第4話
家から村までの山道から少し外れ、まだ食えそうな山菜採りに勤しむ大男。頭髪は銀、さらに二本の鬼の角が生えているが、特に隠すことはしていない。
名は金太郎。
身の丈は七尺に届きそうなほど、腕、腿の太さは相当な剛腕であることを窺わせた。実際大熊と対峙しても簡単に相手を投げ飛ばせることはできる。
しかしながらそれと気性は別。投げることと殺すことは同義ではない。
懸命に生きる者に、金太郎は等しく優しい。
そのように生きることを教えてくれたのは母親だ。
人間と鬼。母と子。父は知らない。
元々村に住んでいた母は人間。山奥にひっそりと暮らすようになったのは間違いなく、鬼である金太郎を生んだせいであろう。
何故人間が鬼を生んだのか金太郎にはわからない。母にも分からないらしい。
しかしながら母は金太郎が人の中で暮らせることを諦めなかった。
頻繁に金太郎を連れて村を訪れては、山で採れる実や菜、川魚を米と換えたりして交流を続けている。
金太郎が成長し、体大きく力強くなってからはもっぱら肉体労働としての手伝いの方が多くなった。
母と金太郎の、そうした努力は村人との関係を良好に保っている。
そんな金太郎に母は毎日のように言う。
『決して怒ってはいけない』と。
鬼である金太郎が人々に恐怖を与えるのは容易い。その上、一度恐怖を与えてしまったら、元の関係に戻るのは難しい。
金太郎は自分以外の鬼を知らぬが、幸いにして気性は穏やかであるらしく、母のその言を守るのは難しくない。
だから今の生活に満足しているし、なんの不満もなかった。
しかしながら、日常は突如一変することもある。
山菜採りをしている金太郎の目の前に、旅人と思われる男が現れたかと思うと、突然その男が倒れてしまう。
「おい、どうしたんじゃ!」
倒れた男は血に塗れており、その後ろには髭面の男。
頭に黒い小さな箱を乗せ、着ている物は白装束、金色の細い布地に菊様の飾りが着いたものを掛けている。
見たことのない恰好だ。
手には、刀。
大量の血の付いたそれを見て、金太郎はとっさに下手人であると悟る。
「チッ!」
男は舌打ちしてすぐに逃げてしまった。
「待たんか!」
叫んで金太郎も追いかける。
山に慣れた金太郎から逃げられるはずもない。呆気なく追いつき、金太郎が男の肩を掴もうとした時だった。
振り向きざまに、男が短い杖のようなものを取り出したかと思うと、次の瞬間にはバチリと、右腕に痺れのような衝撃が走る。のみならず、全身の力が抜けて金太郎は膝をついてしまう。
「やれやれ…見られてしまうとは不覚。まぁ、十分稼いだか…」
そうぼやきながら男は、金太郎に向かって刀を振り上げた。
世間というものをまるで知らぬ金太郎ではあるが、この男が殺しを重ねてきたことはさすがに分かる。
分かってしまったら、金太郎の腕に力が戻った。動かすと鋭い痛みが走るが、動かぬよりはましに違いない。
自身目掛けて振り下ろされる刀の刀身を、金太郎は手の平で握る。血が噴き出す手の平の痛みと、腕の痛みで金太郎の顔が歪んだ。
「動けるのか!」
男はひどく焦ったような顔を見せるが、逃がしてはいけないという思いから金太郎は一層腕に力を籠める。
「お前…ああやって何人も殺したんか…っ?」
男を睨みながら金太郎は声を絞り出した。
しかし男は信じられない言葉を吐く。
「いいや。殺したんは鬼よ。つまりお前だ!そして人殺しの鬼はオレに退治されるのだ」
ニタと嗤って男は、刀を放り出す。再び杖を振った瞬間、金太郎にバチバチとした強い痺れが走った。
気を抜けば意識を失ってしまいそうな衝撃に、金太郎もなんとか踏ん張る。
決して怒ってはいけない
そう言い聞かされて育った金太郎に、初めて沸き起こった怒りの感情。
自分自身のその感情、それに抵抗しきれないことに戸惑っていると、金太郎にとって最悪の状況に陥ってしまう。
「そこにいるのはどなたですか?もう日が暮れますよ」
男の背後から、女性の声がした。
穏やかな話しぶりのその人は金太郎の母親である。
「いかん!逃げろ!」
咄嗟に金太郎は叫んだ。
駆け出そうとするも、こちらも激痛が走って足がもつれてしまう。
「金太郎?どうしたの?」
初めて異常な事態に気づいたのだろう、母は青ざめて金太郎のもとに駆け寄ろうとした。
しかしその母を。男の凶刃が襲う。
血を流して倒れた母。
一体何が起きたのかすら分かっていないようなまま、金太郎の目の前で母は殺されてしまった。
これまでの怒りをさらに超えて、金太郎の怒りは爆発する。
獣の咆哮の如き雄叫びに山が大きく震えたのだった。
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