締め切りを守れないだけで!?
与一
締め切りを守れないだけで!?
専業作家・
最悪休載でもやむを得ない事情な上、初めてのことだ。それほど怒られることはないだろうと、間に合わなさそうだと思った時点で早めに連絡をした。
しかし、担当編集は
『絶対に守らせる』
『地の果てまでも追いかける』
『逃がさない』
と穏やかではない返信をしていた。
「……ジョークだよな……?」
どちらにせよ彼相手では話にならない。入院している病院で編集長に連絡をしようとしたところ、急に視界が明滅しだす。
「ん……? 照明の不調か……?」
それにしてはおかしい。まだ外は明るいのだ。いかに照明の調子が悪くとも、こんなにはっきりと視界がおかしくなったりは──
「……ここは……」
衛は暗闇で身体を起こした。
「気絶したのか? 頭は打った覚えないが……にしても暗い……今何時だ?」
持っていたスマートフォンのスリープを解除する。眩しさに瞳孔の収縮を感じた。
「(時間は……最後に画面見てた時と一緒だな。……『圏外』?)」
病院は街中にあり、なおかつフリーWiFiまで置いている場所だ。圏外になることはまずない。こんなときに携帯が壊れるような偶然が起こることもないだろう。
そういえば、ここは自分の病室のはずだが、廊下を歩く誰かの足音もなければ近隣の病室への見舞いの会話も聞こえない。
「うーん……? とりあえず、ナースコールを……」
ベット脇にあるナースコールを押す。が、しかし反応がない。
「……停電にしても妙だな」
試しに部屋の電気のスイッチを押すが、何度押しても点かない。近くにあったテレビのスイッチにも反応はなかった。
一度落ち着いて部屋全体を探索してみる。彼自身の荷物も、ゴミ箱の中身もない。持っているのはスマホだけだ。
再びざっと見回して大きくため息をついた。
「とりあえず、外に出てみるか。誰かいれば話を聞けるかも」
病室を出ると、廊下も真っ暗だった。人の足音どころか、自分以外の呼吸音すらしない。
「……暗いな。流石に明かりなしでは難しいか」
スマホのライトを点けた。
「充電が切れるか、助けを得られるかどっちが先になるか……とりあえず隣の病室に入るか」
705号室。病人の姿はない。それどころか、誰かが入院していた気配もない。しかし、ベットの上には大学ノートが放置されていた。
「何でこんなところにノートが……『締切を守らせる10の方法』? そんなものあるなら、どんな作家も困らないだろうよ」
そう言いながらも興味本意で表紙を開く。
「『1、予め短めに伝えておく』……はは、それはいい。『2、語気は弱めに』確かに、それは色んなことに共通するかもな」
他にもどちらかといえば教育方針のようなものがつらつらと書き連ねられていて、特出すべき事項はない。
「『もし、何度も締め切りを守らない場合』……?」
少々不穏な文章に眉を寄せてページを捲る。そこにはページいっぱいに
『何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる何としてでも守らせる』
と殴り書きされていた。
「ひっ……!」
ノートを思わずベットに放り投げる。
「は、ははは……ちょっとビビリになったかな……まあ、こんな状況だしな……はは、はは……」
もう一度ノートを見ると、びっしりと書かれた部分は無くなっていた。
「き、気のせい……? いや、でもあのページが気のせいなんてことあるか……?」
その代わり、人物名が多く列挙され、横に備考らしきものが書かれているページが見つかった。
「……これ、どっかでみたような……」
ノートと睨めっこしながら少し考え込む。この、微妙に知っているようで知らない字面は……
「ああ! 大御所の作家先生!」
思い出してスッキリした後もう一度見直すと、名前の横に『4月21日 編集済み』と書いてある。
「……ん? 最後に俺の名前が……備考には、今日の日付しか書かれてないな。編集とやらが済むかどうかは俺次第といったところか」
ノートを再びベットの上に置いた。
「……これ以上調べることもないし、外に出るか。……嫌だなあ……」
