第11話 月城亜梨子の告白

 

 時間は戻って現在。

 テーブルに擦り付けるくらい深々と頭を下げてくる亜梨子ちゃんを前に、僕はどうしたらいいものか頭を悩ませていた。


「あの時は本当にありがとうございました。すぐに疑惑が払拭されなかったら今こうしてお仕事を続けることも出来ていなかったかもしれません。おーたむーんさんには

感謝してもし足りないです!」


「いやいや、あれは僕だけの力じゃないですし。だから頭を上げて下さいよ」


 たしかに僕が関わっていたのは事実だけど、単にファンとして何か出来ないかと思ってただけで誰かに感謝されたいって下心でやったわけじゃない。 それに言い出しっぺは僕だけど、えびすさんや他の仲間たちの協力がなければきっと真実は闇の中だったろうし。

 それになにより、今は場所が場所なわけでして。


「ほらほら、注目されちゃってますから」


 声を潜めて耳打ちしながら辺りを窺うと、目が合った周囲の席のお姉さま方が私は何も見てませんよーとばかりに目を逸らしていった。もう遅いですよ、お姉さま。


「……取りあえず店を出ませんか? 話なら後でいくらでも聞きますから、ね」


 一応亜梨子ちゃんも眼鏡で変装しているし、こんな場所に顔を知っている人がいる可能性は低いとは思うけど絶対はない。もしまた写真でも撮られたら今度は言い逃れるのも面倒そうだ。

 僕がそう促すと、彼女はプロとしての危機管理意識からかはっと周囲を見渡して小さく頷くのだった。


 店を出ると随分と話し込んでいたようで、夕方というには少し早いくらいの時間帯になっていた。

 だいぶ日も落ちてきているというのに6月の日差しはまだまだ強く、肌をじんわりと焦がす。

 亜梨子ちゃんはトレーナーに長ズボンという例の出で立ちなので肌は大丈夫だろうけど、その季節外れの服装ではとても暑そうだ。


「その、こっちへどうぞ。日陰になってますから」


 丁度一人分ほどの幅がある建物側の日陰へと誘導すると、彼女はきょとんとした顔をみせた。

 どうやら帽子を目深に被っていたのはスキャンダル避けの変装というよりも僕にバレないように顔を隠したかっただけのようで、今は普通に頭の上に収まったているキャスケット帽の下には眼鏡越しに彼女の澄んだ瞳が覗けた。


「いいんですか?」


 何が、と聞き返すほど野暮じゃない。亜梨子ちゃんが日陰側を歩くということは、僕が暑い日向側を歩くこと。それを気にしてだろう。


「いいもなにも女の子にそんなところ歩かせられませんよ。こういうのは男の役割ですから」


 女子と一緒にいる時にどうするかなんてアニメや漫画にゲームの知識くらいしかない。脳内のそれらを漁りに漁って丸パクリしてたのだが、そのせいで妙に格好付けた感じになってしまった。

 僕が言うには似合っていなかったのか、彼女は一瞬ぽかんとして、その後くすくすと笑い出した。

 ばつ悪く頭を掻いていると、日向から日陰へと移った彼女はこれぞ声優という可憐な声に切り替えてこう返した。


「それならエスコートをお願いしようかしら。そうね、じゃあウフテール駅まで」


 唐突な小芝居に戸惑うよりも先に、こと亜梨子ちゃんに関しては一家言ある僕はピンとくる。


「それ昨日放送した回の台詞ですか? 敵国に潜入してお姫様に変装した時の」


「ふふっ、さすが。正解です。おーたむーんさんが王子様みたいだったから、私もお姫様の気分になりたくて」


 チロっと舌を出しながら上目遣いをするあざと可愛いさは強烈で、思わず心臓が高鳴った。


「っっ! ……そういうのっ、人前であまりやらない方がいいですよ」


「そういうのって?」


「いや、だから舌を出したりとか上目遣いとか。特に男の前だと、あんまりおすすめは。勘違いさせちゃうかもですし」


 お前は何様だと言いたくなるようなアドバイスをする僕を、彼女はじっと見つめてきた。

 そして背中を向けると小さな声で一言呟く。


「勘違いしてくれてもいいんだけどな……」


「え? なにか言いました?」


「……なんでもありません。行きましょ」


 ほんのさっきまで機嫌良さげだったのに、今度は一転して不機嫌そうに先を歩いて行ってしまう亜梨子ちゃん。

 あれぇ、どこで選択肢間違えたんだ?

