第7話 伝えたかった言葉×知って欲しかった気持ち

 

 トークライブが終わって、会場内には握手待ちの列が出来上がっていた。

 1人1回、15秒まで。亜梨子ちゃんと握手し終わった人から会場の外に通じる扉に誘導されていく。

 誰もかれも幸せそうにほっこりした顔で会場を出て行くあたり神対応の噂は本当みたいだ。

 列の先では亜梨子ちゃんが笑顔でファン対応をしているのだろうけど、僕のいる場所からだとその姿は拝めない。なんせ列の一番後ろだし。


 座席と違って握手の待機列は先着順だったから僕も早く並ぼうかとも思ったんだけど、折角だしリドルくんと一緒に並ぼうと姿を探している内に列はどんどん長く伸びて行って気付けばこうして最後尾に収まっている。


(しかも結局リドルくんいないもんなぁ)


 一応会場の外に出て行った人は全員確認してたけどリドルくんの姿は無かったから、握手会が始まる頃にはもう会場にいなかったのかも知れない。

 握手しないと外に出れないなんてことはないからするしないは個人の自由だけど、折角のメインイベントなのに勿体ない感。


 まあそんなこんなで話相手もいないし待ち時間に特にやることもない僕は、リドルくんに教わったことを盛り込みつつまだ決めていなかった亜梨子ちゃんへ送る言葉を考えていた。


 まず挨拶、次にどの作品で知ったのかと好きなキャラか……。

 挨拶はテンプレでもいいとして、次の部分で早速躓く。

 選択肢の狭さに困ったというわけじゃなくて、逆。多過ぎて困る。

 なんせ今日は声優アイドル月城亜梨子としてイベントを開いてる彼女だけど、本業の声優業でも若手ナンバーワンの大人気声優なのだから。

 出演した中には覇権作品と呼ばれるような人気作もあるし、月城亜梨子といえば〇〇という人気ヒロインが何人も思い浮かぶ。

 その中から特に好きな作品とキャラクターをふるいに掛けていって、最後に残ったのはーーTVアニメ『メメズの冒険』とヒロインの『テンシ』だった。


(メメズの冒険かぁ)


 じゃあこれで決まりっ、とは即答し難いヤツが残ってしまって自分で選んでおきながら頭を抱えたくなる。


 実を言うと、まだ月城亜梨子のことを顔だけのゴリ推し声優と侮っていた中学時代の僕が彼女のファンになるきっかけになったのがこのメメズの冒険という作品だ。

 ストーリーは広大な地下世界に住む片腕片足義手義足の主人公メメズが、ある日地上から落ちてきたという少女テンシと出会って彼女を地上に戻すために地下世界を旅するタイトル通りの冒険モノ。

 原作は週間少年マンデーで連載されていた人気作で去年大団円のフィナーレを迎えたこの作品なのだけど……亜梨子ちゃんと話をした時の通り、アニメ版に関しては評価するのが憚られる出来だったりする。


 ダメな理由を挙げ出したらキリが無いけどそれでもよく言われる部分を抜粋すると、


 ・作画崩壊が酷くて一部キャラが別人にしか見えない。戦闘シーンは基本、紙芝居

 ・アニメ版のオリジナル設定や展開がたくさん(しかも原作者も知らない)

 ・オタクと相性の悪い三次元アイドルグループをOPに起用して駄々滑り

 ・声優人気での話題を期待したキャラクターの雰囲気をガン無視したキャスティング

 ・極めつけに大手レコード会社と提携関係にある声優事務所のデビューしたての新人声優をヒロインに抜擢。しかもアニメとタイアップしてEDの歌唱も担当


 まだまだ他にもあるけど、どっかの誰かがネットの記事で言ってた「燃えるべくして燃えたアニメ」っていう評価が概ね正しい。

 そしてこの新人声優というのが亜梨子ちゃんのことで、ただでさえ当時美人JK声優という鳴り物入りでデビューしたのもあってアニメオタクからの風当たりが強かったのに加えて、周囲を固める男性陣が人気イケメン声優揃いだったものだから女性ファン層にまで嫌われてしまい、当時のネット界隈での彼女への罵詈雑言はおぞましいの一言だった。

