第15話

夕刻になり、貞光と金時を連れて頼光は安倍晴明邸を訪れた。

昼間は晴明と共に橘友成を訪ねていた頼光であったが、突然警護の動きが慌ただしくなり急遽応援に回っていたのだ。

頼光が駆けつけたのは既に群盗が捕縛された後。

群盗を全員捕縛とあって、当番の武官の中ではお祭り騒ぎ。

捕縛したのは頼光の後輩にあたる平井保昌と、なんと貞光と金時だというから、頼光も捕縛者の護送を請け負った上に興奮しきりの同僚たちに金時のことをあれこれ質問責めにされた。

ようやく解放されて、貞光と金時と共に晴明の屋敷に来るといつものように梧桐と牡丹が案内してくれる。

しかし案内された部屋では、先に着いていた綱が横たわって寝息を立てているではないか。

頼光の屋敷ならともかく、人様の家で何をしとるか。

綱がここで居眠りをするのは珍しいことではなく、これまでも注意はしているのだが。

起こそうとする頼光を制止したのは、家主の晴明だ。いつの間にか一行の後ろに立っていた。

「かまへんやんか、頼光。体力使て疲れてんのやろ。寝かしといてやり」

「いえ、しかしですね」

「俺ん家の寝心地がええんやろ。悪い気せえへん」

にこやかにそう言われれば起こすのも憚られ、渋々頼光は晴明に従って隣の部屋に通された。

「で、そちらの鬼が金時やな」

そういえば初対面だったと、頼光は慌てて金時を晴明の前に出す。

「はい、足柄山で出会いました、坂田金時です」

頼光がそう紹介すると、金時は深々と頭を下げた。金時に向かっては、

「金時、こちらは天文博士の陰陽師、安倍晴明様。帝や政治を行う摂関の方々とも懇意のお方だ」

晴明のことをそう紹介する。

晴明は目を細めてまじまじと金時を見た。

「そうかそうか、よう来たな。都っちゅう響きほどええ所やあらへんけど、まあ頼光の従者やったらええもん食えるわ」

腕を伸ばして晴明は金時の頭をがしがしと乱暴に撫でた。

「晴明様、子どもじゃないんだから」

頼光はそう言ってたしなめるが、彼らの年齢差を考えれば親子でもおかしくない。しかしそれは頼光や綱も同じなわけで、一応二十を超えた大男に対する振る舞いではないのではないか。

と頼光は無駄に頭を使ってしまうが、当の本人の金時は特に気にしていない様子。

おまけに、

「頼光はいい奴やけどな、お硬いから気ぃつけや」

などと金時に言っていた。金時の後ろに隠れて笑っている貞光は放っておくとして、何か言っても今は笑いのネタにしかならないだろうと思い頼光は口をつぐむ。

晴明はいつも通りにこやかに笑って一同に着席を促した。

頃合いを見計らっていたかのように、頼光たちが座ればすぐさま運ばれる茶と菓子。

そして微かに足音が聞こえたかと思うと次の瞬間、

「いってぇ!」

という悲鳴。

その後まもなく頼光たちいる部屋に入って来たのは季武と綱だ。

「起こすなら普通に起こしてくれよ…」

そう言いながら腹を摩っているところを見ると、おそらく季武に踏まれたのかもしれない。

季武は悪びれもせず、

「晴明様の屋敷で呑気に寝ているのが悪い。大体、普通に起こしたってすぐに起きないだろう」

と綱を一蹴している。頼光としても季武支持だ。むしろ良くやった。

しかし綱だって体を酷使して働いてきたのも事実。

「季武、綱も。帰ってきたばかりなのにご苦労だったな」

そう、労いの言葉くらいはかけてやらねばなるまい。

季武と綱がそろって着席し一礼したのを見て、晴明が口を開いた。

「貞光と金時も、今日は群盗に出くわしたそうやな」

どこから聞いたのかはわからぬが、晴明はこういった情報が速い。

「はい。金時の活躍もあり、全員の捕縛に成功しました。ここ数年ではなかったことです」

頼光は早速の金時の活躍が嬉しく、誇らしげに答える。

「そうか、貞光も金時もご苦労さん。特に金時、災難やったな、いきなりそんなんで」

苦笑いする晴明に金時は、

「いえ、お役に立てればそれで」

としきりに平伏する。

そこまでのやり取りを終えたところで、晴明が手をぱんと鳴らした。

「ま、今日集まってもろたんはな、友成殿の呪いが無事解けたんでその報告やねん。それと足柄までご苦労さん、ようこそ金時。それらみんな引っくるめて、好きに飲み食いしていき。ええ酒ももろた」

