第20話

典薬寮という部署がある。

所属するのは医師、薬師といった医術者たち。

派遣されて病や怪我を診たり、薬を処方したり、専門的な知識が求められる彼らは、難関といわれる試験を突破しなければならない。

その中の、数少ない女性医師である李鳳りほう

若くして医師の試験に合格した彼女は天才とも称されるが、滅法気が強い。

例えば、目の前に二人の患者がいたとする。

一人は高貴な貴族、もう一人が一般の平民だとしても、彼女が先に診るのはより重篤な症状の患者である。

もし貴族が俺を先に診ろなどとわめこうものなら、

『ほれ、元気やないか』

などと一蹴する気概は持っている。

そんな気質もあってなかなか敵も多い彼女だが、その逸話を耳にした帝が大いに笑って、

『いい医師やなぁ』

と感心もしていたというから、李鳳を信頼する人間もまた多い。

源頼光もその一人である。

頼光の家人が典薬寮にやって来て、李鳳を名指しで屋敷に呼んだ。

すぐさま李鳳が屋敷に駆けつけ、患者のいる部屋に案内されるとそこにはうなされている女性がいる。眠っているのか、目は固く閉ざされていた。

はて、どのような身元なのかは分からぬが、部屋に案内してくれた女人から、

「下腹部を中心に出血が多いのです。顔色もすぐれません」

と、症状のみを聞く。

李鳳が、

「どちらのお嬢様ですか」

と聞いても女人は首を横に振った。

まあいい。

どこの誰であろうと、李鳳のやるべきことは変わらない。

「桶に湯と、白湯を用意してもろていいですか」

と女人に依頼して李鳳は布団をめくり、血に濡れた着物を剥いで診察を始める。

外傷はない様子。脚を持ち上げ、陰部を診れば出血はそこから。

月のものにしては量が多い。

李鳳がある仮説を立てたところで、女人が湯を持ってきた。

その後ろには主人である頼光の姿と彼の従者の鬼たち。

しかし李鳳は、

「殿方禁制でございます」

と一睨み付きで頼光を部屋に入る前に追い出す。

「申し訳ありませんでした。李鳳殿、どうかよろしくお願い致します」

頼光の穏やかな声が扉越しに聞こえた。

「頼光様、一つお聞きしておきたいことがございます」

「なんでしょう」

「この女性の近くに、生まれたばかりの赤子はおりませんでしたか」

「赤子ですか」

扉の向こうで話す声が聞こえる。

「いなかったそうです」

「そうですか。では、診察終わりましたらお声を掛けます。それまでどうぞ、別室でお待ちください」

そう締めて女性の顔を見ると、今度は目を見開いていた。

「お目覚めですか」

努めて穏やかに語り掛けるが、女性は恐怖の形相で辺りを見回している。

その体の震えと汗が尋常でない。

頼光に、いや頼光の従者の鬼に助けられてきたのであれば鬼や怪異絡みでよほどの恐怖を感じるできごとがあったのだろう。

「落ち着いて。ここに貴女様を傷つける輩はおりませんよ」

李鳳は湯で布をしぼり、顔を拭ってやった。

李鳳の顔をまじまじと見た女性は、

「に、…人間……?」

と声を絞り出している。

「はい。人間の女です。医師の李鳳と申します。お名前、お聞きしてよろしい?」

「……っ」

まるで魚のように、口をパクパクとしてそれ以上の言葉が出せない。

体の異常か精神か。

李鳳が温かい布でなおも首や腕を拭ってやると、彼女のこわばった体から力が抜けて行くのが分かった。

「……り、ほう…さん?」

「はい。李鳳です。体は起こせますか?」

李鳳が補助してやると、女性はゆっくりと体を起こすことができた。

「白湯を飲んで。ゆっくりやで」

一口、二口と白湯を口に運び、椀一杯を飲み終えるころには体の震えと滝のような汗も止まる。

「落ち着いてきたやんな。お話はできる?」

彼女の顔色もよくなってきた。

「ありがとう、ございます…」

まだ彼女の声は掠れていたが、はっきりと聞き取ることができて李鳳はひと先ず安心する。

「そしたら、お名前、言える?」

「……蕣花しゅんか、と」

「蕣花さんね。きれいなええ名前やわ」

「あの…っ鬼は?ここに鬼はいませんか?」

怯えるような蕣花に

「人を傷つける鬼はおらへんよ。優しい鬼様ならおるんやけど、あまり怖がらないでやってください」

背中を撫でてそう言い、不安や恐怖を取り除こうと試みる。

そして大事なことを訊ねた。

「ところで、蕣花さん。あなた、赤ちゃん産んだんやね?」

その一言で、また蕣花の顔色がみるみる内に変わっていく。目からはボロボロと涙が零れ落ちる。

「あぁ、ごめんね。ツラいことやったな」

李鳳は蕣花の肩を抱き、背中を今度は優しく叩いてやった。

「あたし…っ…あたし…」

ツラいことなら話さなくても構わないのだが、蕣花は懸命に何かを伝えようとしている。背を叩いたり摩ったりしながら、李鳳は蕣花の次の言葉を待った。

蕣花の発した言葉は李鳳の想像を超えて、壮絶だった。

「あたしの…赤ちゃん、食べられちゃったんです…。何人も産んだけど、全員、鬼に食べられちゃって…」

「鬼…に?」

「あたしの産む子は…鬼の食糧で…無理やり孕まされて、産んで…食べられて…。それを何回も繰り返してきました…」

ツラいどころの話ではない。地獄のほうがましではないか。そうとさえ思える蕣花の話に、李鳳はかける言葉を失う。

「この前、産んだ子がいました…。でも、鬼に食べられる前に死んじゃって…。そしたら、あたしは役立たずって…今度はあたしが殺されそうになって…そこから先、あまり覚えてないんです…」

「気づいたら、ここやった?」

頷く蕣花。深すぎる心の傷。

体はじきに良くなるだろう。頼光の家ならば滋養のある食べ物はいくらでも手に入る。

しかし、心はズタズタだ。

治す薬など、ない。

医師でありながら治せないなど、こういう時李鳳は歯がゆくて堪らなくなる。

「よう生きてくれはったなあ。もう大丈夫やで」

気休め程度の、こんな言葉しかかけてやれない。

そして蕣花が泣き疲れて眠るまで、手を握っていてやるのだった。

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