第12話
朝餉を終えた金太郎は貞光に連れられ、さて市中を歩こうかという時頼光に呼び止められた。
「悪いな、金太郎。急で悪いとは思ったが、この都ではきちんと姓名があった方がいい。身元の証明みたいなものなんだが」
確かに急なことで、金時は驚く。
金時が驚くのも承知だったようで、頼光はゆっくりと続けた。
「
村を出てからというもの、名を改めるという発想は金太郎にはまったくなかった。
なので、どうだろうと言われても金太郎は即答できない。
そもそも断れるものでもないのだろうと思い至った時、貞光は別のことで驚いていたらしい。
「え、頼光様ずっと考えていたんですか!」
だとすれば余計、拒否できるものではない。
しかし頼光は首を横に振った。
「いいや、これは晴明様の提案だ。名について夕刻に何か話して下さるそうだ。この名で良いだろうか」
坂田ということは父の姓を名乗れ、ということであろうが、金太郎にとって父親はいないに等しい。
ましてや、聞いた限りでは母を捨てたとも思える男。父親であると正直認めたくはない。
しかしそれは単なる我が儘であるという自覚もある。
「頼光様がそうしろというのなら、拒否する理由はないじゃろう」
十分気を付けたつもりではあったが、不満が顔や声に出てしまったのだろう。頼光は目をすっと細め、優しさの増した声で金太郎に語り掛けた。
「···そうか。あのな、坂田蔵人様は八重桐殿を捨てたのでも、忘れたのでもないぞ。貞光、そうだよな?」
「はい!この貞光、頼光様より先発して帰京し、坂田蔵人様を知る方を探して情報を巻物にまとめておきました。もうご覧になったのですか」
「あぁ。真面目で実直な方だと聞いたことがある。どうしても、好き合った女性を放っておくとは思えなくて夜の内に目を通しておいたよ」
頼光はその巻物を懐から取り出すと、金太郎に渡した。
広げて中を見ると、少々雑に、そしてかなりの数の文字が書かれていた。
「坂田様はな、行方不明なんだ。大江山に巣くう鬼退治。帝直々のその勅命を受けそこに向かったが、それきり坂田様とその従者は誰一人として帰っていない」
巻物には確かに大江山の文字。その年を見れば金太郎が生まれる少し前のことだとわかる。
複数人の誰かの名前があるが、今回証言してくれた方の名だろうか。
大江山に向かう少し前、今度は足柄山の地名を見つける。常陸まで行った帰りだったらしい。相当に激務だったのだろうかと、金太郎は父に対する考えが変わりつつあった。
「迎えに来ないのではなく」
「そう。行けなかったんだ」
金太郎の迷いを晴らすような、頼光の優しくも力強い声。
「坂田の姓に金時の名。どうかこの名を信じてみてはくれぬか」
「分かりました」
信じてくれ。目を見てはっきりとそう言う頼光に、金太郎改め金時は頷いた。
「ありがとう。じゃ、俺は近衛府に出仕してくる。貞光、金時を頼んだぞ」
「御意!」
貞光の大きな返事を聞くと、頼光は手を振って去って行く。
名が変わったことに気恥ずかしさを覚えつつ、これで本当に家臣になったのだと金時の気は引き締まった。
そんな金時の余韻は何処吹く風といった声の調子で、貞光が金時の高い位置にある肩を叩く。
「うし!じゃ金時。ここから羅城門に行きながら色々見ていくか。迷いやすいからな、気をつけろよ」
そう言う貞光について外に出ると南に向かって長く続く塀が見えた。
頼光邸から西側に位置するそれは都で一番重要な場所だという。
「大内裏な。帝おわす皇居、その他頼光様の職場である近衛府とか、そういうのが入っているんだけど、基本的にオレたちが入ることはねえな」
そう言って貞光は大内裏と反対方向に歩き出した。
「次、すぐ近くだけど、よく来ることになるぞ。安倍晴明様の屋敷」
貞光に指差された家を見る金時。貞光は説明しながら、今度は道を指す。
「頼光様の屋敷は一条大路、そこから大路を一つ抜けた晴明様の所は土御門大路って言うから」
