第14話 名前で呼んで
「んで晴れて友達に戻ったと。はあ……お前さ、男らしくなさすぎじゃね?」
「……おっしゃる通りです」
事の顛末を説明すると、湊さんは呆れ果てた様子で大きな溜め息をついた。正直図星過ぎてなにも言えない。
たとえその後どうなろうと後悔せずに二択を選ぶか、返事をするまで時間を貰うにしたって自分から切り出すのが正解だったとは思う。対して僕がやったことと言えば、勇気を出して告白してくれた亜梨子ちゃんに逆に縋り付いて猶予を貰っただけ。
これで男らしいと言い切る奴がいたら見てみたいレベルだ。
「にしても甘酸っぱいやり取りしちまってまぁ。友達ねぇ、これが」
湊さんがぼやきながら弄っているのは僕のスマホだ。亜梨子ちゃんに告白されたくだりを説明する過程で彼女がなかなか信じてくれないものだから証拠を見せたのだけど、それからまったくもって返してくれる気配がない。
「あの、そろそろ返して欲しいなーなんて」
「ん。もーちょい」
「それさっきも言ってたじゃんか。何がそんなに気になってるのさ」
「うっせ。わたしの勝手だろ」
「いやそれ僕のスマホなんだけど……」
どうやら僕と亜梨子ちゃんのチャット欄を遡って見ているみたいだけど。
どことなく不機嫌そうな気配を漂わせているし、触らぬ神には祟りなしとも言うから諦めて放置して昼飯の続きを食べていると、湊さんは妙なことを訊ねてきた。
「なあ、秋良。わたしらって友達だよな」
陰キャの僕には馴染みのない問いかけに少し動揺しつつも、友達と呼んでくれるのは素直に嬉しい。
「う、うん。僕はそう思ってるけど」
だからそう即答すると、湊さんはなおも続けた。
「だよな。じゃあさ、お前わたしのこと何て呼んでるよ」
「え? 湊さんだけど」
「じゃあ亜梨子ちゃんのことは」
「もちろん亜梨子ちゃんだけど。それがどうかしたの?」
何でそんな当たり前のことをわざわざ聞いてーーってあれあれ、湊さん眉が吊り上がってませんか。
どうやら僕の答えはお気に召さなかったらしい。らしいが、今の話の流れでどこにダメなポイントがあったんだろう。
首をかしげていると、湊さんはピッと自分のことを指差した。
「わたしの下の名前、湊じゃねーんだけど」
「そりゃ知ってるけど」
湊えびす。それが彼女のフルネーム。
本名を忘れるほど薄情な友達じゃないつもりなんだけどな。
「だ・か・ら! わたしの下の名前、湊じゃねーんだけど!」
「なんで二回も言ったのさ……」
「お前が分かってねーからだろ!」
いやだから何がーー……あ。
もしかして、そういうこと?
話の前後の繋がりから考えると、湊さんがわざわざこんなことを言い出した理由は多分一つだろう。
だけど僕としても言い分がある。
たしかに彼女のことは名字で呼んでいるけど、それは僕が男女問わず下の名前ではあまり呼ばないタイプ(亜梨子ちゃんは推し枠なので別)なのもあるがそれ以前に、
「でも名前は可愛くないから名字で呼べって言ったの自分じゃない」
そうなのだ。
湊さんはオヤジさんが名付けたという自分の名前に触れられるのを嫌がっていて、僕も名前を教えて貰った時は名字で呼ぶように念を押された記憶がある。
だってのに今になって。
「うっさい。黙れ。空気読め。バカ」
「うそぉ理不尽すぎない?」
「だいたい、なんで亜梨子ちゃんが秋良のこと本名で呼んでんだよ」
すっかりご立腹な湊さんは、僕にスマホの画面を見せ付けて捲し立ててくる。
それはさっきまで彼女が見ていたチャットアプリでの僕と亜梨子ちゃんのやり取りだった。
「ああーなんかね、友達同士だったら本名で呼び合うのが普通だよねって言われて。月城亜梨子って芸名じゃなくて本名なんだって」
「へー、初知り情報……ーーって、そこじゃねぇ!」
バンッと手で強く机を叩いた湊さんは、身を乗り出して僕に顔を近付けてきた。
亜梨子ちゃんが妖精のような雰囲気の美少女だとするなら、湊さんはさしずめ女神といった感じの美人さんだからこの距離感には思わずドキっとする。
その整った顔立ちを寂しげに歪めて、彼女はポツリと呟いた。
