第32話 なら私とえっちなことをするのも平気ですよね?


「秋良くん、どうして逃げるんですか?」


 女の子独り暮らしの部屋に置かれているソファーはそんなに大きくなくて、二人が並んで座るのがせいぜいってくらい。

 だから僕に近付いてくる亜梨子ちゃんから距離を取ろうにも、あっという間にソファーの縁にまで追い詰められてしまった。


「いや逃げてないですよ?  逃げないんで、ちょーっと一旦離れてみません?」


「い・や・です♪」


「うわっ! ちょ待っ、」


 願いも虚しく、亜梨子ちゃんは猫がそうするみたいに乗り上げてきた。

 首にするりと腕を絡みつけて逃げられないように拘束されてしまう。


「捕まえた。せっかく家に呼べたんですから簡単には返しませんよ?」


「う、あ」


 これが、女の子の柔らかさなのか。

 えも言われぬその感触に僕は言葉を失った。

 亜梨子ちゃんは今、下着みたいな格好以外には何も着ちゃいない。

 だからこそ頼りない薄布一枚下の生々しい柔らかさや心臓の鼓動、そして体温までもが感じ取れてしまう。


 そしてそれは僕に乗っかっている彼女からしても同じみたいで。


「心臓、ばくばく言ってますね。緊張してるんですか? ふふっ、可愛い♡」


 そりゃあ、こんな美少女にくっつかれてたら動揺しない人いないでしょ。誰か同じ目に合って試して欲しいくらいだ。

 ……もしも亜梨子ちゃんが僕以外の男にもそういうことしたら、それはそれでなんか嫌だけどさ。


 ともかく亜梨子ちゃんがなんで急にこんな真似をしてきたのか知らないけど、場合によっちゃ無理やりにでも止めないと。付き合ってもないのにしたら不味いし。


「でも心配しなくても大丈夫ですよ。今からスるのはとってもとーっても気持ちが良いことですからね~」


 えびすさん相手ならいざ知らず、もやしの僕でも流石に亜梨子ちゃんには負けない。ヤバそうなことになる前に力ずくで引き剥がせば良いーーそうタカをくくってたのが命取りになった。


「気持ち良いことってなにが、うひぃ!?」


 おもむろに亜梨子ちゃんはふぅ〜っと僕の耳朶に吐息を吹きかけた。

 こしょばくて反射的に耳を手で覆おうとしたけど、


「なんでっ、動かなっ」


 腕が鉛みたいに重い。

 よくよく見てみれば亜梨子ちゃんが膝に体重をかけて巧みに僕の腕を押さえつけていた。元々この体勢じゃ上手く力が入らないのもあって、どれだけ踏ん張ってみてもうんともすんとも言わない。

 つまりはさっきあんなに余裕ぶっこいてたけど、今の僕はやられたい放題の無防備状態ってわけで。


「あの……お、お手柔らかに……」


「うふふっ、優しくシてあげますね?」


 恐る恐る上目遣いで亜梨子ちゃんの様子を伺えば、彼女はSっ気に満ちた恍惚とした顔で微笑むのだった。




 うひいいいっ、なにこれ? ナニコレぇっ!? そこ耳っ、耳だから噛まないでぇぇ! 食べ物じゃないからっ、いやいやいやだからって舐めもしないで! 汚いから一旦、一旦落ちついて。ね?

 そうそうそれでいいから……って、え。ちょ、亜梨子ちゃんナニしようと。ま、まさかソコに入れようとかしてないよね?

 やめてやめてやめt本気で冗談じゃ済まないからソコはっ、ソコだけはやめてええええええええええええええええええええええええぇっっ!!!



 ………………

 …………

 ……



「はぁ、はぁ、はぁ……ううっ、酷いですよ。優しくするって言ってたのに」


 怒涛の耳責めで息も絶え絶えになった僕は満面の笑みを浮かべている亜梨子ちゃんをじとっとねめつけた。


「うふふっ、ごめんなさい。秋良くんの反応が可愛いくて、つい♪」


「つい、じゃないですよ! あんなことされてもう僕お婿に行けない……っ!」


「あら。じゃあ私が貰ってあげますから問題ないですね」


「……そういう話じゃないです」


 はぁ。なんか短時間ですっごい疲れた。耳とか唾液塗れでべちょべちょだし。

 ぐったりとソファーに寝そべっていると、僕の腰の上に座っている亜梨子ちゃんが子供にでもするみたいに頭を撫でてきた。


「よしよし、でもこれも全部秋良くんが私を安心させてくれないのが悪いんですよ?」


「僕がなにしたって言うん、むうっ」


 思わず頬を膨らませたらぷすっと指が突き刺さった。

 ぷしゅーっと口から空気が抜けて、平たくなったほっぺたを引っ張られる。


「はひふふんでふか」


「女心を理解してない鈍感さんにはお仕置きです。心当たりはありませんか?」


 そんなこと言われても。まあ心当たりがないでもないけど。

 亜梨子ちゃんの雰囲気が変わったのはここに来る前だったから、きっとデパートでのやり取りにヒントがあるんだろう。

 あの時に話してたのはサマーライブのチケットを都合してもらえるかどうかってことで、なんで僕が必死に亜梨子ちゃんに頼み込んでいたかといえばーー


「えびすさん、ですか?」


「正解です。よく分かりましたね」


 やっぱりそうか。

 あの時はそんなに不機嫌になってる感じはなかったけど、亜梨子ちゃんにとって湊えびすという名前は思ったより禁句だったらしい。


「……あの日ね、秋良くんに告白してから私ずっと不安だったんです。秋良くんはこんなにカッコいいんだからきっと周りの女の子達が放っておかないだろうなって」


「そんなことは」


 ない、とも言えないか。

 自分で認めるのは恥ずかしいけどえびすさんや綾瀬さんたち、それこそ亜梨子ちゃんが僕を好きになってくれたのだって、最後の一押しは結局のところ僕の見た目が変わっていたのが大きいだろうし。


