第26話 計良先輩の頼み事


「こほん。さて、それじゃあ本題なんだけどー」


 狭い部室内に唯一置かれた大机を囲んで座る僕とえびすさんを見据えて、計良先輩は可愛らしく咳払いしてから話を切り出した。

 散らかり放題だった机の上は手分けしてなんとか片付けられて、人数分のお茶と茶菓子が並んでいる。

 ただし大柄な北先輩が座れるだけのスペースは確保出来なかったので先輩だけは部屋の隅に佇んでいた。立ったまま紅茶を啜っている姿はどことなく哀愁を感じる気がしないでもない。


「ふたりはコミマって知ってるかな?」


「そりゃあまあ」


「参加したことはまだないですけど」


 先がえびすさん、後が僕。

 コミマと言えば年に二回、8月の半ばと12月の終わりに開催されている国内最大級の同人誌即売会だ。オタクを名乗る人間なら知ってて当然の常識中の常識。最近は経済効果の高さだったり、何十万人というオタクが一堂に会する様子が見せ物的な意味で有名になって一般層への認知度も高まっていると思う。

 つまるところコミマについて訊ねてきた計良先輩への僕とえびすさんの感想としては「何を今さら」って感じだ。


「うん、だよね。実は私、毎年夏冬のコミマにサークル参加してるんだけどね。今年の夏のサークル参加も通ったの」


「えっ、凄いじゃないですか!」


 何気なく計良先輩が口にした一言に普通に驚いた。

 サークル参加って、要するに同人誌を作って販売する側ってことだ。たしかに漫研に所属しているんだしコミマ参加は目標の一つになるのかも知れないけど、製本するにもお金がかかるし何より人気イベントだけに参加できるサークルも毎回抽選で決めてたはず。

 それを学生が、しかも毎年二回ずつとなると一体どれだけ大変なんだろうか。

 驚きを隠せないでいると、えびすさんがついでとばかりに爆弾を落してきた。


「秋良には教えてなかったっけ。先輩ってその道じゃ結構有名らしいぞ? 『こぬかあめ』っていうペンネームで活動しててーー」


「『こぬかあめ』先生!? マジですかっ!!?」


 再びビックリ。思わず大声で叫んじゃって慌てて口を塞ぐと、隣のえびすさんが耳を押さえてじろっと睨み付けて来た。正面の計良先輩も少し顔をひきつらせている。

 やっべオタクの悪いところが出ちゃった。

 こんな時も全く表情の変わらない北先輩には落ち着くなぁ。


「す、すみません突然大きな声を出して……でも本当に計良先輩がこぬかあめ先生なんですか?」


 えびすさんのことを疑うわけじゃないけど確認せずにはいられない僕に、計良先輩は気恥ずかしそうに髪を弄りながら頷いた。


「そうだよー、私がこぬかあめでーす。……えへへ、先生なんて呼ばれると照れちゃうから今まで通り先輩って呼んでね」


「わ、分かりました。うわぁ、でもまさか先輩が……うわぁ!」


 僕がこんなに興奮しているのにもそれなりの理由がある。

 こぬかあめ先生といえば僕も好きなアニメを題材にした同人誌だけを出し続けていて、そのジャンルでは知らない人がいないほどの重鎮なのだ。ちなみに全年齢向け作家なので邪推はしないように。

 もちろん僕も本を持っているしSNSもとっくにフォロー済みで、計良先輩とは連絡先を交換していないのにある意味で既に連絡先を知っているという奇妙な関係になってしまった。


「えっと、続きいいかな?」


「あ、すみません! 僕なんかには構わずお好きに続けて下さいさぁどうぞどうぞ!」


「うー新戸くんがなんか変だよぅ……」


 敬愛するこぬかあめ先生の話の腰を折ってしまうとは。平身低頭で続きを促すと計良先輩はどことなく気持ち悪がっていそうな顔を一瞬したけど、僕が中断してしまった話の続きを語り出した。