 現実の女の人の気持ちを理解するには、やはり漫画やアニメの知識は無力みたいだ。


「あのーっ、ちょっと待ってくださいよー!」


 前を歩く小さな背に置いて行かれないように後を追う。

 無駄にひょろ長い僕と、女性の平均身長よりも低い彼女とでは大分身長差がある。歩幅もその差に比例して、容易に追い付くことが出来た。

 横に並ぶと、プイっと顔を逸らされてしまう。まだご機嫌ナナメらしい。


 そのまま何か会話するでもなく二人街を歩く。

 その内に陽がどんどんと傾いて街灯や店頭の明かりが主張を強めると、帰宅する会社員やOLに部活帰りの学生の姿も街の風景に混ざり始めた。

 その喧騒を避けるように彼女は路地裏に足を進めていった。どこか危険な香りのする街の裏側を暫く歩いてーー辿り着いたのはどことも知れないビルの谷間に挟まれた公園だった。

 都会の真ん中にあるのに木々が茂っていて、夕闇の中に飲まれたそこはまるで世界から切り離されているかのような不思議な感覚に襲われる。


「私」


 そこでようやく、亜梨子ちゃんは口を開いた。

 さっきの反省を生かしてまずは反応を見ることにした僕は、彼女の次の言葉を待った。


「これでも結構、今日は緊張してたんですよ。朝からずっと震えが止まらなくて。大事なお仕事でもここまで緊張するのってあんまり無いんですけど」


 僕と接している時の彼女は緊張しているようにはまるで思えなかったけど、じゃああれは演技だったんだろうか。だとしたら流石は役者だ。

 そういや朝にリドルくんから緊張して今日は来れないって泣き言メッセージが届いていたっけ。


「おーたむーんさんにどうしても直接お礼が言いたくてお誘いしたはずなのに、なんだか会うのが怖くて躊躇っちゃって」


 コツコツと公園に入っていく彼女。

 僕も後を追うと中は木々に包まれて薄暗かった。ビルの窓から零れる光もここには届かない。足元を照らすライトだけが頼りだ。


「でも実際に会ってみたら貴方は私の予想通り優しくて、気さくで、少し変わってて。同い年くらいだと思ってたのに私より若かったのと、あと……思ったよりずっと格好良かったのは予想外でしたけど」


 そう言ってこちらを見た彼女の表情は周囲の暗さでよく見えない。だけど声色は明るくてホッとした。


「あはは、ありがとうございます。僕もいつもラジオやライブで知っているままの亜梨子ちゃんでした。……リドルくんの正体が亜梨子だったのは流石に予想外でしたけど」


「うふふ、びっくりしました?」


「そりゃあもう、心臓が飛び出るかと」


 二人笑い合いながら今度は隣り合って歩いた。

 公園の中は人気もなく静かで、僕らの声だけが響いている。

 ベンチが幾つか並んでライトアップされている中央部分に差しかかった時、亜梨子ちゃんがたっと駆け出した。

 照明の光を背負って僕の方に振り返った彼女の、綺麗な黒髪がまるで宙に絵を描くように靡いて目を惹く。


「今日こうして一緒に歩きながら、私ずっと考えてたんです! どうしておーたむーんさんに会うのが怖かったのかって!」


「答えは見付かったんですか?」


「ええ」


 力強く頷いた彼女は、それからまた少しだけ黙り込んだ。今から口にしようとしていることに対して心の準備をしているみたいに。

 僕ら以外誰もいない空間、向かい合ったこの状況。

 なんか美少女ゲームのイベントシーンみたいだなーなんて呑気に考えていると、亜梨子ちゃんは口を開いた。


「……最初は、私の勝手な押し付けだと思ったんです。私の中の理想の貴方を現実の貴方に裏切って欲しくない、そんな身勝手な。でもそれだけじゃなかった」


 一歩、彼女が僕に近付く。

 距離が少し縮まるのと同時に、僕は何とも表現しにくい違和感を覚えた。

 彼女の全身が私を見てと訴えかけているようで目が離せなくなる。


「リドルの正体が私だと明かして、これまでの関係が壊れてしまうのが怖かった。貴方と今までみたいに話せなくなるかも知れない、そう思うだけで胸が張り裂けそうだったの」


 二歩、彼女が僕に近付く。

 その違和感の正体が、亜梨子ちゃんの語る話の内容と、さっきふと思ったこととリンクしてだんだんと輪郭が鮮明になるにつれて、僕はこの後に告げられる言葉がおぼろ気に予想出来てしまった。


