第37話 ファーストキスの相手はこの私ですからね
「本当にごめんなさい! こんなことになってしまって……」
「謝らなくていいですって。僕が情けなかったとこもありますし」
場所は変わってここはマンションのエントランス。
結局あの後、亜梨子ちゃんは救急車を呼ぼうとしたけど意識が朦朧したままの僕がそれを止めたらしい。
さっぱりその記憶はないけど騒ぎになったらスキャンダルに繋がり兼ねなかったから我ながらGJ。
倒れたと言っても軽い酸欠みたいだったし、エントランスの休憩スペースで身体を休めていたら大分回復したんだけど……亜梨子ちゃんはすっかり落ち込んだ様子で顔色を青ざめさせていた。
「秋良くんの声は聞こえてたはずなのに! もし万が一のことが起きてたらと思うと私っ、私はっっ!」
「あーいやでもほら、僕はこの通りピンピンしてますから」
「そんなの言い訳になりません。それ以前に私の欲望を叶えるために秋良くんを襲って、挙げ句に危険な目に合わせて……言い訳のしようもないですから。一体どう謝ったらいいか……とにかく申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた彼女は薄手のパジャマの上に羽織ったカーディガンの裾がしわくちゃになるくらい強く手を握りしめている。爪が肌に食い込んで見てるだけで痛そう。
うーん、やっぱ気にしちゃってるよなぁ。
まあ経緯で言うなら原因が亜梨子ちゃんなのは間違いないんだけど、よくよく考えてみたら僕が鼻で息してれば良かった話なんだよな。馬鹿正直に口から息吸おうとした挙げ句に酸欠になるとかとんだお笑い草だ。
それに僕が亜梨子ちゃんをいまいち責める気になれない理由はもう一つある。
「そりゃ無理矢理えっちなことしようとしてきたのは正直どうかと思いますけどね? 止めてって言ったのに全然聞いてくれなかったですし。……でも本当に嫌だったら僕ももっと抵抗してたっていうか」
「そう、ですよね。やっぱり私みたいな女は秋良くんの近くにいないと方が良いですよね……鬱陶しいと思われるのも当然でしょうから金輪際秋良くんの前に顔は見せないようにしますね……」
「あ、あれっ何でそうなるの!? ちょちょっ待って、まだ話は終わってないんですけど!」
僕が本当に言いたかったのはソコじゃないんだけど、亜梨子ちゃんは建前の部分だけしか耳に入らなかったみたいだ。
さっきまでの積極的な彼女はどこへやら、すっかり卑屈になっちゃった今の亜梨子ちゃんにはもっとド直球で言わないと何でもかんでもマイナス方向に捉えられちゃいそうだ。
本人に面と向かって言うのは恥ずかしいからボカして伝えたかったのに……仕方ないなぁ……意を決して、僕はままよと口を開いた。
「あのですね! 部屋でのことも、エレベーターでのこともっ、僕そこまで嫌じゃなかったですからっ!」
「はい?」
言い切って亜梨子ちゃんの様子を窺うと、彼女はぽかんとした顔で僕を見つめていた。意外で堪らないって表情。
あんだけ抵抗しといて何を言ってんだお前って感じなんだろうけど、それはまた別口っていうかさ。
たしかに僕は曖昧な関係のまま亜梨子ちゃんと男女の仲にはなりたくない。
なるならなるで、えびすさんとのことも含めてすべてきっちりと答えを出してからにしたいと思ってる。
でもそれ以前の話で僕にとっての亜梨子ちゃんは友人だとか恋人だとかを抜きにしてそもそも特別な存在だった。
「だ、だって考えてみてもくださいよ! 亜梨子ちゃんは僕の推しなわけで、その推しから言い寄られて喜ばないはずないでしょ!?」
そう最初にリドルくんに扮した彼女と話すようになるずっとずっと前から、月城亜梨子は僕の憧れのアイドルだ。
だからこうして素の彼女と接することが出来るようになった今でも、やっぱり根っこのところにはファンとしての意識がある。
それに僕だって男だから建前では綺麗事を言っても実際そういうことに興味自体はあるわけで、ぶっちゃけ今回の件も役得っていうかご褒美みたいだなって思ってしまってるとこがあるのは否めない。……薄い本でありそうなシチュエーションだったし。
