第42話 8月14日朝(上)


「ふああああぁ……朝ぁ?」


 ピピピピッと喧しいアラームの音に起こされて目を開けると、部屋の中はまだ暗かった。

 カーテンの隙間から赤い朝日の光が一筋だけ差し込んでくる。

 夏休みに入ってからというもの、深夜までゲームしたりアニメ観たりと夜更かしするのが普通になっちゃって起きるのはもっぱらお昼くらいという自堕落な生活が普通になってたのに、なんでこんな時間にアラームなんてかけたんだっけ。

 うるさ、二度寝しよ。


 …………

 ………

 ……


 と思ったけど、なーんか落ち着かなくて眠れない。

 ずっと小骨がのどに引っ掛かってるみたいな。

 かといって起き上がる気力もなくて、暫くそのまま布団の上でぼーっとしてたんだけど……ふと頭の隅でぱんっと何かが弾けるように思い出した。


「あ。今日ってコミマじゃん」


 そうだ、そうだった。

 本日は8月14日。夏休みも折り返しを迎えて世間はお盆シーズンに突入しているわけだけど、漫研のみんなと僕にとっては一大イベントであるコミックマーケットの当日だ。

 サークル参加の僕らは入場時間が一般参加勢よりも早いらしくて、計良先輩に伝えられた集合時間は本町の駅前広場に朝6時。

 内海府のウチから本町までは道路の混み具合にもよるけど車で20〜30分はかかる。

 そして現在時刻は5時30分ちょい過ぎ。つまりギリギリってこと。

 端的に言ってまずいですよ、これは。


「母さん母さん! ごめん起きてもらっていいかな!? 昨日お願いしてたやつなんだけどーー」


 寝癖を手櫛で直しながら階段を駆け下りた僕は、慌てて母さんを起こしに向かうのだった。




 ***




「あっ、秋良ようやく来やがったな! 遅ぇぞお前!」


「はぁっはぁっ、ご、ごめんっ! ちょっと寝坊、っていうぼーっとしちゃっててーーすみません先輩、遅れました!」


 僕と同じく朝に弱い母さんを何とか起こして家を出たのが5時40分過ぎ。

 そこからきっきり法定速度を守る馬鹿みたいに丁寧な、もとい還暦迎えたおじいちゃんが運転するよりノロいんじゃないかという車にゆられて駅に着くと、約束の時間からゆうに10分は軽く過ぎていた。

