第21話 きっとそれは恋

 

「えびすさんどこまで行くの?」


「………」


「僕この辺詳しくないんだけどさ、ここ抜けるとどこ繋がってたっけ」


「………」


 返事、無し。

 えびすさんに引っ張られるまま大通りから横道へと逸れ、僕らはいま本町の路地裏を歩いている。

 表では鮮やかに彩られた看板と店構えがお出迎えしてくれるのに、一歩裏道に入って店舗の裏側に回れば鼠色のコンクリートがむき出しの華やかさとは無縁の空間が姿を現す。

 ゴミ袋がまとめられてネットがかけらている上から烏が袋の中身を啄み、同じくお零れを狙っていた野良猫がこちらを向いてにゃあと鳴いた。


 賑やかな大通りからほんの少し離れただけなのに人気はまるで無くて、異世界にでも迷い込んだんじゃないかという不思議な感覚に襲われる。


 コツンコツンと狭い路地裏のコンクリートの谷間に響くえびすさんのヒールの音に耳を澄ませながら、ただただ歩いた。

 抱き締めるように掴まれたままの左腕にはえびすさんの早い心臓の鼓動がどくんどくんと伝わって来る。

 頭一つ下にある彼女の顔は伏せられているから、今どんな表情をしているのかも伺えなかった。


 そのままいつまでも続くように思われた長い路地も遂に終点が訪れた。光が差している道の道の向こうに、表通りの横断歩道を歩く人や車道を行き交う車が見えた。

 ちょっとした非日常から見馴れた日常の風景へ足を踏み出そうとしてーーその動きが止まる。

 いや、止められた。えびすさんが急に立ち止まったからだ。


「……秋良ごめんな。迷惑、だったよな」


 暫くぶりに喋ったと思ったら、開口一番に謝罪してきた。

 大分落ち込んでいるというかしょげてる感じで声色にも元気がない。


「どしたのさ急に。らしくないじゃん」


「わたし鬱陶しかっただろ? 亜梨子ちゃんと話してたのに邪魔しちまってさ。本当悪ぃ……」


 うーん、まあたしかに今日はえびすさんに随分と振り回されてるし、あの魔王モードみたいな亜梨子ちゃんの相手を後でするのかと思うと憂鬱だ……今夜は寝れるといいなぁ。

 だけど、たった数か月の付き合いとはいえ明らかに様子がおかしい友達にどうこう言うほど僕は人間終わってないつもりだ。


「別に迷惑なんかじゃないって。僕とえびすさんの仲なんだし今さらじゃない」


「……嘘言うなよ、庇ってくれなくてもいいから。わたしも自分で分かってんだ面倒臭いやつだってことくらい」


 彼女はようやく僕の腕を放すと、ぎゅっと自分を抱き締めて自嘲するようにそう言った。


「本当だって。そりゃあ少しはびっくりしたけどさ、こんなことで僕怒ったりしないから。知ってるでしょ?」


「それは……そうだけどよ」


「でしょ。それよりどうしたの? 隠さないで教えてよ、友達でしょ僕たち」


 こういう時にどうしてあげるのが正解なんだろう。だてに陰キャやってないから友達付き合いの正しいやり方なんてさっぱりだ。

 でも、えびすさんについてなら少しだけ分かることもある。

 真綿で包むような優しい言葉で誤魔化すことも出来るけど、からっとした性格の彼女は内側に感情を押し込めたままでいるよりはさっさと外に発散させてあげた方が良いと思う。

 単純に個人的な理由として、えびすさんの曇った顔をこれ以上見ていたくないというのもあるけれど。


「聞かせてよ。きっと話した方がすっきりするって、こういうのは。僕のことはカカシかなんかだと思っていいから。ね?」


 安心させようと思ってウインクなんてしてみたら、えびすさんはぱちぱちと瞼をしばたたかせてきょとんとした。

 ……やっぱ慣れないこととかするもんじゃないな。間抜けな顔になってたなら恥ずかしいんだけど。


 実際笑っちゃうような顔になってたのかはたまた別の理由なのか、えびすさんは少し力が抜けた様子で笑みを漏らした。


「はははっ、話した方がすっきりする、か。そうかもな……なら聞いてくれよ秋良、わたしの話」



 ***



 道端で立ち話をするのもどうなんだということになって、僕らはすぐ近くの川べりにあったベンチに移動していた。


「実はさ、昨日からなんか変だったんだよなー」


 河口へと続く川の流れを眺めていると、えびすさんは思い出すように話を切り出した。


「ふわふわしてるっていうかどうにも落ち着かなくてよ。わたしって秋良くらいしか趣味友いないから、初めて話が合う友達と一緒に遊びに行くのが楽しみなのかなって思ってたんだけど」


 黙って頷く。それは僕も同じだったから。

 浮き足だってよく眠れなくて、ただ遊びに行くだけなのに変に意識しちゃったりなんかして。

 えびすさんはそんなことないだろうって思ってたけど。


「でよ、今日は朝からめっちゃ楽しくてさ! 秋良と街歩くのも映画観るのも飯食べんのも、一人だったり他のヤツと遊びに来た時より新鮮で。なんつーかすっげぇ幸せだなーって」