「だから亜梨子ちゃんにそこまで責任感じられると困るっていうか。倒れたのだって僕の自己責任なとこもありますし、あまり重く受け止めないでください」
ようするに僕もしっかり楽しんどいて被害者面出来ないって話で。
けど亜梨子ちゃんは納得してくれなかった。
「重く受け止めないでって……私がやったことは立派な犯罪ですよ? 秋良くんの気分一つで警察に突き出すことだって出来るのにそんな簡単にっ」
「やまあ、それはそうなんですけど」
僕だって最後までされちゃってたら今みたく余裕を保っていられなかったろうし、仮に誰か知らない相手に襲われて同じことをされたら何がなんでも振り払って警察に駆け込んだと思う。
でも少なくとも今回はそうなっちゃいない。
だから、
「じゃあ僕が許しますよ。それなら問題ないでしょう? で、次からはこういうことしないように気を付けてくれればいいですから」
「……次って、なにを」
「え、だってまた遊んだりとかしますよね? 夏に誘ってくれるって言ってたじゃないですか」
イベントがどうとかって話は嘘だったのか。
それにサマーライブだってチケットくれるんじゃ。
いぶかしむ僕をよそに、亜梨子ちゃんは口をぱっくりと開いて呆気に取られていたけど、暫くしてぷっと噴き出した。
「あはっ、あははははは! あははっ、なんですかそれっ! うふふふふふふっ!」
え、え?
今そんな笑われるような変なことあったっけ。
「はぁはぁはぁ……あ~可笑しい。秋良くんって変なところで肝が据わっているっていうか、大物ですよね」
「? そうですか?」
「そうですよ。だってあんなことをした私と今まで通りのままいると言うんでしょう? 普通の人はそうなりませんよ」
そうかなぁ、だって僕と亜梨子ちゃんが友達でいられなくなるようなことは結局なかったんだから今まで通りの関係でいればいいじゃないか。
「本当に優しいですね秋良くんは。……そして同じくらい残酷なヒト。ここまでして切り捨てもしなければ選んでもくれないんですから」
「えっ」
その時、亜梨子ちゃんの顔がほんの少しだけ曇ったように僕には見えた。
けど次の瞬間には何でもない表情の彼女がそこにいて。
僕の見間違いだったのか?
「でもやっぱり私、そんな貴方でも好きです。狂おしいほどに、何をしても手に入れたくなるほどに、ね?」
「お、お手柔らかにお願いしますね? 流石に次同じことあったら僕もちょっと」
「うふふっ、心配しなくとも今回みたいなことはもうしませんよ。焦る必要がないのも分かりましたし、それに最低限ですけど目的も果たせましたから」
焦る? それに目的ってなんだろ。
もしかして僕に他の女の子を見て欲しくないって言ってた気もするけど、そのことかな。
でも何で今のやり取りのどこにそう確信出来る要素があったんだろ。
別に気が多いつもりはないけど、えびすさんやクラスの女子だっているし亜梨子ちゃんだけ見ろとか言われても物理的に不可能なわけでーー
「あら? もう忘れてしまったんですか。仕方ないですねぇ」
やれやれとでも言いたげに彼女は自分の指を唇に当てると、ちゅっとリップ音を立てて投げキッスを僕に飛ばした。
「この先どんな女の子が現れても秋良くんのファーストキスの相手はこの私ですからね。うふふっ、それだけはずっとずーっと忘れないでください♪」
……そっか、そうだった。
僕、月城亜梨子とキスしたんだ。
酸欠で鈍っていた頭がクリアになって、こうして落ち着いてから改めてその事実を本人に突き付けられて何も言えずに俯く。赤くなった顔を彼女に見られないように。
なんだかまんまと彼女の手の平の上で転がされたような気がするけど、確かに今は柔らかい唇の感触で頭がいっぱいで、とてもじゃないけど他の女の子のことなんて考えられそうにない。
「……覚えときます」
何とかそれだけ搾り出すと、亜梨子ちゃんはどこまでも幸せそうにどこまでも綺麗に笑うのだった。
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