「でも実際に会って話をしてみたら思ったのはむしろ逆で。今までよりももっと貴方を深く知りたい、私のことを知って欲しいって想いが溢れてきちゃったんです」


 三歩、彼女が僕に近付く。

 言葉にするよりも先に、亜梨子ちゃんの瞳が自分の心の内を語りかけているように僕を強く射抜いた。

 いや、そんなはずはない。

 そんなことがあるわけがない。

 大体、僕にはこういう経験が無いからこの予想が正しい自信もない。普通に考えたら間違っているはずだ。

 ……だけど。


「貴方の好きな食べ物や飲み物、手持ち無沙汰にしてる時の手癖。私よりもずっと歩幅が大きいのに、合わせて歩いてくれる優しいところーーそんなことばかり気になる自分に気付いて、それでやっと分かったんです」


 四歩、彼女が僕に近付く。

 もう手が届くくらいの距離まで来た亜梨子ちゃんはそこで立ち止まると、大きく深呼吸をした。

 この後に言う何かを口にするために勇気を振り絞ってるみたいに。

 なら少しだけ、もう少しだけ待って欲しい。

 もし僕の予想が当たっていたなら、それを口にしてしまったならもう、なにもかも取り返しが付かなくなる。

 僕が月城亜梨子を知ってからの二年近くの時間が、僕とリドルくんの一年間が、一瞬でまるで別のものに変わってしまう。

 そんな恐怖から逃げたくて口を開くけど、


「あのっ、」


「私、貴方のことが好きみたいです。多分ずっと前から」


 ーーああ、言われてしまった。

 これでもう、どちらに転がっても僕らは元のおーたむーんとリドル・リデルには戻れなくなった。


「自分の気持ちに気付いたら私浮かれちゃって。胸がドキドキしてまるで自分がお姫様になったみたいな気分になったり、貴方の反応が可愛いからつい困らせてみたくなったり。ごめんなさい、私子供みたいでしたよね?」


「いや……そんな。気にしてないです……」


 狼狽しきったまま、何とか返事を返す。

 頭がぐるぐるして思考も感情がぐちゃぐちゃだ。


 オタクはよく、〇〇は俺の嫁なんて言い出す。

 けどほとんどの人は理解しているはずだ。その対象が自分の物になることは決して無いって。

 実在していない二次元キャラクターなら言うまでもないけど、実在している人間にしたって住んでいる世界が違うという意味ではさほど変わらない。

 ファンに用意されている手段で顔を知って貰ったところで、推しの人生に一体どれだけ関与出来るだろうか。

 だから普通は気付く。気付いた上で気付かないフリをして、推しが自分以外の誰かと幸せになるまでの短い間、誰のものでもない時間を提供してもらいながら一時の夢を見ているんだと思う。


 つまり何が言いたいのかというと、少なくとも僕にとっての月城亜梨子への想いというのは期間限定と決められた叶わない前提の感情で、ガチ恋だとか言っても恋愛感情と表現するには冷静過ぎた。

 二次元キャラクターに対するそれのような、憧れに近い感情かも知れない。

 間違いなく僕は彼女が好きだと断言出来るし、非常に魅力的だとも思う。容姿も性格も、余すところなく全て。

 だけどこうして本来手の届かないアイドルであるはずの月城亜梨子が僕の下まで降りてきてくれた時、僕の胸の内にあるのは喜びよりも戸惑いの方が大きかった。

 大人気声優をしている秘密の友達がいるという、非日常めいた現実だけで僕には十分だったのだ。


「それで……良かったらお返事をいただきたいんですけど、いいですか?」


 返事。それって何の……?

 ああ、そっか告白の返事か。そうか、そうだよな。

 なら僕は選ばないといけない。


 告白を受けたら次の瞬間、憧れだった月城亜梨子が僕の恋人になってくれる。

 ただし僕のリドルくんともだちはいなくなり、現実の彼女と自分の気持ちも不確かなまま過ごすことになる。


 告白を断れば最悪関係は全て破断される。

 でも、もしかしたら友人関係は続けられるかも知れない。……以前と同じとはいかないだろうけど。


 選べるのは二つに一つ。

 きゅっと手の平を握りしめて僕の返事を待っている亜梨子ちゃん。

 その真剣そのものな瞳に、口にしようとしていた言葉が上ずる。


「僕、は……」


 僕の選んだ答えはーー


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