第5話 想いを伝えるのって難しい
「はい、結構で~す。では右手の通路から奥のBホール方までお進みください。楽しんでくださいね~」
机を片付けていた受付スタッフのお姉さんにリドルくん、いやリドルさんか?
いやもう面倒だし今まで通りリドルくんと表記するけど、彼女から受け取った当選券を渡すとすんなりと会場に通して貰えた。
受付時間を少し過ぎていたし迷惑がられるかもと思ったけど、不思議とリドルくんが話しかけるとお姉さんは驚いた顔を見せ、それから僕の顔を見ると意味ありげに微笑んで快く対応してくれた。よくやったとばかりに僕に親指を立ててきたのは謎だったけど。
教わった道順で建物内をリドルくんと連れ立って歩きながら首を捻る。
「なんだったんだろうね、あのスタッフさん。なんか妙にフレンドリーっていうか」
「か、変わった人でしたよね。あははははは……」
「変と言えば、なんかリドルくんも変じゃない? さっきからさ」
「え。いやっ、そんなことはーーない、ですよ?」
それ以上の追及を逃れるように顔を逸らすものだから、それはもう何かありますと白状しているようなものだ。そもそも彼女に何かしらの事情があるのは見て分かる通りだし。
ネット上の付き合いとはいえ気の置けない男友達のはずが実は女の子で、しかもなにか他にも秘密を抱えていそうだ。極めつけに普段はタメ語でチャットし合っているのにこうして敬語で話されると何だか距離を感じて寂しい。
とはいえ本人が触れて欲しい風でもないし、あっちから言い出すまで待った方がベターなんだろうけど。
取りあえずここは知らぬ存ぜぬを決め込むことにしよう。
「まあいいや。それよりさ、質問なんだけどリドルくんは亜梨子ちゃんに何言うのかもう決めてるの?」
「それってトークライブ後の握手会ですか」
「そうそう。15秒しかないし、こういうの初めてだから言いたいことまとめるのが大変で」
何文字以内ならともかく何秒以内となるとこれが中々難しい。自分がどのくらいのペースで喋るかなんて普段意識しないし、どの言葉を入れてどの言葉を削るか、人に聞かせるわけだから自然な話の流れになっているかと凝り出すとキリが無い。
僕の相談を真摯に聞いてくれたリドルくんは顎に手を当てて少し考え込むと、声優顔負けの美ショタボで例を挙げてくれた。
「そうですね……握手会が初めての人か二回目以降かでも変わりますけど、おーたむーんさんの場合は初めてだから……ボクならまず挨拶から入って、それからどの作品でその人を知ったのか、好きなキャラは何かで尺の半分くらい使いますね。あとは意外に思うかも知れないですけど、若い異性の声優さんを褒めるなら下手に容姿や服のセンスに触れるより声の仕事ぶりの方を褒められた方が嬉しいみたいですよ? 演技のどういうところが好きとか、本人のこだわったポイントに気付いてあげれたら満点です」
ふむふむ、参考になる。
最近の声優は見た目や歌、ダンスの上手さなんかを基準に採用されて、肝心の演技や声質をないがしろにしているとよく言われる。正直僕もそう思ってたし。
でもだからこそ彼ら彼女らも演技に関して誉められるのは演者としての自信に繋がるのかも知れない。
心のメモに書き込んでいると、リドルくんは付け加えて言った。
「でもやっぱり一番大事なのは、どれだけその人を強く想っているのかを伝えられるかだと思います」
「想いを伝えるかぁ、難しいね」
「そうなんですよ、お芝居でもそれが大変でーーっと、ここみたいですね」
そうこう話している内に僕らはイベントが行われるBホールの扉に行き着いた。
月城亜梨子4thシングル発売記念、トークライブ&握手会イベント会場の立て看板があるしここで間違いないだろう。
そっと両開きのドアを開けると、会場内は既に人で満たされていた。事前にキャパを調べたBホールの収容数は300人ほど。見た感じ席潰しもされずみっちり入っているからそれくらいの数はいるってことか。
「うわ人すっごいね。座席どこだろ」
「えーっと、おーたむーんさんは1の10だから、あの辺じゃないですか?」
横合いから僕の手の当選券に書かれた座席番号を読み取ったリドルくんが、人の海の一点を指差す。
その先を追って僕は驚愕した。
「それ最前列のど真ん中じゃん!? えっ、えっ、リドルくんは!?」
「ボクはあの辺りですね」
まさかの神席だった。対してリドルくんの席と言えば、
「最後列のしかも端っこじゃん! いやいやっ、僕こんないい席僕貰えないって!」
他人の当てた券で参加させて貰ったうえに、こちらは神席でかたや券をくれた本人がハズレ席とか気まずいってレベルじゃない。
座席を取り替えようと僕は券を差し出したのだけど、リドルくんは受け取ってくれなかった。