既に茶と菓子が出ているのにも関わらず、ぞろぞろと酒やご馳走が出てくる。

「酒!」

鬼は酒好きが多い。綱、季武、貞光が我先にと酒に手を伸ばした。

勝ち取った貞光が頼光と晴明に酌を済ませた後で従者たちに分けるが、意外なことに、

「ワシは飲めん」

と金時が言う。

意外過ぎて全員の動きが止まったくらいだ。

どちちらかといえば酒豪という風体。

「···飲んだことがないのか?」

思わず頼光の口からそう溢れた。

「いや、美味いと思わんのです。喉が焼ける感覚も、飲んだ後ふらつくのもなんか嫌じゃし」

決まりが悪そうに金時は頭を掻く。

まあ、飲めないのであれば無理に飲む必要はない。

飲ませようとする不遜な輩も貴族の中にはいるが、少なくともここにはいないのだ。

現に、

「じゃ、金時は茶がええな。酒なんて好き好きやねん。そんな恐縮することちゃうで」

晴明がそう言って梧桐に何か伝えると、既に出されていた茶は下げられ、新しく温かい茶が出された。

しかしながら、茶も高級品。

こうも毎回淹れるとは、さすが高収入の天文博士。

茶も初めてだという金時であるが、一口啜れば、

「…美味い」

と気に入った様子。

「そら良かった」

にこやかに笑う晴明の手には扇子。少しずつ暑さの増す時節になってきた。頼光も扇子で自身を扇ぎながら酒を一口味わう。

「そういえば晴明様。金時の名のことですが」

夕刻に話すと言っていたので、皆が食事と酒を楽しみ始めた頃合いで頼光は尋ねてみた。

「あぁ、そうやった。梧桐、俺の部屋から書簡持ってきてくれ」

部屋にいない梧桐に晴明はそう指示を出す。

この場にいないのに、晴明にはどこにいるのか分かるのだろうか。

梧桐にもきちんと伝わっていたようで、すぐに手に書簡を持ってやって来た。

「ありがとう。梧桐と牡丹はもう休んでええよ」

そう言って梧桐の頭を撫でてやると、大きな欠伸を一つ。ぺこりと頭を下げて梧桐は退室して行った。

「さて、この書簡やけどな。金時の父親の坂田蔵人からもろたもんや」

送り主の名を聞いて、書簡に一同の注目が集まった。

晴明が古そうなその書簡を広げると、送り主の力強い文字が現れる。

気になるのはもちろん内容だ。

「これをもろたんは二十年ほど前やったな。当時俺は陰陽寮所属の陰陽師やったけど、蔵人は頼光と同じように、鬼や妖といった怪異を優先して退治することでこの都を守っておった。地方の遠征も多かったんやけど、書簡を送って来たんはこの時だけや」

晴明の視線は書簡に注がれる。頼光、金時だけでなく全員がそこに注目していた。

ざっと目を通しただけでも、足柄山、八重桐の名前を見つける。

そして、金時という字もそこに書かれていた。

「ここに書いてあるんはな、蔵人が立ち寄った足柄山で八重桐という女性と恋仲になったという報告。できればすぐに連れて帰りたいが、いかがかという相談。そして、もし彼女との間に子ができたら、女の子なら夕桐、男の子なら金時という名にしたい。そこまで考えてはったんよ」

ちらりと金時を見れば、書簡をじっと見つめている。

晴明は一口酒を飲んだ後で続けた。

「これをもろた俺はな、蔵人の直属の上司と帝に話したんや。足柄山方面に遠征したんは俺の特命やったから、戻るときに妻を連れてきます、ってな。けどその頃、大江山で鬼が暴れとる話を聞いとった帝が待ったをかけたんや。結婚するんは大江山の鬼を退治してからにせえ。そう言うたんよ」

いつもにこやかな晴明が神妙な顔に変わっている。

その後は頼光も話に聞いた通り、蔵人一行は帰って来なかった。

「すまんかったなぁ、金時。大江山の鬼、あの時今退治するべきやないとは言うたんや。せやけど、鬼が縄張り広げてるんを看過できん言うてな。結局、蔵人は俺の特命のすぐ後に大江山に行ってしもた」