「いつもコミマは私と北くんのふたりで参加してるの。ありがたいことに参加する度にサークルの人気も上がってきててーーただ、それが原因で前回はちょっと困ったことになっちゃってね」


「困ったこと、というと?」


「予想よりもうちのサークルに来てくれる人の数が多くって。ふたりじゃ捌ききれなかったり用意した部数じゃ足りなかったりしたんだぁ」


「あぁ~……」


 計良先輩の困り事というのは困ったは困ったでも嬉しい悲鳴ってやつの方だった。コミマに参加しても赤字で終わるサークル参加者がほとんどだって聞いたから、ファンとしても後輩としてもこぬかあめ先生が順調なのは喜ばしい限り。税金とかどうしてるのかはちょっと心配だけど。


「やっぱりアニメの影響ですかね、『キリンジ』。映画化も発表されましたし」


「多分そうだと思う。……ちなみにだけど新戸くんの推しは?」


「ふっふっふっ、僕は獅子春です」


「おお~意外にオラオラ系だぁ。わたしは青刺郎とマリアかなぁ」


「先輩はやっぱそうですよね、出してる同人誌ほん青✕マリ本ばっかですし」


「えへへ、流石にバレてるかぁ」


「なあなあ映画化って?」


 キリンジの話で盛り上がっていると、話についてこれないらしいえびすさんが袖を引っ張ってきた。

 僕が説明しようかと思ったけど、それより先に計良先輩が目を輝かせてえびすさんの手を取った。


「湊ちゃんキリンジ観てないんだっけ! 冬クールから二期が放送してたんだけど、年末に映画が決まったんだよー! あ、そもそもキリンジっていうのは私とか新戸くんが観てるアニメのことなんだけどね? 内容は超能力バトルモノって感じなのかな、簡単に言っちゃえば。でも画期的なのが超能力を使うには絶対に殺人を犯さないといけないっていう設定でね、これがちょっと人を選ぶんだけどハマる人はすっごい面白いと思うから是非とも一回観てみて欲しいなっ!!」


「はぇー……そうなんすか。知らんかったっす」


「いや興味薄っす」


 計良先輩は鼻息荒く説明していたけどえびすさんにはいまいち響かなかったみたいだ。

 まあえびすさんは日向さんが出るアニメ以外だと、虹ロリ美少女メインのアニメか日朝の女児アニメとかしか観ないから知らないのも無理はないか。

 『キリンジ』はちょいエロありかなりグロありの異能バトル系アニメ作品だし彼女の好みとはとことん合わないんだろう。

 作品内容については詳しく語ると脱線してしまうので今は割愛するとして、ともかく公式の展開に引っ張られて『キリンジ』の創作界隈も大盛り上がりと、そういう話だ。


「まあそういうことで、うちも夏はさらに需要がありそうだから思いきって部数をかなり増やしてみることにしたんだ。捌けなくても委託したりとか、少なくとも赤は出ない範囲で考えてて、そっちはひとまず大丈夫そうなんだけど……でも人手の方は私も北くんもアテが無くって」


 なるほど、そこまで言われれば話が見えてきた。なんでえびすさんだけじゃなく僕にも声がかかったのかも。

 今となっては黒歴史だけど、前に趣味で小説を書いていた時に調子に乗るだけ乗ってた僕はゆくゆくはコミマにサークル参加するのも悪くないかなーとあれこれ調べたことがある。

 コミマに参加する一つのサークルあたりの上限人数は四人まで。計良先輩に北先輩で元々二人のところに、僕とえびすさんを合わせると丁度四人だ。


「それでお願いなんだけど、ふたりがもし暇だったら夏のコミマで売り子手伝ってくれないかな。交通費とか諸々はこっちで出すし、ささやかだけどお礼もするつもり。どうかな?」


