第16話

「おい、菘。歩きながら食うなよ」

眉をしかめて綱が注意する相手は菘。

李をがぶりと食べながら、綱の後を付いて来る。

口の端から汁がぼたぼたと垂れるのは綱とてみっともないと思う。

しかしこの女性は自分の食欲優先。

果物売りの行商を見つけて綱には何も言わずに李を買っていたかと思うと、もう次の瞬間には食べ始めていた。

肘まで垂れた汁に舌を這わせて舐める。朱雀大路を歩く人々の視線とひそひそ声がなんとも居心地が悪い。

「菘···待っていてやるからそれ、食っちまえよ」

返事もできぬほどに頬張った菘はこくこくと頷きながら、あっという間に李を平らげた。

「買うのも食うのもいいけどよ、一言言ってくれよ、ホント」

「ごめん、ごめん。李には目がないの、知っているでしょ!」

「俺が悪いのかよ!」

綱にとって菘は妹同然。李くらい買ったり食ったりするのは一向に構わない。

ただ、歩きながら汁を垂らしていては体裁が悪すぎる。綱や菘が源頼光の従者であることは都中の人間が知っているのだから。

同行していたのが季武だったらもっとキツイお小言を食らっていただろう。

綱と菘は二人で、何処に向かっているのか。

菘が大江山から持ち帰った情報に、その理由がある。


三日前の夜、頼光邸でそろそろ就寝という頃に菘は帰って来た。

門番と一言二言挨拶を交わしているのは彼女の大きい声ですぐ知れる。

すぐに頼光から収集がかかり、頼光の部屋の隣に集まった。

そして金時を見て早々、菘が騒ぎ出す。

「でっっっっか!すごい!でかい!ねぇ、何尺あるの?」

言われた金時の方は、菘のような騒がしい若い女をどうしたらよいかわからない様子で、視線で綱たちに助けを求めて来た。

そんな金時を菘から救ったのは頼光だ。

「菘、もう夜だ。静かにしなさい。彼は足柄山で仲間になってくれた坂田金時。仲間といえども、あまり無礼な振る舞いは慎んでくれよ」

「はぁあい」

一応の返事はするが、はたしてどこまで聞いてくれるか。晴明の屋敷で寝こける綱が言って良いことではないのだが。

全員が着座すると、菘が頼光に一礼。

「菘、大江山から帰還致しました!」

言われたばかりだというのに、まだ声がでかい。

季武が顔をしかめて、

「だから、うるさい」

と文句を言う。

ようやく菘は声を落として、大江山へ行っていた理由を話し出した。

「晴明様がですね、あの辺りに不穏な空気が濃くなっているというんですよ」

「不穏?」

「鬼。です。鬼。あそこに鬼が棲んでいるのは昔からなんでしょ?」

鬼がやってくるとするなら、大江山。

そう言われているくらい、そこは鬼の出現が多い場所である。

そのことは頼光の従者でなくとも、都に住んでいれば常識といえる範囲のことだった。

「実は頼光様が足柄に行っている間、三度ほどその鬼の調査に行っておりました。あそこ、今鬼の都が出来上がっているんですよ」

「鬼の都?」

そう訊き返した綱だったが、その声は頼光や季武と重なる。

嫌な予感しかしないその言葉。

菘は顔を顰めて続きを話した。

「鬼だけが棲む鬼の都です。すごいですよ、ここの都より広い都がずーっと広がっているんです」

ここの都より広い、と菘は話すが、この平安の都は国の中心地である。

にわかには信じがたくて、

「ちょっと待て。そんなのが出来ているなら、もっと人の噂に上るだろう」

と綱は反論した。

しかしそのこと自体は既に晴明に報告済みらしく、菘は思い出すようにゆっくりと話し続ける。

「晴明様が言うにはですね、おそらく。断言はしておりませんでしたが、おそらく。都全体に術をかけて、存在をあやふやにしているのだろうと」

晴明がそう言うのならそうなのだろう。

そう綱は判断した。

そして、一番重要なことは…

「人に害があるんだな」

ということ。

鬼が都を造ろうと造るまいと、無害なら大きな問題はない。

晴明が何度も菘を調査に行かせているということは、人にとって良からぬ存在とみていいはず。

実際菘も、

「おおありです」

と言い切った。

「そこに棲む鬼が、人を食らいます。旅人、もしくは遠くの村まで行って連れ去っては、その体を捌いて売り買いしているのかも。人間は、まるで野菜とか魚のような扱いでした」

