓子が出されるのもいつもの通り。
いつもと違うのは、皆が神妙な面持ちであること。
菘でさえ、今日はおとなしい。
「金時の父親、坂田蔵人。前に話したよな?大江山から帰って来てないんや。それがどういう意味か、わかるやろ」
金時の前で、声に出すのは憚れる。それでも、二十年帰って来ないのはもうこの世にいないからだ。
「言っておくけどな、蔵人はお前よりよっぽど強かったで。蔵人にできなかったことが、今のお前にできるとは思えへん」
ぐさりと心に突き刺さる、そんな言葉をあえて頼光に浴びせる晴明。
坂田蔵人のことを思えば、晴明とて慎重にならざるを得ない。
しかしそれに意を唱えるのは綱だった。
「お言葉ですが!頼光様にはこの綱がついております。季武も貞光も菘もおります。金時も加わってくれました」
確かに、綱たちは強い。
それでも晴明は首を縦には振らなかった。
「酒呑童子討伐に行きたいんやったら、必要なのは三つ。一、酒呑童子に関する情報。なんでもええ。これが圧倒的に不足しとる。二、街の雑魚を一網打尽に片付ける策。三、要救助者の居場所と人数。まずは鬼の都の図面を用意せい。それをもとに策を考える」
「討伐はその後ということですか」
「そうや。お前も武官なら兵法くらい熟読しとき」
晴明がそう言うと、牡丹と梧桐が巻物を持って来て頼光に手渡す。
「これは?」
「孫子。一度は読んだやろ。何回でも読んでええもんや」
孫子ならば確かに読んだことはある。
海の向こうの、複数の国が覇権を争っていた頃の勝利の法則。
「これは···軍隊の動かしかたと認識しておりましたが」
「あほやな。国同士の戦いだけが戦いとちゃうぞ。酒呑童子と戦うことを想定して読んでみい」
「はい」
晴明がそう言うのなら間違いはない。
巻物の紐を解くと、今度は貞光が声を上げる。
「晴明様、紙を頂けますか?僕たちで見てきた敵の都の図面を描きます!隠し通路もいくつか見つけました!」
「隠し通路?もう見つけたんか。さすがやな」
紙を用意しながら、晴明の顔にはいつもの笑顔が戻っていた。
やがて貞光を中心として季武、金時、菘で図面作成に取り掛かり、頼光は巻物を広げて綱と共にそれを読む。
晴明の手元にはいつの間にか酒。
ちらりと横の綱を見れば、眉間に皺を寄せ険しい顔をしていた。
「綱は読んだことなかったか」
「···はぁ。お恥ずかしながら、書物は苦手で」
頭を搔きながら綱は視線を書物から外さない。
「まぁ、重要なのは要するに···。勝てる状況を作ってから戦いに臨むってこと···かな」
綱に説明しながら、ああそうかとわかったことがある。
さきほど晴明が話した条件。それこそが、『勝てる状況』に必要なのだということ。
晴明が何度も鬼の都に調査を送っているのも、その一環なのである。
晴明も蔵人のことは相当に悔やんだのだろう。
止められもせず、勝たせることもできなかった。それが、今の慎重な晴明なのである。
ならば今度こそ、大江山の鬼退治は失敗できない。
気を引き締めて巻物を読み進める頼光。
すると晴明が頼光を手招きした。
「綱はそのまま読んでてくれ。頼光」
何事だろうかと思う頼光の耳元で、晴明は口を扇子で隠して囁く。
「間者。わかるやろ」
「はい?」
間者とは、敵の中に潜り込み情報を得たり、嘘の情報を流して撹乱させる隠密である。
晴明に渡された兵法でも、勝つに最も重要な要素であると挙げているほどだ。
「誰かにそれをさせろということですか」
「いや。酒呑童子こそが、その間者を放っているっちゅうことや」
「まさか」
今、晴明はかなり声を落としている。
この中にいるということ。
「そういう素振りを見せたあいつを、躊躇ったらあかん」
頼光は言葉を失う。
実は、従者の中に人食い鬼が紛れていることは以前から晴明に注意喚起されていた。
どこかの力ある鬼の子飼いではないかということも。
しかし、その力のある鬼が酒呑童子だとは、頼光も初耳だった。
「何か証でも掴みましたか」
「ちょっと、庭出るで」
晴明に連れられ、夏草の生い茂る庭へと降りた。
晴明への信頼はある。飄々として、どこか掴みどころのない彼であるが、長い間この都を陰ながら守り続けて来たのも知っている。
間違いではないか、と頼光らしからぬ考えが浮かび、頼光は頭を振った。
酒呑童子の子飼いであるなら、いよいよ頼光に牙を剥く時が近いということ。
頼光の背を冷たい汗が伝う。
「晴明様、さきほどの事は」
「間違いない。断言できる」
何か間違いであってほしい。その願いは強く、頼光はキツく拳を握った。
「信じたくない気持ちも分かる。けど、それとこれは別や」
「根拠を教えていただけますか」
「綱以外のもんには鬼の都の調査を頼んだわけやけど、そいつは鬼の都の調査をしてへん。知っていることを報告しているだけや」
「え?」
「履き物を見たら分かる。とにかく歩いて歩いて歩いて、情報を集めるもんや。せやから履き物は一度の調査でも劣化する。けど、そいつのんはまあきれいなもんや」
なるほど。
鬼の都に行くのは皆、初めてのはず。見ず知らずの土地、物見遊山ではない。情報を得るための調査。確かに、他の従者の履き物と違うのは見て分かる。
「それに、隠れて今でも人を食っているようや」
「そんな」
信じたくない。そんな気持ちが強い。
だが、覚悟はしておかなければならない。
部屋にいる綱の声が頼光を呼ぶ。
「頼光様ー?すみません!教えてほしいところあるんですけど!」
頼光より早く、晴明がその声の元へと歩いた。
「···晴明様」
「ええか。あいつは近いうちに裏切る。覚悟は決めておくことや」
目をじっと見据えて晴明はそれだけ言うと、綱の元へと戻っていく。
まだ、頼光の頭は整理しきれない。
信じられないが、聞いてしまった以上は無視もできない。
気も漫ろのまま綱の元へと戻った頼光は、綱への兵法の指南もできぬまま、今度は貞光たちの作った鬼の都の図面を眺めたのだった。
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