第31話 罠にかかったのは

 

「………………」


 カチコチと時計の針の音がうるさい。

 だけどその音に気を取られて耳に意識を向けてしまうと、うっかり隣の部屋からまで拾ってしまいそうで僕は誤魔化すように頭を横に振る。


 ここは亜梨子ちゃんの家の中だ。そして僕が今いるリビングのすぐ隣が彼女の部屋。

 着替えてくると言って出て行ったきりしばらく戻って来ないけど、この薄い壁の向こうには亜梨子ちゃんがあられもない姿がーーいやいや、ダメだろそんなこと考えちゃ。これじゃまるで変態じゃないか!


 どうしてこんなことになっているのかというと、答えは実に単純で僕が致命的に阿保だったからだ。

 家に招待されたとは言ってもまさか独り暮らしだとは思ってなくて大人しく部屋まで着いて行ってみれば、開いたドアの先には人の気配がまるでしなかった。


「あの、ご家族ってお出かけ中だったりとか?」


 リビングに通されてソファに腰を落ち着けてから、ようやくおかしいと気付いてそう聞いてみれば、


「いえ家族ならいませんよ? 両親は深山の実家に住んでるので、ここを使ってるのは私だけですけど」


 何を不思議がっているのだとばかりに亜梨子ちゃんは首を傾げていた。

 いやまあ確かにそう言ってたけどさ、でもここから深山町まで車でそんなに離れてないのにわざわざ独り暮らししてるとか思わないじゃないか。

 最近になって引っ越したとか、深山の方は祖父母の持ち家とかで他にも家があるのかとばかり……もっと早くに聞いとけばよかった。


 亜梨子ちゃん曰く深山からだと大学に登校するにも東京に仕事で行くにもちょっと遠いので、声優として収入も安定してきたし大学進学を機に思い切ってここに引っ越したのだとか。

 随分便利になったんですよーと彼女は笑っていたけど、こっちは笑ってもいられない。

 

 推し贔屓を抜きにしても月城亜梨子は10人中10人が認める美少女。

 そんな彼女と二人きりってシチュエーションはちょっと、だいぶ、いやかなり話が変わってくるわけで、例えるなら全年齢指定から急にRー15指定に年齢制限が引き上がったくらい違う。

 もちろん僕が理性を抑えている分には間違いなんて起きようもないんだけど、健康な男子高校生にこの状況は生殺しと言いますか。

 仮にもアイドルなんだし、自分がどういう見た目で他人からどういう風に思われてるのかくらい理解してくださいよマジで。

 

「ごめんなさい、すっかりお待たせしてしまって」


 もんもんと沸き上がってくる煩悩と戦ってると、亜梨子ちゃんの清涼な声がした。女の人の身支度は時間がかかるって言うけど、ようやく着替えが終わったみたいだ。

 意識しないようにあえて亜梨子ちゃんの部屋の方は見ないようにしてたけど、その声に僕は振り向いて、


「いえ全然待ってなんかいませーー……」


 目に飛び込んできた彼女の格好に、言葉を失った。


「そうですか? 良かったぁ。せっかく秋良くんが来てるからとっておきの部屋着を選ぼうと思ったら悩んでしまって、時間が。優柔不断なのは私の悪い癖ですね」


 失敗失敗と自分の頭をこつんと軽く小突く彼女。

 たぶん失敗しているとしたら優柔不断なところじゃなくて選んだ服自体だと思うんですけど。

 部屋着ってなに? ソレが?


 亜梨子ちゃんが着ていたのは服と表現するにはあまりにも防御力が低いレース生地のワンピースだった。肩は剥き出しで丈はこれでもかと短くて、大胆に太ももが覗いているセクシーなタイプ。

 女の子のファッション事情には例によって明るくない僕だけど、部屋着というよりは寝間着、下手をすれば下着に見えるくらいだ。

 胸元とかのデリケートな部分はフリルでカバーされてるけど太ももなんかは膝上何背センチってレベルで剝き出しになっちゃってるし、薄い生地は肌に吸い付いて体型がくっきり浮き出てる。

 とくにお腹周りなんて生地が完全に透けちゃってて綺麗なお臍まで見えちゃいそうなーー思わず目が釘付けになってしまっていた僕に、亜梨子ちゃんが不思議そうに聞いてきた。


「秋良くん。さっきからどうかしたんですか?」


「へあっ!?」


 もしかしてバレてた?