「わたしだって秋良の友達だろ。……なら、わたしも名前で呼んでくれてもいいじゃねーか」
「湊さん……」
さっきまでの強気さが嘘のようにしおらしくなる湊さん。
僕にとって、彼女は数少ない大事な友達の一人だ。
告白はされたけど保留にして一旦友達に戻ってもらったリドルくんもとい亜梨子ちゃんや、面きって友達と呼ぶにはまだ時間が欲しい羽入くんとは違って、一番友達らしい友達と言えるかも知れない。
けどそれは僕視点での彼女の話で、元ヤンとはいえ美人で明るくコミュ力も高い湊さんは付き合いが広く僕以外に男女問わず何人も友達がいる。
僕はあくまで趣味友の一人でしかなく、普段湊さんの隣にいる友達とは比べるべくもない。
そう思っていたのだけど、存外に僕は彼女からかなり親しい存在として認識されていたみたいだ。
なんて声を掛けたらいいか。
実のところ正解は分かっているけど、今さら下の名前で呼ぶのも気恥ずかしい。
うーとかあーとか唸りながら躊躇っている内に、昼休みの終わりを告げるベルが鳴った。
「あ、昼休み終わったし授業行かないと。五限目うちのクラス英語だからさー、遅れると猫田先生が五月蝿いんだよね。あははは」
これ幸いと戦略的撤退を選ぼうとした僕を、にゅっと伸びて来た手が絡みついて捕まえた。
「うわっ、ちょっと離してよ湊さん!」
「……絶対に名前で呼ぶまでは逃がさねー。たとえわたしが遅刻したとしても
言うまでもなくそれは湊さんだった。
タコみたいにひしっと巻き付いてきてまるで離れない、というか背中に柔らかいモノが押し当てられてるんですけど!?
「もうっなんでそんなに必死なのさ!?」
「うるせーっ! お前のことだから今逃がしたらどうせのらりくらり逃げ続けるつもりだろうが!!」
ぐっ、鋭い。よく分かっていらっしゃる。
いくらあがいても非力もやしな僕では振りほどけそうにもない。
……どうせずっと逃げるのは無理だし。
観念するしかない、か。
「分かったよもう。名前で呼べばいいんだっけ? …………あ~…………その……え、えび、えび、えび……」
「おいおい、わたしを甲殻類みたいに呼ぶんじゃねぇよ」
「人が恥ずかしさと戦ってる時に茶化さないでくれますかねぇ!?」
まったく、ただ僕を揶揄いたいだけじゃないだろうな?
でもおかげか少し肩の力が抜けて、するりと口から彼女の名前が出て来た。
「ーーえびすさん。これでいい?」
呼び慣れていないから何だか新鮮で少し不思議な響きだ。
湊さん、もといえびすさんは数度まばたきをして、それから満足げに頷いた。
「おうっ! ま、もっと言えば呼び捨ての方がよかったけどな。さん付きじゃ恵比寿様みてーだし」
「呼び捨てはハードル高いから勘弁してよ。ていうか時間時間っ、授業急がないと!!」
手早く後片付けをして漫研の部室を出た僕らは教室を目指してひた走った。
道中隣のえびすさんはやたらと機嫌が良くてにまにまと笑いながらスキップしていたのだけど、生徒玄関を通り過ぎたあたりで声を掛けて来た。
「なあ秋良ー」
「なにー!」
「そういやわたしらってさ、一緒に遊びに行ったことなくねー」
「え? はっはっ、そう言えばそうかも、はっはっ……ていうかなんでえびすさんそんな余裕なの!?」
僕なんかもう息が上がりそうなんだけど。
そんな僕を尻目に階段を一段飛ばしで駆け上がっていったえびすさんは、踊り場で立ち止まるとくるっとこちらに振り向いた。その拍子にただでさえ短いスカートが翻って僕の位置からだとその中が見えてしまいそうで慌てて目を逸らした。
「中間テスト終わったらさ、本町まで遊びに行こうぜ。二人で。いいだろ?」
「いいけど、でもなんで急に?」
「んー? なんとなく! 別に理由なんてなんでもいいだろ、だってわたしら
そう言ってにっかりと太陽みたいな笑ったえびすさんが眩しくて、僕は思わず友人であるはずの彼女に見惚れてしまった。
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