第34話 星野ひかりという少女
前にも話したかも知れないけど、女性声優ユニット
一人目は言うまでなく亜梨子ちゃんこと、大人気若手声優である月城亜梨子。
二人目はリーダーで最年長、えびすさんの推しでもある日向ハレ。
そして最後の三人目、最年少で僕と同じ年で15歳、新進気鋭の若手声優として注目されつつあるのが彼女ーー星野ひかりだった。
「じゃあ秋良っちひかりと同い年なのー? ありすちゃんハンザイじゃん」
「ち、違います! そういうことはしてませんから合法ですっ! ……まだ」
うん、そうだね。
ついさっき思いっきり僕に手出そうとしてたけどね。
「えーあやしー。ありすちゃんむっつりだからなぁ。ねぇねぇ秋良っち知ってるー? ありすちゃんってばこの間リハの休憩中にーー」
「あらあら、余計なことを言おうとするお口はこれかしら?」
「むうっ!? もがもがもがもがもがっ!」
目の前で見知った女性声優二人がじゃれ合っているという構図に、僕は思わず頬を抓った。……痛い。
(なんなんだこの状況……)
結局あの後。
亜梨子ちゃんはすっかり部屋に上がり込んでしまったひかりちゃんを追い返すのは無理だと諦めたようだった。
僕と亜梨子ちゃんがデパートで軽めの夕食も食べていたけどひかりちゃんは空きっ腹らしく、半べその彼女に亜梨子ちゃんは溜め息を吐きながらも軽食を作ってあげていた。
ありあわせの材料で作ったというチャーハンを幸せそうな顔で口の中に掻き込んでいるひかりちゃんを眺めていたら、物欲しそうに見えたのか僕の分も亜梨子ちゃんが用意してくれた。
ありがたくご相伴にあずかると、パラパラした米粒にカリッとしたベーコン、そしてほど良く塩気の効いたチャーハンは中々に絶品だった。
感想を伝えたら亜梨子ちゃんが「それならいつでもお嫁に行けますね」とガン見して来て冷や汗が止まらなかったけど。
お腹も膨れてさてこれからどうしようとなって、亜梨子ちゃんの部屋にはゲーム機とか三人で遊べるような物が何もなかったので無難にお喋りすることになった。
お互いの近況とかちょっとした日常の出来事で話は弾んで、僕のターンになってなんの気なしに振った話題の一つに亜梨子ちゃんが食い付いてきた。
「じゃあその部長さんがキリンジの同人誌を出すんですか?」
「はい。もう三年くらいかな、こぬかあめってペンネームで夏冬コミマに毎年参加してる有名な同人作家なんですよ」
「まだ学生さんなのにすごいですねぇ。一度読んでみたいです」
学生で云々言ったら高校生で声優デビューして、すぐに人気声優の仲間入りをした貴女も人のことは言えないと思うんですけど。
「それにしても亜梨子ちゃんキリンジのこと知ってたんですね」
「ええまあ。業界でも話題ですし、たしか今日の朝のニュースでもキリンジの特別コーナーが組まれていたような」
「ひかりもキリンジ知ってるよー! クラスのみんなも読んでるのっ!」
「あ、うちの学校もそうかも」
キリンジは二期の放送がスタートした今年に入ってから原作売上が爆伸びしてて、今や高校生あたりを中心に一般層にも流行し出している。
だから僕と同年代のひかりちゃんなら知ってて当たり前だし、あんまりオタク作品に詳しくない亜梨子ちゃんでも声優同士の横の繋がりでヒットしたアニメの話として認知してたのか。
「あれ? でもたしか星野さんってーー」
「ひかりでいいよ秋良っち、ていうかタメ口でよろ。こっちも名前で呼んでるし秋良っちもありすちゃんのことは名前で呼んでるじゃん。ひかりだけ仲間外れー?」
「い、いや流石に初対面でいきなりはハードル高いっていうか」
「えぇ~? ……だめぇ?」
「う゛っ」
うーん、
えびすさんとか羽入くんとか陽キャの知り合いが増えたけど、彼女の場合は陽キャとか以前にギャルって感じ。
甘え上手っていうか気付いたら懐の中に入られてるみたいな。なんだか断りづらくて、気付けば僕は頭を縦に振らされていた。
「じゃ、じゃあその……ひかりちゃん、でいいかな?」
「……うんっ!」
ご要望通りに名前を呼ぶと、ひかりちゃんはお星様担当の名に恥じない眩しい笑顔を浮かべた。流石はアイドル。
見る者全てを魅了するような100点満点のスマイルに思わず心臓を高鳴らせていたら、僕の隣から猛烈な冷気が漂ってきた。
「むぅ。秋良くんの馬鹿」
あ、やっば。
「私の時は名前で呼ぶの結構渋ってませんでしたっけ? しかも未だに敬語でしか話してくれませんしー」
どこが地雷だったのか、すっかり拗ねた様子の亜梨子ちゃんがそこにいた。
「いやだって亜梨子ちゃんは年上なんだから、僕が敬語の方が自然じゃないですか」
「っっ〜〜んもうっ! 言い訳ばっかり上手くなって。それに秋良くんはすぐに女の子をたらし込みすぎですっ」
