第43話 8月14日朝(下)
なにはともあれ集合出来たので、駅に足を向かったのだけど、僕は他のメンバーをぐるりと見渡して疑問に思ったことを切り出してみた。
「あの。荷物ってこれだけで大丈夫なんですか?」
「うん? なにが〜?」
「いや余計な心配かも知れないんですけど……今日頒布する本を忘れてたりとかはしてないかな~って」
計良先輩と北先輩の荷物と言えば背中に背負っているリュックくらいなもので軽装だ。僕とえびすさんにしても同じようなものだけど、それはしおりにそう書いてあったからで。
だけど先輩たちはそうはいかないじゃないのかなぁ、だって『こぬかあめ』と言えば僕も知っているくらい有名絵師だし、前回は用意してた部数じゃ足りなくなったというくらいには人気だ。
それが今回さらに部数を大きく増やしたから僕とえびすさんにも急きょ売り子の応援を頼んだって話だったのに、肝心の頒布する本はどこにも見当たらない。
まさかの会場に着いても頒布するブツがないなんて事態は避けないとと思って聞いてみたんだけど、計良先輩は慌てた様子もなく微笑んだ。
「ああそういうこと。なら心配しなくても大丈夫だよ~、本ならもう会場に着いてるはずだから」
「え、どういうことですか?」
「え〜っとね、ほら同人誌が出来上がったらそれを印刷するじゃない。プリンターとかコンビニのコピー機とか」
「ああ知ってます。コピー本ってやつですよね」
「そうそう。それでホッチキスで止めたりして手製で製本して頒布するのが同人デビューして一番最初のやり方なの。でも……こう言うと自慢みたいになっちゃうけど、ウチみたいに頒布する部数が多くなったサークルだと手作業じゃ製本する時間が足りないしクオリティにも限界があるから、印刷屋さんにお願いするようになるのね」
そう言われてみれば同人誌の裏に印刷所の名前とかホームページのURLが載ってたりするような。
「で、今時の印刷屋さんってサービス良くって入稿したら注文した部数印刷した後にコミマの会場に直接搬入してくれるの。印刷所にもよるけどね。まあだから、今ごろは会場の私たちのスペースに届いてるはずだよ」
「おお~、なるほどぉ。便利ですねぇ」
たしかに冷静に考えてみたら手持ちで会場まで運搬って参加者の住所にもよるけど大変だもんね。
でもきっとコミマ黎明期は皆ダンボール箱も何箱も抱えて会場まで汗水流して通っていたんだろう。それを見兼ねた印刷所の人が搬入サービスを思い付いたのかもしれない。実際はどうだかしらんけど。
「これで疑問は解けたかな? 新戸くん」
「はいっ、勉強になりました。流石はコミマ常連なだけありますね」
「あはは、やめてよ~このくらいサークル参加してる人なら誰でも知ってることだから……ちなみに湊ちゃんは大丈夫そ?」
「うっす! 持ちモンも全部確認してあるしばっちりっす」
「そっか。じゃあ急ご、そろそろ電車来る時間のはずだしね。乗り遅れちゃったら会場に本はあるけど私たちがいないってことになりかねないし。あはは~」
その言葉を聞いて僕らは顔を見合わせると猛然と歩く足を早めた。
先輩、その冗談は笑えないっす。
***
なんとか無事に乗車出来て、本町から目的地までは東京駅で一度乗り換えを挟んで片道だいたい一時間半くらい。
電車の中は見るからにオタクっぽい格好の人も多くてたぶん僕たちと同じ目的地なんだろうけど随分と混み合っている。
それでもなんとか二つだけ座席を確保出来たけど、えびすさんと計良先輩の女子組に譲ったから僕と北先輩は道中ずっと立ちっぱなしだった。
北先輩は平然としてるけど先輩いつも大して表情変わんないしなぁ。僕の方はちょっと足が痺れて来たかも。
「秋良秋良、立ってるのキツイなら私代わろうか?」
疲れが顔に出ちゃってたのかえびすさんが見兼ねて心配してくれた。
けど女の子にそう言われるとつい見栄を張りたくなる。僕も男なんでね。
「ううん僕なら大丈夫。それにさ、えびすさんも女の子なんだから座ってた方が色々と安全でしょ?」
「んっ……ま、まあそれはそうだけどよ」
「だから座っててよ。それにもうすぐ着くだろうし」
大丈夫とは思いたいけど満員電車と言うとどうしても痴漢を連想する。
とくに今のえびすさんは普段のヤンキー味が薄れて美少女然としてるし、どこの変態が狙っているかも分からない。座席に座っていてくれる分には僕が前に立って壁になって守れるし。
まあ実際のとこもめ事になったらえびすさんの方が僕の100倍は強いだろうけど。
「……ったく、急にカッコつけんなよな心臓に悪ぃ」
「ん? 今なんか言った?」
「別になんも言ってねーよ」