指差された場所をぐるりと見てみるが、その金時の感想は、
「景色が全く同じに見えるんじゃが」
ということ。
「ハハハ。碁盤目状になっているからなあ。どこみても一緒なんだよ、確かに」
迷いやすいというのはこういうことかと金時は納得する。
「まずはそうだな、大内裏なら大抵のところから見えるからそこまで来て、塀をぐるりと伝ってくれば頼光様の屋敷までは来られるぞ」
「おう、それだけは忘れんようにするわ」
「ちなみに正門は···ほら、そこ。朱雀門っていうの」
案内された朱雀門は確かに迷った時の道標になりそうだ。
朱雀門の前の大路は朱雀大路。まっすぐ南に下れば羅城門。そこまでの距離、約一里。幅は二十丈以上ありそうなほどに広い。
「朱雀門を東西に通る道が二条大路、南に下って、大きな路を三条、四条…九条大路。小路はまあ、おいおい覚えりゃいいか」
ゆっくり歩きつつ朱雀大路を南下して行く二人だが、路は白い塀で囲まれている。ほとんど門が見えないその光景は金時の目には異様に写った。
碁盤目状の町や朱雀門は確かに美しいのだが、高く白い塀が人々の暮らしを隠そうとしている。
都とはさぞかし華やかなのだろうと思っていた金時。ふと、平安の都の闇のようなものを見てしまった心持ちになる。
そんな金時の顔つきの変化に貞光は気づいたようで、
「どうした?」
と、訊ねて来た。
異様だ、という感想は伏せて、金時は当り障りない言葉を選ぶ。
「…塀ばかりじゃなあ。余計路がわからんくなるわ」
「塀ばかりだよなあ。まあ、都合の悪いもんは隠しておきたいんだろうな」
貞光の言葉に金時は驚いた。
心でも見透かされたような物言いに、金時の胸の音が大きくなる。
「都合が悪いもん?」
「都はさ、綺麗じゃなきゃいけないんだよ。あと、都に住む人な。それが帝や貴族の神秘性に通じるんだと」
「そうなんか」
「変わんないけどな。オレから見れば」
何と何が変わらないのか。
分からぬといった顔の金時に、帝も貴族も結局人間なんだと言い添える貞光。
そして急に笑い出した。
手招きして金時を屈ませるとあろうことか、
「大きい声じゃ言えねえけど、大貴族様なんて性格悪い奴多いから」
そう耳元で囁く。
その貞光の声と顔は悪戯めいていて童子のよう。
ただ、こうはっきり『性格悪い奴多い』などという貞光が何故都を守る仕事をしているのか。金時は純粋に疑問に思った。
「じゃ、なんで都の警護なんてしとるんじゃ」
「んー?そりゃあれだよ。いくらなんでも嫌な奴ばっかじゃないもん」
「それもそうじゃの」
おかしなことを聞いたもんだと、金時は頭を掻く。
「鬼、つうか、人外つうの?寛容だしな。ほら、金時が歩いていても、誰も騒がねえだろ?ジロジロ見られちゃいるけど」
確かに先ほどから視線が刺さる。そのほとんどは『でかい鬼』と言って去って行くだけ。気分のいいものではないのは確かだが、害がないのも確かだ。
なんとなく大路を歩く人々を見ていたら金時はあることに気が付く。
「東側に人が流れていくのう。なんかあるんか」
塀があるせいでよくわからないが、東側も西側も全く同じだとつい錯覚する。
しかし人が集まるような何かが東にあるのかと、金時は貞光に尋ねたのだ。
「よく気付いたなあ。じゃ、ちょっと右京にも行ってみるか」
「右京?」
「朱雀大路から西。一番見られたくないもんかもな」
「見てもええんか」
「言っとくけどな、警護は人手不足でさ、忙しいぞ。その警護していたら、いずれ見ることになるから」
そう語る貞光はにこやかな笑みを浮かべつつも目は真摯で、どことなくちぐはぐな印象に見えた。
貞光について右京に向かう。
するとそこには、華やかで優美に見える都とは別の顔をした都の姿があった。
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