どうしても暗い病院というのは恐ろしい。しかも、どうして今のような状況に陥っているのかも分かっていないなら尚更だ。
「……人は未知をこそ恐れる。嫌ほど擦ったネタだが、自分だと死ぬほど嫌だな」
スマホのライトを点けて廊下を照らした。
「……ん?」
空気が違う。さっきまでは空気の全てが自分にだけまとわりついていて、音は自分だけのものだった。ただ、今は違う。何かの音が他にある。
「ナースステーションの方から……何か聞こえる……」
この病院は中庭のあるロの字型の病院で、迷ってもぐるりと一周すれば元に戻ってこれる仕様だ。ナースステーションは現在位置から見て反対側に当たる。
「……エレベーターもそっちにあったような……じゃあ、この音はもしかして誰かが来るってことか?」
こんな異空間なのだから生存者だと思うのに、心の底で恐怖している。
──味方じゃないと、確信している。
「(どこに隠れる!? 俺の病室はダメだ。相手が俺を狙っているなら当然来るはず。ただこの705号室にも隠れる場所はない。……入って鍵を閉めるくらいはできるか……?)」
エレベーターが開いて誰かが降りてくる音がする。足音は明確にこちらへ近づいてきた。
「(しまった、スマホのライトを反対側の窓から捕捉された!)」
ライトを消してとりあえず705号室に入り、鍵を閉める。
「(相手が持っているのは引きずるほど重い金属性の物だろう。じゃあ、扉から距離を置いて……もし開かれたら……あとは……あとは……どうすればいいんだ?)」
空のゴミ箱を拾い、扉からベットを挟んで反対側に隠れるように座り込む。
「…………」
足音が聞こえてきた。彼自身の病室が開いた音がする。いないことに気づいたのか、もう一度扉が開く音がした。
そして、隣の……こちらの病室の前で足音が止まる。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ
引き戸を無理矢理開けようとしている音に息を呑んだ。ゴミ箱を握る手に力が入る。
バキン!!!
「(嘘だろ壊したのか!? 古い木造ドアなんかとは訳が違うんだぞ!)」
何事もなかったかのように何者かは扉を開けて入ってくる。
「シメキリ……センセイ……」
「(俺の名前を知っている! しかも作家なのもバレてるときた!……しかしこの声……どこかで……)」
闇に慣れた目がぼんやりと輪郭を捉える。
「……え、
思わず上げた声に気付き、男は首をぐるりとそちらに向けた。
「シメキリ……ヤブルモノ……ヘンシュウ……スル……」
衛は身体を起こしてゴミ箱を構え直す。相手は持っている長物……身の丈以上の万年筆をこちらに向けた。
「ヘンシュウ……シテヤル……!」
「いやそうはならんやろがい!」
槍のように突き出された万年筆をゴミ箱で下からすくい上げるように逸らし、彼の背後に回ると、壁の方へ追いやって距離をとる。
「編さん、何でこんなこと……!」
「ヘンシュウシテヤル!」
もう一度突き出された万年筆をかわして、掛け布団を編に掛けると病室から逃げ出す。7階で止まったままのエレベーターを開き、1階へのボタンを押して自分は乗らずにナースステーションの中に入る。
「(これで、俺は一階に降りたと錯覚するだろう。何も対処する方法がないまま密室にいるなんて冗談じゃないからな)」
ホラーゲームでも、条件を満たさない状況でエレベーターに乗るのは基本的に危険だ。1階に降りたと思わせておいて、この階で使えるものを探そう。なければ非常階段で降りてしまえばいい。
「(編さんが行くまでここでじっとしていよう)」
足音がエレベーターの前で止まる。しばらく待っていると、エレベーターに乗って去っていく音がした。いくら何でも、あの長物を持っているのに音を消すなんてできないだろう。
「…………」
信じがたいし、言葉にするのも馬鹿らしいが、編が締め切りを破る作家をあの万年筆で襲っているのだとして、今の自分は冠婚葬祭+インフルエンザ+事故の被害者だ。読者の大半は原稿を落としても理解してくれるはず。なぜあんな形の実力行使に至るんだ!?