 母さん普段車乗らないからなぁ……送ってくれただけで有難いんだけどね。


「ううん、大丈夫だよ〜。まだ電車出てないしね」


「……………………(ぐっと親指を立てる)」


 駐車場から駅前広場に向かうと、広場の中心にはもう皆が集まっていた。

 急いで駆け寄ると計良先輩と北先輩は笑顔で出迎えてくれたけど、えびすさんはご立腹のようだった。


「先輩たち秋良に甘すぎですよー、ここはもっとガツーンといかないと!」


「いやでも、ね? 予め余裕持ってスケジュール組んでたから怒るってほどでも」


「いやいや、そういうんじゃなくて。仲間内とはいえ下のモンが上のモン待たせるとか論外ですから。きちんとケジメはつけないとっすよ」


「う、う〜ん。私たち湊ちゃんのお友達みたいにじゃないからなぁ……」


 鼻息荒く持論を語るえびすさん。

 けどそれってどっちかと言うとヤンキー界隈の常識じゃないかな。計良先輩も引き気味だし。

 まあでも、100%僕のミスで遅刻しちゃった以上言い訳のしようもない。

 だから大人しくしていたら計良先輩が助け船を出してくれた。


「それより、ほらほら。湊ちゃんはいいの? 新戸くん来ちゃったけど」


「なにがっすか?」


「なにって、さっきまであんなにソワソワしてたじゃない。『秋良この服なら可愛いって言ってくれるかなってーー」


「わーっ、わーっ、わーっ!!」


 僕が来る前にしていたらしい話題を計良先輩が振ると、えびすさんは先輩の言葉を遮るように大きな声を上げた。


「ちょっと計良先輩っ!? それは言わないって約束だったじゃないっすか!」


「そうだったっけ? ごめんごめん♪」


「もぉ~っ!」


 ん? 何の話だろ。

 えびすさんの私服がどうとかまでは聞き取れたけど、私服、私服か。

 計良先輩とじゃれついているえびすさんをまじまじと観察して、僕はふとあることに気づいた。


「そういえばえびすさん今日はいつもと違う感じだね」


「あん? ……まあ、たまにはな。わたしだってこういうの着るさ」


 実はこの夏休みの間にえびすさんとは何回か遊びに行ったりした。海とか花火大会とか、まあ二人きりじゃなくて羽入くんとか他の人がいたりもしたけど。

 その話はまた別の機会にするとして、思い返してみればお洒落とは無縁なユ〇クロ人間の僕とは違い、えびすさんの服装は毎回バリエーションに富んでいた。

 動きやすいスポーティな格好だったり、夏らしく涼し気で露出の多い装いだったり、はたまた大胆なビキニだったり、大人びた浴衣姿だったり。

 けど今日の服装はそのどれとも違っていた。


「なんだよその顔。似合ってねーってか」


「違うって、なんでそう卑屈なのさ。ってかこのやり取り前もしなかった?」


「なんだそれ。いつの話だよ」


 う~ん、いやなんか引っかかるんだけど……あ。

 そうだそうだ思い出した、この服ってえびすさんとはじめて遊びに行った時の服に似てるんだ。


 真っ赤に染められたド派手な髪色と、真っ白でハイソなブラウスが喧嘩をしているようで妙にマッチした清楚お嬢様系ファッション。

 人によって意見は分かれるかもだけど僕は全然アリだと思うんだよね、えびすさんのこういう系統も。


「うん、やっぱめっちゃ可愛い(服が)。えびすさんの大人っぽさと女の子っぽさがいい感じに混ざってる感じでさ、僕はそういうの好きだな~」


 だから素直にその感想を口にしてみたんだけど、


「……っはははははぁ!? あ、秋良おまえっ、いきなり、なななな、なに言って」


 えびすさんは顔を真っ赤にして僕に指を突きつけて金魚みたいに口をパクパクさせていた。 

 え、なにその反応は。

 僕いまなんか変なこと言ったっけ。


「わたしのことか、可愛いって……すき、って。……よせよっ、こんな人前で」


 ……はい?


 い、いや違っ、僕が言ったのはあくまで服の感想の話でーー……って待てよ。

 よくよく会話を思い出してみたら、えびすさんにだってひとことも言ってなくないか。

 今の僕とえびすさんの絶妙な関係を考えると変な意味に捉えられるような発言をしたのはマズった。こんな些細なやり取りで僕のことを意識させたら今までの苦労が馬鹿みたいだし。


「えへへ、そっかぁ。わたしって可愛いのか~♪」

 

 だからって幸せそうにしてるえびすさんに、今の話は誤解ですだなんて訂正出来ないよなぁ……。


「お~お~流石新戸くんだねぇ。いつもそうやっていつも女の子落としてるんだ?」


「ちょ、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。僕そんなことしてませんからね!?」


 やっぱりS寄りだよなこの人。見かけはリスみたいなのに騙された。

 まったくこんな早朝からカロリーの高いやり取りをさせられて胃がもたれるよ……こういう時は黙って見守ってくれてる北先輩だけが癒しだ。


「北先輩、先輩は計良先輩みたいにならずにずっとそのままでいてくださいね」


「それどういう意味かな、新戸くん」


「自分の胸にでも聞いてみたらいいんじゃないですかね~」


「おお、言うね~。でもいいのかな? ……湊ちゃんに教えちゃってもいいんだけどなぁ」


「生意気言ってすんませんしたぁ!」


「ふふ~ん、よろしい」


「……………?(訳が分からずキョトンとした顔)」


 とまあそんなこんなで我が内海府高等学校漫画研究部with僕によるコミマ当日の朝を迎えたわけだけど。

 まだ会場にも着いてもないっての早くも前途多難だ。

 何事もなく終われるかなぁ、今から心配だ。


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