 やっぱりというか計良先輩のお願いは僕の想像した通りだった。


「そういうことなら任せてくださいよ! 実家の手伝いで客商売は慣れてるんで! ……ただ、」


 一も二もなく即答したえびすさんが、ちらっと僕の方を見てくる。その視線が「秋良はどうする?」と問いかけていた。

 うーん、どうしたもんか。

 コミマの日程はたしか毎回お盆休み頃だ。うちは両親共に良く言えば開明的、悪く言えばものぐさで風習とかは面倒がる人だからお盆参りは人生で一回もした記憶ないし、たぶん今年の盆休みもこれといって予定はない。

 何より僕が大ファンであるこぬかあめ先生のお手伝いが出来るとなればーーなんだ、悩むことはなにもないじゃないか。


 それに前々からコミマには一回くらい現地参戦してみたいと思ってたし。

 一般参加だと長蛇の列に並ぶ必要があるけど、サークル参加側ならスムーズに入場出来るって話を聞いた覚えもある。売り子といったって一日中ブースに付きっきりってわけじゃないだろうから会場内を見て回る余裕くらいはあるはず。


「僕も手伝いますよ。他ならぬ計良先輩の頼みなら断る理由もありませんから」


 ちょっとした打算は隠しつつそう答えると、計良先輩は両手を合わせてパッと笑顔を浮かべた。


「わぁホントにいいの! ホントにホントに!? 二人とも助かるよぉ、ありがとー!」


「なに言ってるんですか、こういう時の為の後輩じゃないっすか。気にしないでビシバシこき使ってくださいよ!」


「いやいや、私の方がお願いしてる立場なのに偉そうになんてしないからね!?」


 年上だし部長なのだからもっと上から物を言ってもよさそうなのに、まったく可愛らしい先輩である。

 あたふたしている彼女をえびすさんと微笑ましく見守っていたのだが、計良先輩が次に発した一言に僕らはなにか引っ掛かった。


「でもよかったぁ、ふたりがOKしてくれて。おかげで手芸部の友達にコスプレ衣装お願いしてたのも無駄にならずに済みそう♪」


「…………ん?」


「…………お?」


 なんだって? 今聞き逃せないワードが通過してったけど。

 コミマの手伝いとコスプレ衣装とやらになんの関係が。急に不穏な気配がしてきたな……。


「いやー私も頑張って描いた甲斐があるよー。見て見て結構力作でしょ!」


 そう言って先輩が机の隅に追いやられていた物の山から引っ張り出して見せてきたのは一冊のスケッチブックだった。


「それさっき描いてたやつ」


 僕より早く反応したのはえびすさんだ。そういえば計良先輩は部室に入った時に何か作業してて、えびすさんはその見物をしていたっけ。

 小柄な先輩が抱えていると巨大なキャンパスのように思えるスケッチブック。その捲られたページには前、横、後ろの向きで描かれた見覚えのあるキャラクターと、中二病感溢れる衣装やアクセサリーについての解説がこと細かく記されていた。


「これは……キリンジの青刺郎とマリアの衣装設定ですか? なんでまた」


 計良先輩、というかこぬかあめ先生はキリンジの一期が放送してから四年くらいの間ずーっとキリンジの絵ばかり描いているはずだ。

 今さら設定画なんて自分用に用意する必要もないはずで、ならこれは誰かに見せる用ってことだ。

 コミマの売り子、手芸部の友達、この衣装設定のスケッチーーそれぞれのワードが繋がって導き出される答えとは。


「ふふーん。これはねー、コミマで着る用のコスプレ衣装作ってもらうのに必要なんだー」


 コスプレか。まあコミマだし定番っちゃ定番なのかな。


「計良先輩ってコスプレ趣味もあったんですね」


「うん? まあ私も北くんも別の衣装は着るけどーーこれは湊ちゃんと新戸くん用の衣装だよ」


 へぇー、どこの湊ちゃんとどこの新戸くんだか知らないけ随分ど派手な衣装着るんだな……………………って、


「「ええええええええええええええぇっ!!?」」


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