晴明は深々と金時に頭を下げる。

晴明が悪いのではない。それでも、蔵人のことはずっと責任を感じていたのだろう。

そんな晴明の姿に金時は恐縮しつつも、膝で大きな拳を握った。

「いや、その···晴明様が謝ることじゃないことはワシにも分かる。けど、事情があったんならそう書簡を送ってくれれば良かったんじゃなかろうか」

足柄山、八重桐、そこまで分かっていれば確かにそうだろう。しかしそうできなかった理由を頼光が説明した。

「金時、晴明様は書簡のやりとりを厳重に管理されている。帝の許可がないと、書簡は出せない」

「な、なんでじゃ?」

「陰陽師としての晴明様の能力は絶大だ。晴明様がその気になれば、都を転覆させることだってできる」

頼光のその言葉には晴明は、

「その気になんかならへん」

と反論する。都を転覆できるという点は否定しない。

一番の問題は、都を動かす上の人間が晴明の人柄、性格を考えもせず、ただ能力を恐れていること。

「晴明様が地方の有力者と結託して都を攻めたりでもしたら、ここはすぐに落ちる、と考えて外部の人間とのやりとりは禁止されてしまっている」

本当に晴明がその気になれば地方の有力者も関係ないと思う頼光だが、少しの可能性も排除しようとする上のやり方は気にくわない。

しかし頼光にはそれを変えるだけの力もない。

己のふがいなさに、頼光は思わず目を伏せた。

「···帝は、そんなに横暴じゃったか」

ポツリと呟く金時の言葉が胸に刺さる。

「すまん。幻滅したか」

その問いに金時は、口を真一文字に結んで答えない。

都。その響きの裏で深い闇がある。優美で雅な生活を送っているのはほんの一部。その彼らは自分の生活を守るのに必死だ。

そのために誰かが辛い思いをしようとも、まるで頓着しない。

地方の村で愛されて育った金時には耐え難い事実かもしれない。

故郷に帰ると言われれば帰らせるほかないだろう。

金時は何も答えないまま、場はしんと静まる。

そして沈黙に耐えかねたのか、貞光がすくっと立ち上がると金時の両頬を乱暴に両手で挟んだ。

「言っとくけどな!オレたちは帝を守るんじゃないぞ。足柄山に行ったのだって、橘友成っつう奴の呪いを解くためだ。あの悪徳修験者に殺されたり、呪われたりした奴を助けるためだ!」

貞光の剣幕に、金時が驚いて目を瞬いた。

すると季武も貞光に同調する。

「帝は確かに歴代横暴だ。今の帝はだいぶましだが。上流貴族もろくでもない奴が多い。しかしここにはそれ以外の者も多く暮らしている」

黙っていられないのは綱も同じ。

冷静な季武に反して、激情型に近い彼は立ち上がってよく通る声で力説した。

「それに何より、晴明様と頼光様は横暴でもろくでなしでもない!身を粉にして、みんなの暮らしを守っている!」

要するに、金時に帰るなと言いたいであろう鬼の従者たちは、強い視線で金時を射すくめる。

帰りたい、金時がそう言うのなら帰らせるべき。

そう言おうとした頼光より早く、金時が口を開く。

「ワシじゃってな、軽い気持ちで来たんじゃない。頼光様が人格者なのも分かっているつもりじゃ、帰ろうなんて思うてない」

その言葉を聞いて安堵の表情の貞光。金時の頬から手を離して息を吐いた。

金時は穏やかに続ける。

「都や帝に幻滅したんは、まぁ正直いえばほんとじゃ。けど権力者なんてどこもそんなもんじゃろ」

そして手を貞光の肩に置いた。

「貞光が言うたんじゃ、嫌な奴ばっかじゃないってな」

金時に帰る気はさらさらなかった、しかし帰るかもしれないと思ったのはつまり早とちり。にわかに貞光の顔が赤くなる。

『嫌な奴ばっかじゃない』、金時の言うそれがいつの会話なのか頼光は知らない。

しかし貞光や綱、季武の気持ちに頼光は嬉しくなる。強くて頼もしい、もちろん優しさも併せ持つ彼らにふさわしい主人でありたい。

いつになく優しい気持ちになった頼光は、彼らの盃に酌をしてやった。

「オレの方が年上!貞光な!」

殊更に『さん』を強調する貞光に、

「晴明様の前では僕と言ってなかったか」

静かにツッコミを入れる季武。

しまったという貞光の顔もまた可笑しく、綱は大きな笑い声を立てる。

賑やかなのもまた、善きかな。

更ける夜。夜空に望月。蛍も光を添えて金時を歓迎したのだった。

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