ぞっとするような話に綱は身震いする。

鬼である綱だが、人を喰いたいなどと思ったことは一度もない。

両親が人間なのだから当然だ。

しかし本来の鬼の性質でいえば人を喰らうのが自然なのかもしれない。

時折、綱は考えてしまう。

人間を両親として鬼が生まれる、その意味はなんなのか。

人間とは明らかに違う外見。けれど心は人間だと思っている。

ただ、それは『どっちつかず』といえるのではないか。

実際にそう陰口を叩かれていることも知っている。が、反論のしようもない。

結局答えの出ない問いに頭を悩ませる綱であるが、今はそれを考えている場合ではない。

菘に向かって今度は頼光が尋ねる。

「都というのなら、そこを治める頭がいるわけだな」

「はい。その鬼、酒呑しゅてん童子という名です」

知らず知らず、菘の声が大きくなっていることは誰も咎めず、菘の言葉を聞く。

「で、実は実は。すんごい話、聞いちゃったんです」

菘は興奮気味に水を一口飲むと、一気に捲し立てた。

「今の頭はその酒呑童子なんですけど、少し前までは茨木いばらき童子って奴と睨み合っていたんです。結局、茨木童子が酒呑童子に追い出される形になったって。で、何が問題って、その茨木童子!この平安の都を鬼の都に変えて、酒呑童子に復讐するつもりだとか!」

平安の都より大きい鬼の都。その頭となれば、酒呑童子にせよ、茨木童子にせよ、相当に強い鬼に違いない。

「都のどこかにその茨木童子が既に潜伏しているかもしれないと」

頼光がそう念を押す。菘は大きく首を縦に振っていた。

「そうなんです、そうなんです!ね?やばいでしょ?でも!頼光様は絶対あたしが守りますよ!」

確かにヤバい。

鬼の都の頭を張っていた奴が、京を乗っ取る。当然看過できない。

「その茨木童子、仲間の有無は?」

頼光と菘のやり取りを見守っていた季武が、そう口を開く。

「それがぁーなかなかー分からないの!人望はなさそうだったし、もしかしたら一人かも」

晴明が菘たちに特命を出す際には大体帰還の期日を決めている。

それまでに掴めなかったと菘が悔しそうに頭を搔きむしった。

「じゃあさ、潜伏先の候補は分かってんの?」

この貞光の問いも、

「それもまだ分かっていませーん。引き続き調査致します」

と大袈裟に肩を落として菘は答える。

「そうか。では明日、この件は晴明様の指示を仰ごう。菘、ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」