 けど違った。

 わくわく胸を高鳴らせていた僕の横で、えびすさんも同じかそれ以上に今日を楽しんでくれてたんだ。


「それは僕もだよ、すっごい楽しかった。友達と映画観ながらポップコーン食べるのとか初体験だったしね」


「マジぃ? へへっ、そっかそっか、秋良の初めてはわたしかー」


「……その言い方だとなんか意味深じゃない?」


「なにがだよ?」


 ……しまった。そういえばえびすさんって案外純情なんだった。

 わざと含みでも持たせてるのかと思ってツッコんだけど、今度からえびすさんの発言はただ額面通りに受け取った方が良いのかも。


「んん゛っ、なんでもないから気にしないで」


「そうか。ならいいけど」


 どうやら勘付いた様子はなし。

 掘り返されない内に話を戻しとくとしよう。


「そ、それより話の続きは? 今日は楽しかったってとこまでで止まってるけど」


「おっとそうだった。ってもなぁ、ん〜……」


 催促してみると、えびすさんは腕を組んで首を捻っている。


「どうかしたの?」


「いやなんてーかさー、上手く言葉に出来ねぇんだよな。わたしもぼんやりとしか分かってないっていうか。強いて言うなら、そうだな……」


 しきりに顎のあたりを擦って考え込んでいたえびすさんは、数分ほど考え込んでから言葉を捻り出した。


「最初はさ、ちょっと面白くないなーってくらいだったんだよ。あ、秋良が亜梨子ちゃんとやり取りしてた時の話な」


「うん」


 あの時のえびすさんは分かりやすいくらいに拗ねていたし、まあそうだろうね。

 でもまだ少しご機嫌ナナメってくらいで、あれくらいなら今までもあった。

 彼女の様子が明らかにおかしくなったのはその後だ。


「よくもわたしを放置しやがってあとでお仕置きてやるーってさ。……でも、秋良が亜梨子ちゃんと楽しそうにしてるの見てたら、なんか胸がきゅってしたんだ」


 ……ん?


「一回は気付いてくれたけど、結局わたしのほっぽって亜梨子ちゃんと電話するし。それでーー秋良が亜梨子ちゃんにわたしのことただの友達って言った時にさ、胸が急に痛くなったんだ」


 なんかそれってーーいや気のせいだよねきっと。そうだそうに決まってる。

 だって僕とえびすさんは友達なんだから、そんなことを彼女が想うはずないじゃないか。


「そしたらどんどんネガティブな気持ちになっちゃって。馬鹿みたいに気合い入れた服着て来たのが惨めに思えて死にたくなった。……朝に秋良に褒めてもらった時は、すっげぇ嬉しかったのにさ」


「そ、そうなんだ……」


 だから自意識過剰なんだって、自分に何度言い聞かせても不安が拭えない。

 それはきっと既視感を覚えてしまっているから。


「その内、このままじゃ秋良を盗られちまうんじゃないかって思ったんだ。……別にお前はわたしの物じゃないってことくらい分かってるんだけどな。それでも亜梨子ちゃんに秋良を渡したくなくて、気付いたらあんなことしちまってた」


 あの日あの時、もしもあの場所に行っていなかったら僕は最後までえびすさんの心の内に気付かなかっただろう。ある意味その方が幸せだったかも知れないけど。


(なんでこうなっちゃったんだ……?)


 今日一緒に遊びに来たから?

 僕が知らない内に亜梨子ちゃんと知り合っていたから?

 それとも下らない理由で僕がイメチェンなんてしようと思ったから?


 なにをどうしていたらなるのを避けれたのかな。


「頭に登ってた血が引いてだんだん冷静になったら何やってんだって自己嫌悪でさ。わたしだってハレちゃんと話してるときに邪魔されたらブチ切れるだろうし、これは秋良にも嫌われたかなって思ったら怖くなったんだ」


 えびすさんは思いの丈を口にしながらワンピースの裾をくしゃっと握り締めた。

 僕も爪が手の肉に食い込むくらい拳を力強く握り締めている。

 自分から聞いたくせに耳を塞いでしまいたい気分だ。


「これまで何回も殴り合いの喧嘩とかはしてきたし、わたしを恨んでるやつなんて山ほどいるだろうけど……なんかお前にだけは、わたしのこと嫌いになって欲しくなくて。誰かに嫌いになられるのが怖いなんて生まれて初めてだ」


 だってえびすさんが僕に抱いている感情はきっともう、


「でも秋良は気にしてないって言ってくれて、わたしのことこうして気遣ってくれて、それが嬉しくて。……嬉しいんだけど、なんか変なんだよ」


 今えびすさんの言葉に籠められているこっちまで焼けてしまいそうな熱。それは先週の日曜日、亜梨子ちゃんに告白された時に感じたものとよく似ていた。


 えびすさんは気付いてるんだろうか、自分の抱いている感情の名前がなんなのか。

 もし気付いているならその瞬間僕らの友情は途端に違うモノになる。


「なんでか分かんねぇけど、さっきから秋良を見るだけで心臓がバクバクすんだ。それになんか前より秋良がイケメンに見えちまったりしてさ。……へへっ、照れくさいな」


 だけど見た感じえびすさんはまだ自覚していないみたいだ。

 そのことにほっとしたのと同時に、僕の心の中で悪魔が囁いた。

 

「なぁ秋良はどう思う?  わたしってなんかおかしくなっちまったのかな?」


 もしも、えびすさんが胸の中で開花させつつある感情の正体を教えず名前を付けさせなかったら。

 それが可能なのだとしたら、僕とえびすさんはまだ友達のままでいられるんじゃないかって。


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