「えぇ……今の別にたらし込んだりしてないですよね」
いくらなんでも言いがかりが酷い。少なくとも僕は自分から女の子を口説いたことは一度だってないぞ。
誤解を解こうと奮闘していると、向かい側からケタケタと笑い声がした。
「あははっ、二人とも面白ーい!」
元はといえばひかりちゃんが発端な気もするけど。
でも底抜けに明るく笑う彼女を見ていたらくだらないことで揉めてるのが馬鹿馬鹿しくなった。それは亜梨子ちゃんも同じだったらしい。
「……もういいです。それより秋良くん、さっき何か言いかけてませんでしたか?」
「え?」
「それってひかりがどうとかってやつ?」
ああ、そういえば途中で止められちゃってたっけ。
別に掘り返して聞くほど大したことじゃないんだけど、せっかくだし聞いとこっかな。
「キリンジの話でちょっと思い出しただけですよ。なんで星野さんが他人事だったのかなーって」
「あーっ、ひかりには敬語と名字呼び禁止ー!」
うっ、そうだった。
「……だけ、だよ。ほら関係者だったじゃない、ひかりちゃんって」
「なんのこと?」
「なんのってひかりちゃんも出演してたよね。キリンジの二期」
記憶の引き出しから思い出してそう言うと、ひかりちゃんは心底驚いた顔をしていた。
「秋良っちひかりが出てたの知ってるのーっ!?」
「う、うん。僕もアニメ観てたから。たしか十一話だったっけ」
「マジぃ!? ひかりの役ぜんっぜん台詞なかったによく分かったね」
「なんか聞き覚えのある声だなぁって思ってさ、そしたらEDに名前載ってたからそれで」
「えー、すっごーい! 秋良っちゼッタイ音感ってやつ持ってんじゃない?」
「いやいやたまたま当たっただけだって、たまたま」
そう実際偶然だ。
だからなんとなーく観てたらモブの声に引っ掛かって、クレジットを確かめてたらひかりちゃんだったってだけの話。
「えへへ、でも嬉しいなぁー。見事正解した秋良っちには『声優』星野ひかりのファン一号の称号を進呈しまーすっ!」
「ファン一号って。もういっぱいファンいるじゃない、星組のさ」
「ん~……それはそうだけど、ちょっと違うのっ!」
そのはずなんだけど、妙にひかりちゃんは嬉しそうだった。
たかだか声を聞き当てたくらいで大袈裟な反応だなって首を捻っていると、隣の亜梨子ちゃんがそっと耳打ちしてきた。
「ひかりちゃん声のお仕事の方はまだ駆け出しなんです。だから端役でも名前付きのキャラクターを演じたのは、きっとその時が初めてで」
ああそっか、そういうことか。
亜梨子ちゃんの言葉で、僕はなんでひかりちゃんがこんなに上機嫌なのか察することが出来た。
そもそも
1000倍ともいう過酷なオーディションをくぐり抜けた三人でグループを結成しているけど、ぶっちゃけた話女性声優ユニットというのは名前に箔を付けさせるためのものでしかなくて事務所やレコード会社が期待してるのはあくまでアーティストとしての成功だった。
だから本業であるはずの声優としての実績は二の次で、亜梨子ちゃんが嬉しい誤算的にブレイクしたけど他の二人については順調とは言い難い。
つまりライブステージでは声優とは思えないようなダンスと高い歌唱力、持ち前の明るさを存分に活かしたライブパフォーマンスで多くのファンを魅了しているこの少女は、それでも一歩アイドル声優という括りから出でしまえば無名も良いところというチグハグな状態なのだ。
「ねっ、ねっ、ひかりの演技どうだった? 上手かったー?」
だからこそ『アイドル』ではなく『声優』としての彼女に気付いたのが嬉しかったのかも知れない。
「……うん、良かったよ。慣れてない感じあったけど、それでも精一杯全力で演じようって気持ちが伝わって来てさ」
「ホントっ!? やったぁ!」
正直に言うならひかりちゃんの演技は下手もいいところだった記憶がある。
滑舌も甘いし何より棒読みで、まさしく新人声優らしくて微笑ましかったけどお世辞にも上手いとは言えないものだった。
「音響監督さんにもいっぱい怒られちゃってねー。でも最後のテイク録った時褒めてくれたんだー、『その感覚を忘れるなー』って」
「そうなんだ」
でも僕が言ったのは嘘じゃない。
きっとその音響監督さんも同じことを思ったんじゃないかな。
初々しさ故の味っていうか、下手に味付けされていない素材の良さ。
何よりも演技をするのが楽しくて仕方ないという想いが溢れているその声は、技術どうこうはさておいて何か惹きつけるものがあった。
「それでねっ、それでねー」
どれほど楽しかったのか現場の思い出話をにこにこの笑顔で語るひかりちゃんに、僕と亜梨子ちゃんは微笑ましい気持ちで耳を傾けていた。
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