「秋良くんの高校に私も通えれば他の女の子は近付かせないんですけど、それは流石に出来ないですし」


 そりゃ亜梨子ちゃん大学生だしね。

 ていうかさりげに凄い重いこと言ったよね今。


「私の目が届かないところで他の女の子が秋良くんの周りにはいる。そう考えたら心配で心配で。……秋良くんも男の子だからえっちな誘惑でもされたら靡いちゃいそうですし」


「ぶっ!? き、急になに言ってるんですか! 人を見境ないみたいに」


 よりによって亜梨子ちゃんに僕が性欲魔神みたいに思われてるなら心外なんですけど。だってまだどうーーんん"っ、ともかく! 女の子なら誰でも良い遊び人とかじゃないから。


「本当かしら。例えば今ここにいるのが私じゃなくて湊さんだったとして、秋良くんは平然としていられますか?」


「え?」

 

 そう訊ねられて、僕の脳裏にはえびすさんに抱き付かれた時の感触がフラッシュバックしてしまった。ボリュームたっぷりでふんわりとした柔らかさ。あのマシュマロには流石の僕も反応せざるを得なーーはっ。


「ほら、やっぱり。鼻の下伸ばしてる」


「ち、違っ。今のは不可抗力で、」


「今さら言い訳しなくてもいいですよ。秋良くんが私と同じくらい、湊さんのことも意識しだしてるのは気付いてましたから」


 うっ……それはそうなのかも知れないけど。


 確かに僕はえびすさんのことを普通の友達を見るのとは違う目で見てしまっている。それは恋愛的な意味とはまた違うけど、少なくとも異性に向けるソレだろう。

 自分から友達でいられるよう嘘までついて彼女を騙したのに、かくいう僕が女の子として意識しちゃってしまったら本末転倒だ。


「すみません、僕まだ好きって気持ちはまだよく分からなくて。だから亜梨子ちゃんのこともえびすさんのことも、まだちゃんと時間をかけて考えて決めたいっていうか」


 僕にした告白の返事を待ってくれている亜梨子ちゃんに申し訳ない気がして、頭を下げようとしたけど止められてしまった。


「秋良くんが謝らなくてもいいですよ。返事は後で良いって言ったのは私ですから、急かしたりはしません」


「亜梨子ちゃん……」


「ーーだけど、せっかくのチャンスを無駄にする気もありませんけどね」


「わっ!?」


 急にガバッと亜梨子ちゃんに抱き着かれて、僕は一緒にソファーに沈み込んだ。


「ちょちょ、近いですって! なんで急にまたっ」


 気付けばほんの鼻先に亜梨子ちゃんの顔があって見下ろされていた。

 体勢も相まってキスでもされてしまいそうだ。 


「ねぇ秋良くん。秋良くんは湊さんに『親友同士なら恋人みたいなことをしても大丈夫』って嘘をついたんでしたっけ?」


 いやそれはちょっと語弊があるぞ。

 僕は恋愛感情と友情は区別がつきにくいって誤魔化しただけで、別にそんなことまでは言ってない。 

 ……まあ、えびすさんは結果的に亜梨子ちゃんが言ったように受け取ってしまった感はあるけど。


「私としては湊さんが恋心を自覚してしまったら今以上に強力なライバルになるので好都合ですけど。でも、秋良くん。じゃあ私の場合はどうなんでしょうか」


「どう、というと」


「私と秋良くんはもう一年以上の付き合いですよね。リドル・リデルとしての関係性を含めればですけど。秋良くんにとって私は友達? それとも親友ですか?」


 その答えは悩むまでもない。

 えびすさんも大事な友達だけど、僕にとって人生で初めて出来た趣味の合う友達は亜梨子ちゃんリドルくんだ。


「少なくとも僕は親友だと思ってます。今はその、ちょっと複雑になっちゃいましたけど」


「うふふ、嬉しい。私も秋良くんのことを男の人として好きになっていなかったら親友だと思ってたと思います」


 だから亜梨子ちゃんがそう言ってくれて不覚にも泣きそうになった。

 けど、感慨に浸っている余裕はなかった。

 なぜなら亜梨子ちゃんがとんでもないことを言い出したからだ。


「なら私とえっちなことをするのも平気ですよね?」


「……は?」


「だって私は秋良くんと親友ですよね。だったら恋人みたいなことをしても問題ないじゃないですか」


 なにその超理論。

 得意気な顔で意味不明なことを言い出した亜梨子ちゃんに、僕は思わず頭を抱えたくなった。



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