 一応男性声優効果を当てにしたイベチケ商法は成功してチケット付きの一巻だけは売れたけど二巻以降の売上が極端な右肩下がりで散々ネタにされ、イベントでは登壇する男性声優達が黄色い歓声で迎えられる中でヒロインの亜梨子ちゃんには歓声が上がらず総スルーだった、という胸糞エピソードも存在したり。


 とまあこういった経緯からもっぱら名作ではなく迷作、糞アニメと呼ばれ原作ファンからも黒歴史扱いされているのがアニメ版メメズの冒険なのだけど。

 話を戻して、握手会で亜梨子ちゃんにこの作品の話を振るのはどうなんだろう?

 貴女をこのクソアニメで知りました好きです、そう言ってるにも等しいわけで、もしかしたら馬鹿にしていると捉えられてしまうかも知れない。


 今にして思えばさっき亜梨子ちゃんがメメズの冒険の話にやたらと食い付いてきたのは彼女の中でだったからかも。

 当時の彼女を取り巻いていた環境を考えると十分あり得る話だし、地雷を踏む危険を避けて無難に行くならメメズの冒険ではなく他の人気作品や人気ヒロインの話を振れば外れはしないとも思う。どれもファン活の過程で視聴はしてるからにわかを晒すこともないし、まさに模範解答だ。


 ーーけど、それで本当にいいのかな?


 メメズの冒険から目を背けて賢い選択を取ろうとした僕に、自分の中の声が待ったをかけた。

 確かにメメズの冒険の話は触れない方が利口かも知れない。でも亜梨子ちゃんを初めて知って虜にされたのは間違いなくあの作品なんだ。

 それにそれだけでわざわざ高い円盤を全巻揃えたりなんてしない。

 ああそうだ認めよう、僕はあのアニメが好きだった。


 異形の怪物が闊歩する地下世界を命からがらメメズとテンシが冒険する姿には思わず手のひらを握りしめたし、洞窟の奥に眠るお宝を二人が掘り当てた時は僕もそこにいるみたいに高揚した。

 それに何よりも中性的で少年みのあるテンシの天真爛漫な可愛らしさと月城亜梨子の名演に僕は心を撃ち抜かれたのだ。


 原作レ●プしてるし声が合ってないキャラはたくさん、作画崩壊ばっかりで誰得オリジナル展開だらけ、テンポも悪くまさしくクソアニメと呼ばれるのに相応しいけどーー当時の僕にとっては神アニメだったし、なんだかんだ今も好きなままだ。


『ーーでも。やっぱり一番大事なのは、どれだけその人を強く想っているのかを伝えられるかだと思います』


 ふと、リドルくんの言葉が頭をよぎる。

 推しに好きって感情を伝えるのに無難とか外れないとか、失敗しないように器用に立ち回ろうとするのは少し違う気がする。

 周囲の評価や指標には左右されずに、自分の心にある想いだけを詰め込んで言葉にしよう。

 そう決めたら、うだうだ悩んでいたのが不思議なくらいにあっさりと亜梨子ちゃんに伝える言葉は出来上がっていた。



 ***



 1人頭15秒とはいえ、数百人もいれば最後尾まで順番が回ってくるにはそれなりに時間がかかった。

 中には時間を過ぎても離れようとしないマナーの悪い人もいて、剥がし役の大橋さんに連行されていったりとロスもありつつも、僕の前に並ぶのは残すところあと1人。


「ありがとうございましたー」


 その人も亜梨子ちゃんの鈴の音のような声に見送られて自分の手のひらをまるで宝物のように見つめながら立ち去って行き、とうとう彼女と僕の間に遮る物がなくなった。

 目が合うと、彼女は声には出さずに「あっ」と口を動かす。


「じゃあ君で最後ーーっと、さっきの男前くんじゃないか。制限時間は15秒だからね、それ以上はビタ一文まけないよー。時間は僕が横で数えてるから」


 さあどうぞ、と大橋さんに背中を押されて亜梨子ちゃんまで文字通り手を伸ばせば届く距離に縮む。

 トークライブの時も近かったけど、数メートルと数十センチの違いは本当に大きい。僕の目と鼻の先にあの月城亜梨子がいるなんてっ!