エレベーターが去ってしばらく。締切は立ち上がってスマホのライトを点けた。
「さて……何か役に立つものがあればいいが」
ナースステーションを軽く見回す。すると、机の上にバインダーが置かれていた。
「……ん? これ、俺のカルテか。ちょうどいいところにあるものだな。……持っていくと困るだろうし、コピーできれば締切に間に合わないことをちゃんと証明できる」
ただ、見つけたコピー機には『コピー機故障中。2階の事務室のを使ってください』と張り紙がされていた。
「うーん……困ったな。ああ、でもこれ有線でスマホから送れるタイプのコピー機か。二階も同じタイプなら写真を撮っておけば印刷できるかも。デジタルお薬手帳のスクリーンショットを撮って、あとは……妹の結婚式で撮った家族写真を持っていけば、証明になるはず」
スマホのカメラでカルテを撮影する。
「欲を言うなら専門用語を解説してくれる本とかあればいいんだが……そんな初心者向けの本がこんなところにあるとは思えないな……ネットも使えないし」
締切は医療系の作家ではない。小説を書くために多くの情報を集めるといっても、この手の内容はさっぱりである。
「他には何か……あ?」
一枚、古い紙が足下に落ちていた。拾い上げると、そこには以前に巻き込まれたらしい他の作家の書き残した文言が記されていた。
『巻き込まれている哀れな同類よ。この空間では小説の主役と思って動くがいい。編集者が、主人公を殺すなどあってはならないのだから』
「……この言い方……もしやここは異空間なのか? それに……主役と思って動け? どういうことだ……?」
謎は深まるばかりだ。ただ、このメモを残した人物が味方であるということは察することができた。
「他にもあるかもしれないな。探すのは大変だろうが、きっと役に立つだろう」
メモの内容も写真に撮って記録した。
「……何があるのか覚えておかないとな。後々何が必要になるのかわからないし」
もう一度ナースステーションを見回すと、恐る恐る廊下へ出た。
「いないな。……よし、とりあえず各病室を軽く見て回るか。あのノートみたいに何かあるかもしれない」
静かに歩きながら病室を開けて回る。行ってない部屋は六つある。ドアが荷物などで塞がれていないのはそのうちたった三つだった。
重い荷物は全身で動かそうとしてもピクリとも動かない。締切は怪我をしていても一応成人男性だ。
「(もし制作者であったらここは使えない部屋として処理するが……そうやってスルーしていいものか。まあ、どうしようもないのも事実だが)」
積まれた荷物の山を眺めてため息をついた。
「……とりあえず、開く部屋だけ探索してみるか」
702号室。ここには、人形がぎっしりと置かれていた。
「子供が入院してたのか? にしてもこの量はやりすぎだろ。寝るところがない」
とにかく怪しい人形のあたりを探ってみると、指先に何か尖ったものが触れた。
「うーん……あ、プラスドライバー。何でこんなとこに」
少し調べてみると、先が変えられるタイプのプラスドライバーだった。
「マイナスの芯を探せば付け替えられるかも。どちらにせよ、使えるな」
ポケットにドライバーを仕舞い、探索を続けてみる。
「ん、このぬいぐるみ……何か入ってる」
ぬいぐるみに何か硬いものが入っている。そのぬいぐるみを触ってみれば、一箇所縫い目がほつれていた。そこから指を突っ込むと、硬い何かをつまみ出す。
「……鍵?」
鍵にはメーカーと思わしき文字しか刻印されておらず、どこのものかはわからない。
「……病院内で使えるといいが」
鍵もポケットに入れて、部屋を出た。
「こんなものか……あと開いてたのは703と707だったな」
703号室。一見何もないように見える。
「何かあれよ〜? 頼むから……」
テレビ台の引き出しを開けると、何かが入っていた。
「やった! これは……病院の地図か?」
ただしその地図には落書きがされており、1、2、7階以外にはバツが書かれていた。