「はいっ!疲れています!明日は日が高くなるまで寝ていたいです」

「いや、そこまでは···」

そういうわけでこの日は解散となったわけだが、翌日の晴明の指示は、

『菘、綱で、茨木童子に接触せよ』

『菘に代わり、季武、貞光、金時で鬼の都を調査せよ』

だったのである。


そんな経緯から菘とこの都の中を調べているのだが、茨木童子と接触せよと言われてからなんの手掛かりもない。

晴明が潜伏先を絞り込んでくれてはいるが、尻尾を掴めぬまま。

もしや都の中にはまだ入り込んでいないのかもという思いも沸き上がって来る。

それは菘も同様のようだった。

「ねぇねぇ。都の中にはいないんじゃない?」

「かもな」

「どうする?今日はもう終わりにする?」

日が延びて来る時節であるものの、もう薄暗くなって来た。それらしい鬼も見つからない。

「よし、羅城門まで行って何もなければ終わりにしよう」

「御意!って羅城門遠いんですけど!それにさっき行ったし!」

「右京はまだ見てないだろ」

現在地は三条大路の西端。つまり右京である。

左京は既に見回った後なのだ。

口を尖らせる菘は無視して綱はスタスタと歩く。

特に変わったところはなさそう、ではあったのだが、薄暗い中明かりを灯さずに踞る人影が見えた。

「どうしました?」

綱が駆け寄ると、白髪の老婆。

「足が悪く転んでしまい、その拍子に腰を痛めてしまいました。家は羅城門の外、どうやって帰ったら良いか···」

「それなら心配なさらず。家まで送っていきましょう」

そう言って安心させてやると、手に持っていた明かりを老婆に手渡してそのまま老婆を背負った。

「ご親切にどうもありがとうございます」

「いえ」

そんなやりとりをした後、菘が姿を消していることに綱は気づく。彼女の気まぐれか、と判断した矢先、この老婆の不審な点にも気がついた。

羅城門の外から来たというのに、荷物のような物を何も持っていないのである。

一体、何しに来たのか。

探りを入れようとした瞬間、老婆の体がずしり。

重くなったのだ。

大きく膨らむように、みるみるうちに巨大化するそれはもう老婆ではない。

振り返れば、老婆の額の肉を割って、大きな角が出てきている。

声を出そうとしたが、それより早く筋骨隆々とした腕が綱の首を絞めて来た。

「お前、鬼だな。殺したくはない。お前も死にたくないだろう。俺の仲間になれ」

老婆の声とは違う、地の底から響く声。

呼気は血生臭く、綱は顔をしかめながら毅然と拒絶する。

「嫌だ。その口、誰か喰って来たな。人を喰うことは許さない」

「何故だ」

「むやみな殺生だ」

綱がそう言うと、人食い鬼は嗤った。

「人間だって人は食わずとも、魚は喰うだろう。狩りに興じて動物を殺すだろう。鬼が人を喰らうのはそういう性質の生き物というだけのこと。人間と何が違う。何も違わんよ。そうだろう」

鬼が、生きるために人を喰うというのなら、鬼と人は確かに違わないかもしれない。

しかし何かが決定的に違う。それが何か答えられないが、ただ一つ言えるのは、この鬼を逃がしてはいけないということ。

「鬼、名はなんという」

「茨木童子」

そんな予感はしていたが、やはり。

「悪いが、仲間にはならない」

綱は提げていた太刀を抜き、振り向きざまに一刀。

しかしそれは空を斬る。避けられたのだ。

茨木童子は一丈にも届きそうな身の丈に変じており、角は大きく五本、猛獣の如き牙が生えている。

その口で、なおも茨木童子は綱に誘いの言葉を投げかけた。

「お前も人を喰って見ろ。美味いぞ。何より、体大きく力強くなれる」

「いらん。人は人で強くなる術を心得ている」

腰を低くして、綱は地面を蹴り上げる。

茨木童子の全身に太刀を無数に浴びせるが、動きを読まれているかのようにかわされた。

強い。

一度茨木童子から距離を取り、隙を伺うも、

「なんだ、こちらの番か」

と言って口に火球を作り始める。

一瞬で人頭大の大きさになった火球は綱目掛けて飛んできた。

思いもよらない攻撃に、綱はぎりぎりになってそれを避ける。

避けた後ろには塀があり、火球は塀に当たると大きく爆ぜて消えた。

その際爆音と閃光が放たれたことから、周囲は騒然とし出す。

すでに暗くなった外に出歩く人はほとんどいなかったのだが、塀の内側から人が出て来ては茨木童子の姿を捉えて悲鳴があがった。

茨木童子のほうは餌である人間が出て来てにたりと嗤っている。

もはや猶予する暇はない。

奴が人間を手にかける前に、茨木童子を倒さなくては。

綱は再び太刀を握り締め茨木童子に向かって行ったのだった。

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