「ソレはもうおーたむーんさんにあげたものですし。だんだんイベント始まりますし、また後で会いましょー。じゃあ楽しんで行ってくださいね!」
「待っ……」
リドルくん言うだけ言って自分の席の方にたたっと去って行ってしまった。
気にしてる素振りはなかったけど本当にいいのかなぁこんな良い席貰っちゃって。
まあ今さらだし、本人がそう言うなら好意に甘えさせてもらうとするけど。
座席に付くと最前列というだけあって、ステージからは数メートルしか離れていなかった。
前にライブで参加した時は百メートル近く離れたステージで踊る豆粒みたいな彼女を眺めていたというのに、こんな近くから憧れの月城亜梨子を拝めるなんて夢みたいだ。
こっちから見ても近く感じるということも逆もまた然りなわけで、髪を切ったのは正解だったと今にしても思う。
そりゃあ握手会だともっと近距離で接することになるわけだけど、あっちはたったの15秒だし。トークライブはスケジュール通りだと30分、その間最前列のド真ん中で『モップ頭』を晒す羽目にならなくて本当に良かった。
席に座って待つこと二十分ばかり。BGMとして会場内で掛けられている亜梨子ちゃんのソロ曲に聴き浸っていると、ステージ脇から見覚えのあるおじさんが登壇した。
「どうも皆さんこんにちはー! 本日司会進行を務めさせていただきますスタークラフトレコードの大橋です。はい、そこの人達ー。僕が登場しただけで笑わないでくださーい」
この陽気なおじさんは大橋さんと言って亜梨子ちゃんの担当プロデューサーだ。彼女のラジオを聴いていると度々話題に上がったりこうして現場に行くと姿を見れたりもする。
丸々とした小太りな身体付きに愛嬌のある笑顔と可愛いげのあるおじさんで、月の民の中ではマスコット的な扱いを受けているのだ。
「今日はね、皆さんにはうちの月城のCD発売イベントに参加してもらってるわけなんですが。事前に注意点等が幾つかあるので、先にすこーしだけおじさんの話聞いてください。いいですか? いいですねー? じゃあ一つ目ですがーー」
年かさの月の民からイジられながらも大橋さんは慣れた様子で軽妙な喋り口で笑いを取りつつ、イベントスケジュールや初歩的なイベント中のマナーなどについて語っていった。
「はい、ここまで分からなかったり質問ある人は挙手してください。いませんねー、よろしい。いい加減おじさんの顔も見飽きたと思うんでそろそろ主役に登場してもらいましょうか」
一通りの説明を済ませて客席に手が挙がっていないのを見渡すと大橋さんは満足気に頷く。そしてステージの中央から立ち位置を一、二歩横に変えると、ステージ脇に待機しているらしい彼女に声を掛ける。
「じゃあ月城ー、入って来てー」
(え、そんなフランクな感じでいきなり呼んじゃうの!?)
今さっきまで大橋さんのやたら上手い語り口に笑っていたもんでまるで心構えが出来てない。
そうこうしている内にもステージ脇から綺麗なソプラノボイスが返って来る。
「はーい」
まだ姿は見えない。
けれど、その澄んだ声は確かにアニメやラジオ、CDやライブ円盤で聴き馴染んだ彼女のものだった。
けたたましく心臓が鳴って今にも張り裂けそうだ。
まだか、今か、あとどのくらいでーー穴が空くほどステージを凝視していると、ついに月城亜梨子は姿を現した。
まず目に付いたのは楚々としたワンピースドレスだ。紺色を基調としたシックな印象で、腰元には大きなリボンが付いている。露出は最低限に抑えられてるけど腕の部分だけレースになっていて、生地越しに透ける肌が上品な色香を醸し出して彼女を大人びさせて見せていた。
足元は5センチほどのヒール。そのせいか、それともスタイルが良いからかプロフィールの151センチという身長よりもずっと高いように思える。
癖の無いストレートロングの黒髪が一歩踏み出す度に背で揺れ、すらりとスレンダーな体の上には女優顔負けの綺麗と可愛いらしさが半々で上手くバランスを保たれている小顔が乗っていた。
客席から歓声が上がる中、心臓を撃ち抜かれた僕は声を出せずに彼女がステージの真ん中にやって来るのをただ呆然と見ていた。
大橋さんからマイクを受け取って彼女は客席に華麗に一礼すると、見る者全てを魅了してしまうような満面の笑みを浮かべた。
「皆さんこんにちは! 本日は私、月城亜梨子の4thシングル発売記念イベント、ムーンクレイドルにご参加いただきありがとうごさいます。短い間ではありますが一緒に忘れられないような楽しい思い出にしましょうね!」
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