第10話 春の事件簿
拝啓、お父さんお母さんお元気にしていますか。してますよね、今朝家でご飯一緒に食べたから知ってます。
それより聞いてください。
僕、なんか知らない内に推しの恩人になってたみたいです。
しかも僕と話してみたいって理由で別人になりすまして一年間も友達やっていたとか。
人生って本当に何が起きるか分かりませんね、アハハハハ……
……なーんて現象逃避はこれくらいにしておこう。目を逸らしても現実は変わらない。
それにしても、僕には亜梨子ちゃんの語った『おーたむーん』像がまるで自分のことには思えなかった。
一年以上前の呟きなんてろくに覚えてないけど、アニメでの演技云々はともかくいくら亜梨子ちゃんのことでも声だけで体の不調に気付けるほど耳が良いなんてことはないし。
きっと何となしに呟いてみたのがたまたま当たってて、当時メンタルに余裕のなかった亜梨子ちゃんには僕が何でもお見通しの超人に見えただけってのが真相な気もする。
言ったところで誰も幸せにならなそうだから黙っておくけど。
「おーたむーんさんの言葉にどれだけ助けて貰ったか。それに今でも大事な仕事がある時はいつも励ましてくれてますもんね」
へ? 僕が? リドルくんが亜梨子ちゃんだって知ったのは今さっきだし、それ以前に《亜梨子ちゃんとしては》話したことはないのに。
「覚えてないですか? それとなーく話を振ってたんだけどなぁ」
話、話……あ、もしかして。
そう言われてみればリドルくんはなんで知ってるのかって言うような、亜梨子ちゃんの情報を話して来ることがたまーにあったっけ。
今日は〇〇の収録があるとか、とあるアニメのオーディションに参加するらしい、とか。
その時は決まってアドバイスとか励ましの言葉を求められて、なんでリドルくんはそんなこと僕に聞いてくるのか首を捻りつつも話を合わせていた記憶がある。
それが亜梨子ちゃん本人の言葉だったとは。適当に回答してなくて本当に良かった。
「でも、それだけじゃないんです」
怒涛の新事実の数々に大して優秀じゃない僕の脳味噌はとっくに処理能力の限界を迎えて悲鳴を上げているのだけど、まだ何かエピソードがあるらしい。
「今年の冬の事件。おーたむーんさんがいなかったら今頃どうなっていたか」
さっきまで機嫌良さげだった亜梨子ちゃんが顔を歪めてまで口にしたその一件は、確かに僕にも関わりが深い出来事だった。
(リドルくんも珍しくその時期は荒れてたけど、なるほどな)
なにせ誇張抜きに彼女のーー月城亜梨子の進退がかかった事件だったのだから。
僕は、まだ春と言うには少し遠い今年の冬のことを思い出していた。
***
そのスキャンダルがネット上に出回って大炎上していたのは、僕が高校入試を終えてあとは卒業式と合格発表を待つばかりになった二月の終わり頃の話だった。
記事の掲載元の週刊誌は芸能人のスキャンダル報道に力を入れていることで有名で、アニメ業界の隆盛を嗅ぎ付けて声優のスキャンダルにも手を伸ばしたようだ。
『大人気女性声優ユニット、イケメン声優を巡って夜の乱痴気騒ぎか!?』
そして今回ターゲットとなってしまっま声優ユニットというのが
記事の内容は二月某日、酒類を提供する飲食店(ようは居酒屋)から男性声優Nと声優ユニットのメンバーである月○亜○子、日○ハ○、星○ひか○の三名が出て来てホテル街へと消えて行ったというもの。
申し訳程度の伏せ字なんて隠し撮りの写真が添えられていればまるで意味を為さず、ネットは連日連夜のお祭り騒ぎとなった。
アイドル売りをしている以上、男性と話題になっただけでもダメージは大きいのだけど、さらに痛かったのがメンバーの年齢だ。
リーダーで最年長の日向ハレは26歳だから問題ないとしても、月城亜梨子は大学一年生で19歳。メンバー最年少の星野ひかりに至っては僕と同い年で当時まだ中学生の15歳。
それが居酒屋から出てきたとなれば疑われることは一つだ。
人気声優アイドルグループの男遊びに加えて未成年飲酒疑惑。ネットがお祭り騒ぎになるには十分過ぎた。
三人の所属事務所であるスタークラフトプロダクションはすぐに声明を出して、報道の写真はとあるアニメの打ち上げを行った際の一幕を悪意ある切り取りをしたものであり、周囲には他の出演者やスタッフもおり未成年飲酒等の事実は一切ないと否定。報道内容の撤回と掲載された号の週刊誌の回収を求め、訴訟も辞さないと勧告した。
だけど記事を出した某出版社は一歩も引くことはなく、裁判に負けても雑誌の販売利益の方が上回るという考えで訴訟上等の構えを取る。
これがネットの住人には事実だからこその余裕と受け止められて、スタークラフトと
とまあ、事件のあらましとしてはこんな感じだったのだけど。
当時の僕がどう思っていたのかと言えば、やっぱりショックだった。
CDを叩き割って画像をSNSにアップするような過激勢ではないものの、多感な中学生にはヘビー過ぎる話題だ。
それでも最終的にこれが事実だったとしても涙を呑んで受け入れようと決めて、その日だけ泣きながらふて寝した。
事態が動いたのは次の日のことだ。
いつものように亜梨子ちゃんのSNSアカウントを覗くと、そこには亜梨子ちゃんの偽らざる本音が並んでいた。
公式の声明の通り記事の内容は誤報で、自分もメンバーもそんなことはしていないこと。
時間がどれだけ掛かっても必ず真実を明らかにすること。
だからどうか自分達を信じて待っていて欲しいことーー
目を通した僕は、記事を信じてしまっていた自分を恥じた。
亜梨子ちゃんは僕たちファンのことを信じて待っててと言ってくれてるのに、その僕がこんなざまでどうする!?