小さくなにかを呟いたえびすさんに聞き返したら、ぷいっと顔を逸らされてしまった。
心配してくれたと思ったら急に不機嫌になったり情緒が忙しいんだからなぁもう。
「みんな~だんだん着くみたいだよ~。忘れ物はしないようにね」
そうこうしていると車窓を眺めていた計良先輩が声をかけてきた。釣られて窓の外に目をやれば、通り過ぎて行く景色の向こうに見覚えのある建物が映っていた。
「あれが……」
「そうだよ~。駅からもうちょっとだけ歩くけどね」
車両はゆるやかに速度を落として、駅のホームで綺麗に停車する。
忘れ物がないかきちんと確認してから降車し、改札を抜けて駅から出れば今日の目的地は目と鼻の先だった。
「でっかぁ。写真だとそんなに大きいイメージなかったのにな」
三角錐を逆にした構造物をてっぺんにをくっつけた柱が四つ対角線上に並んでいるみたいな、一度見たら絶対に忘れられないだろう特徴的なデザイン。
此処こそがオタクの祭典、コミックマーケットが毎年夏冬に開かれていることでも有名な有明国際展示場だ。
まだ敷地内に入ってもいないってのに周囲は人でいっぱいで、中には僕のように始め来たのかきゃいきゃいと浮かれた様子でスマホのカメラを展示場に向けている人もいる。
……そっか。本当にコミマに来てるんだなぁ、僕。
「お~い新戸くんなにしてるの~! こっちだよ~」
何とも言えない場の昂揚した空気にアテられて立ち尽くしていたら、少し離れたところで計良先輩が手を振っていた。横にはえびすさんと北先輩の姿もある。
「ご、ごめんさい! ちょっとぼーっとしててーーあ痛っ」
「ばっか、秋良お前朝ので懲りてねぇのかよ。こんな人だらけの中ではぐれたら中々見っけらんねぇぞ」
慌てて駆け寄ると呆れた様子のえびすさんに頭をぱしんっとはたかれた。
いやぁ本当おっしゃる通りで言い訳のしようもなく……。
「まあまあ怒らないであげて湊ちゃん、初めては皆そんなものだから。私と北くんも最初はそうだったしね~。それよりあっち行こ、私たちは入り口向こうだから」
場をとりなしてくれた計良先輩が指差した先にはすでに長蛇の列が出来ていた。
といってもさっきの人ごみと比べれば大分短めな気もする。
「サークル参加する人は一般参加する人たちと入場ゲートが違うんだよ。あ、あとこれ。二人にも渡しておくね」
そう言って先輩はおもむろに腰のポーチに手を突っ込むと、なにかを僕らに差し出してきた。
「これって、」
「チケットっすか?」
「そうだよ~。入場する時に係の人に渡せばいいから」
はへ~これが噂に聞くサークルチケットってやつかぁ。
正直言って文化祭とかのチケットと大して変わらないクオリティに見えるけど、一部の人には喉から手が出るほど欲しい代物でフリマアプリに出せば高額が付くらしい。
なんでかって言うとサークル参加すれば一般参加よりも早く入場出来るんで、人気サークルの同人誌を何としても入手したい転売ヤーとかに需要があるんだってさ。
迷惑な話だよね、ホントに。
何はともあれサークル参加用の入場ゲートに向かうと僕たちが到着した時にはもう入場が始まっていた。
長く見えた列もスムーズに会場の中に呑み込まれていって、最後尾に並んだなのにそこまで待つこともなく僕らの番がやってきた。
「お次の方どうぞ~。入場チケットはお持ちですか?」
「は、はいっ! あの、これを」
「はい確認しますね~」
スタッフのお姉さんにチケットを渡すと、どうやら問題なかったようで代わりにリストバンドを手渡された。
「このリストバンドが参加証代わりになっています。これを着けていないと会場内を自由に出入りは出来ませんので、紛失等しないようお気を付けください」
「なるほど……」
「では本日は一日お楽しみください。行ってらっしゃいませ~」
お姉さんに背中を見送られてゲートを通過すると、先に入場していたみんなが展示場の足元に並んでた。僕も見習って建物を見上げてみると、遠目からでも大きかったけど下からだと首が痛くなるくらいだ。
こんな大きな会場でたくさんの人相手に接客するのか……ううっ、ちょっと緊張してきたかも。
横に目をやるとえびすさんも少し表情が固い気がする。
「じゃあ行こうかみんな。ここからが本番だよ~っ!」
「「お、おおーっ!」」
「……………。(無言で手を上げる)」
でも足踏んでもいられないよね、ここまで来て引き返すわけにもいかないし。
先頭を意気揚々と歩く計良先輩の後を追って、僕らは会場の中へと入っていった。
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