「初めまして……って言うのもちょっと変な感じがしますね。改めまして、月城亜梨子です」


「あっ、ど、どうも。さっきぶりです……」


 何を言うかは決めてたのに、いざ至近距離で推しに対面してみると鼻に今まで嗅いだことのないふんわりとした香りを感じて、まるでいけないことをしているかのような羞恥心に襲われて口ごもってしまう。

 続く言葉が出さずにまごついていると、クスっと彼女が笑った。


「手、出してください」


「え?」


「だって握手会ですから、ほらっ」


 そういえば両脇に置いて握りしめたままだった。促されるまま手を出すと、亜梨子ちゃんの手のひらにそっと包み込まれる。


「うわあ身長もですけど手も大きいですね。いいなー、私小さいから」


 肌に伝わる確かな彼女の体温ねつ。僕より一回り以上小さな手のひらからとくんとくんと脈打つ鼓動すら感じる気がして頭が真っ白になる。

 大橋さんの「残り10秒~」という声を聞き逃していたら、そのまま何も言えず時間切れになっていただろう。

 とはいえ予定だと15秒目一杯使って話すはずが、もう3分の1が過ぎてしまった。

 さっきまで頭の中で練習していた流れはまるで役に立たない。だから僕は口を付いて出る勢いに任せて自分の想いを伝えることにした。

 空いている片方の手で被ったままだった野球帽を取る。そして勢いよく頭を下げた。


「あのっ!」


「は、はいっ。どうかしましたか?」


 残り8秒。亜梨子ちゃんは戸惑った様子だけど、ええい、行け僕!


「僕はっ、メメズの冒険で初めて月城さーーいえっ、亜梨子ちゃんを知りました!」


 残り6秒。


「天真爛漫なテンシ役に本当にピッタリで、可愛くて! 目が離せなくなって、だから」


 残り4秒。


「僕の大好きな作品で、大好きなキャラクターを演じてくれて本当にありがとうごさいました!!」


 残り3秒……2秒……1秒……


「これからも、亜梨子ちゃんを応援し続けます。だって亜梨子ちゃんのこともだいーー」


「はい、そこまででーす」


 時間切れ。全てを言い切る前に、無情にも肩を叩かれてしまった。


「ぼ、僕はまだっ」


「ごめんねー、1人15秒ってルールだからさ」


 反射的に振りほどこうとしてしまったけど大橋さんの言うとおりだ。

 そもそも僕がまごつかずに言葉に出来ていれば良かっただけの話で、想いを伝えきれなかったのは残念だけどここで暴れて厄介にはなりたくない。

 促されるまま僕はその場を後にしようと踵を返してーーピンっと、身体が突っ張った。


「えっ」


「お、おい月城。どうした?」


 振り向いた先。亜梨子ちゃんは、握手する時に差し出した僕の右手を掴んだまま離そうとしない。

 流石に大橋さんも混乱した様子で亜梨子ちゃんに話しかけているけど彼女は押し黙って俯いていて、僕は動くにも動けず何が起きているかも分からないまま彼女が口を開くまでただ待つしかなかった。


「ーー私、あのアニメが初めてもらった主演作品なんです」


 ややあって、ポツリポツリと亜梨子ちゃんは語りだした。


「テンシ役に決まったって聞いた時は本当に嬉しくて。原作を全巻買い揃えて、何度も何度も読みました。それこそページが擦りきれちゃうくらい」


 それは彼女の過去の思い出話だった。僕のようないちファンが本来知ることのないだろう、裏側の話。


「ED曲も担当させて貰えることになって、毎日遅くまで練習したなぁ……アフレコはベテランの先輩方に囲まれて大変だったけど、優しく色々教えていただいて自分でも成長出来た実感を持てました」


