第14話
金時の目には朽ちた塀、屋敷、大きな沼のような水たまりが写っていた。
それだけでなく、ボロボロの布切れを纏っただけの人々、横たわったまま動かない…死体。
「…ここも都なんか」
さきほど見た豪奢な朱雀門を思い出す。まるで異界に迷い込んだように胸がざわざわと騒ぎ出して落ち着かない。
見てはいけないものを見てしまった。そんな気持ちにもなるが、金時はその光景から目を離せなかった。
貞光が金時の横で説明してくれるのをぼんやりと聞く。
「昔はちゃんとここも人が住んでいたらしいけどな。水たまりあるだろ。雨が降るとああやって沼みたいになっちまうんだよ。それで人がどんどん左京にやって来て、今こっちはこんな有様」
「なんとかせんのか」
「なんとかはしているみたいなんだけどな。水が溜まらないように水路を引いたり。でも根本的に改善はできてないんだよな」
腕を組み、そう溜息を吐く貞光。
目線は、荒れたとさえいえる右京の南端をしばらくの間見つめていた。
その心裡は分からないが彼からは歯痒さのようなものを金時は感じる。
「で、警護の話なんだけど」
どれほど黙っていただろうか。
実際はそんなに長くはないのだろうが、貞光の声にはっとして金時は貞光の方を見る。
貞光はもう沼を背にして北に向かって歩き出していた。
慌てて後を追う金時に貞光は続ける。
「夜勤あんだよ。群盗は夜に来ることが多いからな」
「群盗?」
「大人数の軍団になって、盗みとか殺し。馬駆らせんの上手いから、捕まえるの難しいんだよな」
「馬か」
「そう、馬。さっきも言ったけど、警護は人手不足なんだよ。何十騎もいっぺんに来たってせいぜい四、五人しか捕まえられない」
「人増やせんのか」
「だから金時連れて来たじゃん」
「そういうわけじゃったか」
「そういうわけ」
貞光はすっかりいつもの調子に戻って笑っている。
その顔に安堵して歩くと、だんだんと塀が小ぎれいになっていくのに気が付いた。
右京の中でも比較的北の方はましということか。
そして武装して馬に乗り、辺りを見回す男がいることにも気が付く。
金時が何かを訊ねる前に貞光がその男を指差した。
「あれ、警護の武官な。頼光様の同僚。つうか後輩。挨拶しとくか」
するとすぐにその男の元へと駆け出し、金時も後に続く。
男はすぐに貞光に気づいたようで、大きく手を振った。
その顔はずいぶんと若い。
「貞光さん!おぉっ!なんや、でっかい鬼連れとるやないですか!」
声も随分大きいが、その弾みは人懐こさを表す。
「
金時はそう紹介されてとりあえずぺこりと頭を下げた。急な紹介で何を言ったらいいのか分からずにいるが、そんな金時には構わずに貞光が金時の顔を見て男の名を明かす。
「で、こいつは
足柄山の麓の村、そんな旅人も立ち寄らない閉鎖された村にずっといたせいか、こういう時なんと言うべきか金時は悩む。頼光や貞光たちとはどうだったか思い返すが、その時はもう悪徳修験者と相対してごたついていたため、うやむやになっていた。
金時の戸惑いなど意に介さない様子で、保昌な大きな声で、
「金時さんですね!よろしくお願い申します!」
と勢いよく馬上で頭を下げる。
「こいつ、声と動きはでかいけど悪い奴じゃないから」
「はい!」
「自分で返事すんな」
貞光と保昌のやり取りがおかしく、金時の口角が上がった。
都の人間、貴族、武官…思えば、金時は無意識に彼らを気難しい人間だと思い込んでいたのだろう。金時のような、地方の田舎からやって来た者にも保昌はにこやかに笑いかけてくれた。
貞光の『嫌な奴ばっかじゃない』という言葉を思い出す。
そして荒廃した右京の南。
守りたい。
貞光たちのそんな思いが金時にも沸き上がった瞬間でもあった。
と、その時。