「……これは……? 探索範囲は狭いってことでいいのか?」
そういえば、締切自身もその三階層以外行ったことがない。巻き込まれた人間の思考を反映しているのだろうか。首を傾げつつも地図を畳んでポケットに仕舞った。
「よし、次が最後だな」
707号室。そこにはベットすらなく、ぽつんと箱が一つ置かれていた。
「…………?」
『嘘つきは誰だ』
箱にはそれだけ書かれている。箱は開かない。
「よくある嘘つき探しか。言葉遊びだな。しかし、どこに嘘つきと正直者が?」
顔を上げると、周囲に五つ首から看板を提げたマネキンが立っていた。
「!? い、いつの間に!?……なるほど、こいつらの誰かが嘘つきってわけだな」
マネキンの看板の顔にはA〜Eのアルファベットが振られ、看板には以下のようなことが書かれていた。
A「私は正直者です」
B「Dは本当のことを言っている」
C「Bは嘘つきだ」
D「Eに同意」
E「AかBかCの中に嘘つきがいる」
F「Eと私は正直者」
「……こういうのは、一人ずつ逆のことを言わせればわかりやすい。スマホのメモ帳機能で整理するか」
全部を書き出し、文面をいくつかコピーした後、一人ずつ逆のことを言わせてみる。
「……なるほどな。嘘つきはC、お前だ」
マネキンに向かってそう言い放つと、後ろで何かが開く音がした。
「箱が開いてる。今ので良かったってことか。中身は……え」
スマホの光に照らされて反射する黒い金属製の物体。おおよそ日本で生きている限り、実物を目にすることは少ないもの。
拳銃が、そこには入っていた。
「…………こんなものが、役に立つっていうのか?」
ずっしりとした重さはそれがレプリカではないことを示していた。ホルスターに入ったそれは、腰の位置にセットして持っていくことができそうだ。
「……? メモが入ってる。ナースステーションで見たのと一緒の紙……」
『ぶっ放すことだけ考えてないか? それでは不合格だ』
「…………」
少し考えた後、彼はホルスターの上から銃を握りしめる。
「よし……行くか」
エレベーターの前を見て、回数表示が1階であるのを確認する。
「(まだ1階で俺を探し回っているか、非常階段で俺を待ち構えているか……だな)」
これは賭けだ。
「……何があっても、逃げ切らないとな」
内心で覚悟を決めて非常階段のドアに手をかける。
「あ、開かない。非常ドアなのに鍵が掛かってるのか?……鍵……そうか」
先ほど702号室で手に入れた鍵を差し込んでみる。カチャ、と音がしてドアが開く。
「よし、開いた。静かに降りるか」
念のため非常階段の内鍵を閉めると、ゆっくりと階段を降り始める。
進んでいる途中、あることに気がついた。
「(そういえば階数表示はあるのに、扉がないな)」
扉のない階は703号室で手に入れた地図のバツ印と合致する。入れない、という意味だったのだろう。
「(どちらにせよ、用があるのは2階だから今のところは困らないが)」
二階まで降りてくると、やっと扉が見える。
「ん? 開かない? ここに来て? そりゃないだろ……あ」
鍵ではない。鉄のプレートがネジで止められている。
「ここでドライバーか」
ポケットから取り出したドライバーでネジを外す。
「ネジ山が合ってて良かった。ネジとプレートは……一応持っていくか」
ポケットにネジとプレートを突っ込んで、2階へと入った。
「……随分と荒れてるなこりゃ……」
7階と異なり、随分と散らかっていた。病室に向かう道は塞がれ、ナースステーションの方にのみ向かえる状況だった。
「……まあ、目的地はこっちだしな……」
ナースステーションに入ると、すぐに目的のコピー機を見つけた。
「参ったな……これじゃ使えない」
コピー機を使おうとするも、スマホと繋ぐケーブルボックスがネジで封印されている。しかもプラスドライバーでは開けられないネジだ。ケーブルボックスには『ドライバーの場所:たらちねの』と書かれている。
「『たらちねの』? これが場所のヒントなんだな」