 本当に楽しい毎日だったのだろう。亜梨子ちゃんの口振りは明るく、そのままめでたしめでたしで終わるかのように思えた。


「1話の放送日は家族全員で観たんです。夕方の放送だったから、お父さんはわざわざ会社を早退してまで一緒に観てくれて。みんな私の演技を褒めてくれて本当に嬉しかった。今までして来た努力がようやく報われた気がしたーー……はず、だったのに」


 でも、そうはならない。アニメ版のメメズの冒険の顛末を知る僕はそれをよく知っている。


「貴方なら分かりますよね、その後どうなったのか」


「それは……」


 彼女に問われて言い淀む。

 アニメ版のメメズの冒険はその後大炎上することになる。キャスト陣もその巻き添えを食らって、中でも最も叩かれたのが彼女、月城亜梨子なのだ。


「好きな作品なのに……皆で頑張って作った作品なのに、叩かれて貶されて踏みつけられて。原作のファンの人達もあれは黒歴史だって、無かったことにしようって言うんです。……じゃあ私があんなに頑張った意味って、喜んでいた時間はなんだったのっ!」


 亜梨子ちゃんは絞り出すような声でそう訴えかける。彼女と繋がっている右腕に滴り落ちてきた水滴の正体に気付いたけれど、何もかける言葉が見付からなかった。


「月城、お前そんなにあの作品のことを引きずっていたのか」


 それは傍らで彼女を見守る大橋さんも同様で、僕らは亜梨子ちゃんの嗚咽を聞きながらただ立ち尽くすばかりだった。

 やっぱりメメズの冒険の話はしない方が良かった。僕のエゴで彼女に辛い過去を思い出させてしまった。


 申し訳ない気持ちで一杯のせめて謝罪だけでもしようとしたのだけど、それより先に亜梨子ちゃんが顔を上げた。

 彼女の顔にはやはり涙が伝っている。しかし悲し気に歪んでいるものと思っていた表情は、意外にも晴れやかだった。


「--だから、今日は嬉しかったんです。貴方にああ言って貰えて」


 にっこりと微笑まれて面食らう。そんなことを言われても何のことだかまるで心当たりがない。

 思い違いじゃないかと困惑することしきりだったのだが、その様子を見た亜梨子ちゃんはぷくっと頬を膨らませた。


「むう。さっき言ってくれたじゃないですか、『僕の大好きな作品で、大好きなキャラクターを演じてくれてありがとう』って」


 もしかしてそれは僕の声真似のつもりなのだろうか。地声が高いので無理して声を出しても男性の声の低さはまるで再現出来ておらず、せいぜい少年声がいいところ。……どことなくリドルくんの声に似てる気がする。


「たしかに、言いましたけど。それが、どうして?」


「嬉しかったんです、私以外にもあのアニメを好きって言ってくれる人がいて。私が魂を吹き込んだテンシを愛してくれた人がいて」


 ……僕はようやく、本当に遅ればせながらようやく、ジェスチャーゲームの時に亜梨子ちゃんがメメズの冒険の話に拘った理由に行き当たった。


(そっか。亜梨子ちゃんは最初からメメズの冒険を黒歴史だなんて思ってなかったんだ)


 彼女にとってあのアニメは初めて主演を演じた大切な大切な作品で。でも周囲はそうは思ってくれずこき下ろされ本人も叩かれて。

 その痛みと孤独を心の奥底に抱えたままの彼女の下に現れた、同好の士こそが僕だったのだ。


「本当にありがとう、私の大好きな作品を好きでいてくれて。私の努力を受け取ってくれて」


 ついと腕を引かれるがまま近付くと、頬に温かく柔らかな何かが触れて離れていった。

 その感触の正体に気付いて慌てる僕に、亜梨子ちゃんは小悪魔のようにクスクスと笑ってウインクをするのだった。


「貴方のおかげで今日も私は頑張れています、。これからも私を応援して下さいね?」


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