 なんとか誤魔化さないと!!


「べ、別に僕は何も見たりとかはしてないですよっ!?」


そう焦ってしまったのが迂闊だった。


「見る? なんのことですか? 秋力くんが静かだったので、ちょっと気になっただけなんですけど」


「え? ……うっ、い、今のは……えっと。あはっ、あははは。その、亜梨子ちゃんの家豪華だなってそれで目が奪われちゃったり、とかして。か、家具とかセンスいいですよね〜いやぁ僕もこんな家に住んで見たかったなぁ!」


 ……マズい。

 今の反応は完全に不自然だった。これじゃ自分から白状したようなもんじゃないか。

 咄嗟に吐いたガバガバな嘘に亜梨子ちゃんが気付いてないことを祈るしかないけど、


「ふぅーん? 家具、ですか? その割には秋良くんの視線がえっちだった気がするんだけどなぁ。一体どこを見てたんでしょう、うふふ」


 そりゃバレてますよねー、ていうかこれ全部見抜いた上でカマかけられたんじゃ。

 それにこの感じ完全にスイッチが入っちゃってるし。


 僕も最初は清楚系美少女だと信じて疑わなかった亜梨子ちゃんだけど、メッセージのやり取りを重ねる内に分かったことが一つある。

 実は彼女、親しい相手にはわりと小悪魔気質なのだ。


「ねぇねぇ秋良くん、私の身体のどこを見てたのか教えてくださいよ。秋良くんが女の子のどの部分に興味があるのか私も知りたいなぁー」


「ち、ちょっと何のことだか分からないですね」


「またまたそんなこと言って。私のお腹のあたりをじーっと見てたクセに♪」


「いや知ってるんじゃないですか!?」


「あら。言っちゃいました、うふふ」


 こんな感じで誰かを揶揄ったりするのが大好きで、しかも性質タチが悪いことに中でも僕を弄るのが何よりも楽しいらしく一度スイッチが入ると満足するまで止まらないのだ。

 本当にしくった、まんまと釣られちゃうなんて。

 スキンシップの激しいえびすさんで多少は女の人の身体に慣れたと思ってたけど、こんなのは反則でしょ。


(……それにしても)


 僕を独り暮らしの家に呼んだりこんな薄着を見せ付けてみたりだとか、思わずしちゃいそうになるけど、全部こうやって僕を揶揄うのが目的だったってことでいい、んだよね?

 いやそれ以上の意味があられても困るんだけどさ、いくらなんでも無防備過ぎじゃないかなって。だってこれがもし僕じゃなかったら今ごろR-18展開になっててもおかしくない。

 それこそ距離感バグってるえびすさんならともかく、亜梨子ちゃんはそういうことが分からない人じゃないハズなんだけどな。


「どうかしましたか?」


「いえ、ちょっと考え事を」


「そうだったんですか。うふふ、ねぇねぇ秋良くん」


「はい?」


「夜もまだまだ長いですし--今夜はたくさん、楽しみましょうね♡」


「っっ!?」


 その時僕は、亜梨子ちゃんの表情に一瞬別の何かが混じったのを見逃さなかった。

 妖しくペロッと舌で唇を舐めながら見つめてくる瞳が、お腹を空かせた狼みたいに鋭くなったような。


 自分がどういう見た目で他人からどういう風に思われているのか、本当に分かってなかったのはどっちだろう。

 もしかして、いや、もしかしなくてもーー亜梨子ちゃんはなんじゃないか?


 僕は背筋にたらりと冷や汗が流れていくのを感じた。



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