ホワイトボードには、最近模様替えか配置換えがあったらしく、席順の紙が貼られている。所々汚れていて『山鳥・天野・三笠・母屋』の4人の名前しか分からない。
「このうちの誰かの机にあるってことか」
4人のうち誰でもない机には、その人の子供のものであるらしい古典のテストが置かれているのを見つけた。点数は芳しくない。赤いペンで復習したであろう言葉が書かれている。
『あしひきの→山
◯◯◯◯◯→天
おほきみの→三笠
たらちねの→⬜︎ 』
所々字が汚くて読めないが、ホワイトボードを参照すると、誰が『たらちね』に応じているかがわかる。締切は『母屋』の机へ近づく。引き出しを開けるとマイナスドライバーの芯が見つかった。
「枕詞『たらちねの』の対になるのは母。懐かしいな」
ドライバーを付け替えてケーブルボックスの封印を解く。自分のスマートフォンから先ほど撮ったカルテの写真と、お薬手帳の写真、妹の結婚式で撮った集合写真を選択して印刷した。
「(ここでできることはこれくらいだろうな……)」
印刷物を畳んでそろそろいっぱいのポケットに押し込み、ナースステーションを出ると、エレベーターの前を通って、非常階段の方へ向かう。さてあとは一階だけだと非常階段の扉を開けようとした瞬間、エレベーターの駆動音が聞こえた。
「!」
何の確証もないが“来る”と確信して非常階段へ入ると、マイナスドライバーであることに構わずプレートを留め直した。
「はーっ……はーっ……」
息が荒い。走ったわけでもないのに心臓の鼓動がうるさい。
「7階に上がったんならいいんだが……」
息を整えると、踊り場に本が一冊落ちているのに気がついた。
「……とにかく、一回降りてから、どこか落ち着けそうな場所で読もう」
通り際にそれを拾って1階へと降りた。外側から鍵を掛ける。
「……いなさそう、だな」
エレベーターを確認すると、ライトは7階を示していた。ただ、2階の探索可能エリアの狭さをみると、すぐに7階にいると判断して移動した可能性もある。
「(それか、俺を騙すためか)」
とりあえず今は自分以外の存在を感じない。一旦は落ち着いて拾った本が何かを確認する。
「……これ、大御所の先生の……そうだ思い出した。医療系の小説を書く人で、当人も医者だったな。編さんも担当になって医療用語理解しなきゃいけないって愚痴ってたっけ。……ってことは、カルテも理解できるってことだよな?」
解説書は必要ない。当人に知識さえあるのなら!
「……あとは、脱出するだけだ」
たとえどこにいたとしても、追跡者は脱出直前に現れるだろう。
──物語とは、そういう風にできている。
「(主役であろうとすることはつまり、物語のお約束的なピンチを乗り越えて見せろということだ。……書いた主がが一体何者なのかはわからないがな)」
恐れながら、しかして自信満々にエントランスに向かう。
するとエレベーターのドアが無理矢理こじ開けられ、編さんが現れる。
「マジでただの編集の動きじゃないなそれ!」
思わず駆け出して、入口のドアの前で対面する。
「……編さん」
「ヘンシュウ……シテヤル!」
万年筆を振り上げたのに対し、冷静に腰のホルスターから拳銃を抜いて突きつけた。
「!」
「……話をしましょう。言葉を扱う者同士我々にはそれが必要だと思いませんか?」
万年筆が少しだけ後ろに下がった。
……どうせ、自分は作家だ。作中の登場人物にはなれない。らしくあろうとはできても、結局自分は自分なのだ。
だから、自分なりに足掻いてやる。うまくいかなければそれまでだったということ。
「どうしてこんなことを、と聞く前に、俺の名誉に掛けてあなたにこれを」
ポケットから三枚の印刷物を出して彼の足元に投げる。
「言い訳のように聞こえたすべてのものに対する証拠です。結婚式、インフルエンザ、ひき逃げのね。今も正直怪我は痛いですよ。あなたのせいでそうも言っていられませんでしたが」
「…………」
彼は万年筆を離さぬまま拾い上げ、全てを確認するとばつが悪そうな顔をした。
「……では、あらためてお尋ねします。“どうしてこんなことを?”」