微かに悲鳴のような声が金時の耳に届く。
貞光、保昌と顔を見合せ、声のする方へ駆け出した。
「保昌!今日の右京の当番は?!」
「俺だけやねん!夜と左京の方に人員割いとるんや!」
保昌の駆る馬と同じ速さで貞光と金時は走る。
ちらりと保昌を見れば、すでに太刀を抜いている。
「チッ···丸腰だがしょうがねえ。金時は大丈夫か」
「なんとか」
舌打ちした貞光に金時はそう控えめに答える。
猛獣に対しては難なく追い払える金時。
悲鳴混じりに聞こえるのは馬の蹄。
弓や太刀にどれだけ対抗できるかは分からないが、馬を駆らせているなら勝機はありそうだ。
そう考えた。
走ってたどり着いたのは、右京の中でもちょうど都のど真ん中に近い所。
十騎を越える騎馬が弓矢を構えながら朱雀大路から出入りしている荷車を襲っていた。
群盗という連中だろう。
保昌が素早く弓を射ると、矢はその内の一騎の馬の脚に当たる。
見事な弓の腕だ。
だが、倒れた馬から落ちるかに思われた群盗の一人は素早く身を翻し、今度は太刀を抜く。
その後ろでは人を殺し荷車の荷を奪う仲間。
手慣れた動きは常習であろう。
「許さへん!」
激昂した保昌が先ほどの男と太刀を交える。
馬を巧みに操る保昌だが、敵も相当の腕であろうことは金時にも分かった。
貞光は跳躍力と脚力を生かして馬上の敵を蹴落とそうと奮闘する。
しかし貞光は体が軽い。人間では到底できぬ体術であるものの、飛んで来る矢に注意を払いながらでは威力はそう出ない。
手強い相手に対してどう対抗するか。
考えるより、感覚を研ぎ澄ませる金時。
敵がすぐ近くで金時に向かって弓を構える。
その瞬間を逃す手はない。
金時は馬の首をがっちり掴み、抱えあげた。
乗っていた男は体勢を保てず落馬。
馬を抱えたまま男の腹を踏めば、呆気なく男は気を失う。
その怪力に絶句する群盗たち。それと保昌。
生まれた隙を逃さず、今度は的確に群盗を蹴落とす貞光、抱えた馬を他の馬に投げつけて倒す金時。
一度怯んだ敵は崩しやすい。
人数的不利をものともせずいつの間にか群盗は全員地に転がっていた。
その有り様に一番感嘆したのは保昌である。
「お、おぉぉ!すごい!一人も逃さず縄をかけられるやん!」
保昌はそう感動の声を上げながら馬から下りると、腰に輪状にして提げた縄を群盗にかけていった。
貞光と金時もそれを手伝いながら、貞光が金時に向かってニヤリと笑う。
「やるじゃん、金時」
金時としては運が良かったという思いもあるが、結果を見れば、
「役に立てたみたいで良かったわ」
という言葉に尽きるだろう。
保昌に至っては涙ぐみながら、貞光と金時にしきりに礼を言っていた。
「貞光さん、金時さん!ありがとうございます。ほんまに、ありがとうございます!」
いくらなんでもそこまででは、と金時は感じるが、貞光がこっそり耳打ちすることには、
「人手不足って言ったろ?群盗を追い払うのが精々で、全員を捕まえられるなんてことほとんどねえんだよ」
らしい。
縄をかけ終わった彼が金時と貞光の手を握りながら、なおも頭を下げるのだから確かに相当のことなのかもしれない。
そしてこの平井保昌、馬から下りてみると鬼のようにでかい。
金時には及ばないが、目線は貞光よりかなり高いところにある。
人のように小柄な貞光に、鬼のようにでかい保昌。都ほどの大きな場所ではこういう者もいるのが自然ということか。
感慨深く保昌を眺めていると、次第に騒ぎを聞き付けて左京から応援が駆けつける訳だが、興奮した保昌が饒舌に金時をその武官たちに紹介するものだから金時は大層居心地の悪い思いをしたのだった。
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