だから青臭くも心に誓った。僕が真実を暴いて亜梨子ちゃんを、
亜梨子ちゃんは時間が掛かっても名誉を回復すると言っていたけど、それでは遅すぎる。
長くても一年もすれば事件は風化して大して語られなくなるだろう。でもそれは忘れられたというわけではなくて、皆の頭の中に『事実』として残ってしまうのだ。
裁判なりで真実を明らかにするには年単位の時間が必要だろけど、その頃になって無罪でしたと言ったところで記憶に残っている有罪だったという『事実』を取り去るのは難しい。それがネットだ。
だから出来るだけ早急に、ネットの住民がまだお祭り騒ぎをしている内に真実を投下して潮目を変える必要がある。
とはいえその時の僕はただの中学生。社会的な立場も弱いし、一人でどうにか出来る問題じゃないくらいは流石に理解していた。
そこでSNSで有志を募ることにしたのだけどーー実はこれが当時現役バリバリのヤンキーだった湊えびすと知り合ったきっかけだったりする。
「お前の誘いがなきゃ舎弟連れて出版社に乗り込んでやろうかと思ってたぜ!」
とは湊さんから聞いた後日談だ。そうなったら高校進学も危うかっただろうから実現しなくて本当に良かった。
ともあれ他にも何人かが手を挙げてくれて、こうして事件解決後にSNSで『少年探偵団』というどこかの某有名作品に登場しそうな名前で呼ばれることになる集団が誕生した。
早速調査に乗り出した僕らは、まず写真が撮られた現場を訪れた。
ちなみに撮影場所の割り出しはリドルくんが協力してくれたのだけど、今にして思えば撮られた本人なんだから知ってて当然だったんだなぁ。
ともかくやることと言えばいたってシンプル。写真が悪意を持って切り抜かれた物だと証明するために、その場をカメラに納めていた別の人物がいないか探しに来たのだ。
記者本人に写真を提出させるのが一番手っ取り早いけど自分が不利になる証拠を出すはずがないし、しかも警察ならともかく若者ばかりの素人集団を相手にするはずもない。
だから残された術は地道に通行人に一人一人聞き込むしかなかったのだけど、当然ながら捜査は難航した。
なにせ都会の真ん中でのことだ。その瞬間、その場に何人がいたかは分からないけど日に何千何万という人が現場前を通り過ぎているわけで。
その中から存在するかも分からない撮影者を探すとなると気が遠くなるようだった。
それでも僕は諦めずに長めの春休みに入っているのをいいことに朝から晩まで通行人に聞き込んで回った。
そのうち日頃の散財が災いして通いの電車代すら無くなって、休み中外で遊び呆けていたのを理由に小遣いの前借りも許可されなかったもんだから仕方なく自転車で数時間かけて現場まで通うハメになった。
慣れない運動で足はパンパン、死にそうになりながらもひーこらペダルを漕いで通っていると、見かねた湊さんがオヤジさんに頼んで車を出してくれた。
この親にしてこの娘アリというか、ド派手なデコトラで登場したパンチパーマのオヤジさんに初見はビビり倒したのだけど、話してみれば涙もろく気の良いおじさんで経緯を説明したら漢泣きで応援してくれた。あの時のことは今でも感謝している。
そんなこんなで捜査を開始してから十日。いい加減手がかりの一つも欲しくて焦れだした頃ーー僕らは遂に探し求めていた人物を見付け出した。
「おっさん同士で道端でバトっててさ、面白そうだと思ってカメラ回してたんだよね。えーっと、ほらこれ」
なんと件の記事を書いた記者は隠し撮りをした張本人だったらしい。しかも隠し撮りをするために駐車禁止区域にも関わらず路肩駐車していて、それを指摘した人物とトラブルになっていた。これが無ければ現場の映像なんて出てこなかっただろうから、まさに身から出た錆ってやつだ。
大学生風のその男の人に見せてもらった動画には激しく口論している記者の姿と、そして周囲の反応も映しておきたかったのかぐるりとカメラを回した人混みの中にばっちりと亜梨子ちゃん達が映っていた。
近くには僕でも顔を知っているよなベテラン声優陣にアニメ監督や音響監督、プロデューサーなんかの姿があって、公式声明の正しさが証明された瞬間だった。
そこからはトントン拍子で話は進んだ。
僕らが撮影者の男性に協力を依頼してスタークラフトプロダクションの事務所に証拠データを提出した数日後、
しかも記者の過去の誤報や悪どい取材方法についても丁寧にまとめてあって、追加燃料が注がれた炎上祭りの矛先はその記者と出版社に変わってさらに燃え広がって行ったけどーーそれは僕らには関係ない話だ。
こうして悪は裁かれた。
ほんの十日間ばかりの関係だけど苦楽を共にした僕らには確かな絆が芽生えていて、またいつか全員で集まろうと約束してそれぞれの生活に戻って行った。
まさかその一月後に湊さんと高校の入学式で再会するだなんてその時は思いもしなかったけど。
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