「……そ、れは」
「普通に喋れるんですね。安心しました」
彼はハッとしてもう一度苦々しい顔をする。
「……これは、編集業界で密かに受け継がれている秘術。相手を異界に引き摺り込み、考えを改めさせるためのものです。一人を除いて今まで全員がこの方法で締め切りを守っています。相手の知っている場所に縛られるとか、そういう弱点はありますが」
「編集業界こっわ……い、いやいや。そうじゃなくて……考えを改めさせるっていうのは?」
「この万年筆で、頭を書き換えます。締切に間に合わない屑の精神を“真っ当に”してやるんです」
「…………本気で言っているんですか?」
「ええ。面白くないなどと言って締め切り3日前に9割5分完成した原稿を白紙にしてしまうような愚かな作家の頭を叩き直します」
締切は険しい顔で嫌悪感を示し、敬語をかなぐり捨てて話し出す。
「何にもわかっちゃいないな。その秘術を作り出したやつも、それを一回やむを得ない状況で逃してしまうことを十分な余裕を持って伝えた人間に使う人間も。きっと常態化していたし、倫理観もへったくれもあったもんじゃないんだろうが」
「確かに、締切先生に使った件に関しては反省していますが……」
「その割に万年筆を下ろしてないのに、どう信用しろと?」
「それは……」
「俺たち作家の頭を弄るということは、作家を殺すことに等しい。……もちろん、締め切りは守るべきもの。破る作家が悪いのは確かではある。それだからって、飯の種である頭の中を改造されるとあっては話が違う。作家の頭を改造して書かせるくらいなら、そっちで頭改造しあって作品を書け!」
「言わせておけば戯言を! 作家に締め切りを守らせることがどれだけ難しいのかも知らないくせに!」
「戯言で結構! 俺は作家なんでね! 戯言の一つや二つ言えなきゃ飯食っていけねえよ!」
しばらくの沈黙。先に引いたのは、締切だった。彼が銃を下ろしたのだ。
「……まあ、いいさ。そこまで言ってもダメなら俺の語彙力不足。編集に理解されない作家の言葉なんてものはそれまでだ。……どうする? 編さん。その作家でもないのに持ってる万年筆で、俺を別人に変えちまうか? 俺は警察官でも殺人犯でもないのに持ってる銃を下ろしたぞ」
笑みを浮かべる締切に対し、汗をかいているのは編だった。
「……ぼ、くは」
「……締切衛という作家を、殺すか否か。さあ、どうする!?」
「…………ぼく、は」
万年筆の切っ先を見つめた編は、それを思いっきり──
「…………夢?」
目を覚ますと、程よい雑音のある病院のベットの上だった。外はまだ明るい。
「痛っ……!?」
急に包帯の下が痛み出す。どうやら今まではアドレナリンか何かで痛みを意識の外に追いやっていただけらしい。力仕事こそしなかったが、身体には無理をさせた。
最後、あの巨大な万年筆は病院、否あの空間を編集した。編集する相手は人間でなくてもいいらしい。例えるなら、小説に『完』と書き込んで無理矢理終わらせたようなものなのだろう。
メモの主は……例外と言った一人の作家のことだろう。いかなる方法で脱出したのかはわからないが。
ふと、手の中のスマホを見る。メッセージアプリが開かれたままだった。編集長への書きかけのメッセージを完成させて送れば、編から話を聞き次号の自分の枠には読み切りが一本入るよう既に手配を済ませたとのこと。それを聞いて締切はホッと胸を撫で下ろした。編さんも、自分の説得を受け入れてくれたということなのだろう。
編がまたあの秘術とやらを使うかどうかはわからない。ただ、編集という職業がいかに締め切りを守らない作家によって苦しめられているかという結果を見たような気がする。
「……締め切りは、ちゃんと守ろう」
これは編集された頭ではなく、心の底からそう思った。
締め切りを守れないだけで!? 与一 @jellyfish_kzn
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