第4話 待ち人来ず


「あるぇ? 場所間違えてないよねぇ」


 漫研の部室で湊さんとお昼を一緒してから数日経ち、今日は日曜日。時刻は昼過ぎ、場所は東京某所。

 本日開催される月城亜梨子のイベントは午前と午後の二回構成で、僕は午後の部の方に参加するために会場に訪れていた。

 午前の部はもう終了していて、辺りには午前午後の二回共参加する民や僕のように早めに来ただろう人達がチラホラと見受けられる。

 みんな『Tolemyトレミー』や亜梨子ちゃん個人のライブグッズを身に付けていたりと『月の民(月城亜梨子ファンのファンネーム)』なのは一目瞭然で、会場はここで合っている筈だ。

 なのだけど、肝心の今日誘ってくれたフレンドが約束の時間を過ぎても一向に現れない。

 僕は目印にしたメジャー球団の野球帽を被り直して六月の日差しから頭部を守りながら、今朝のことを思い返していた。


(リドルくん大丈夫かな。なんか変なこと言ってけど)


 待ち人はリドル・リデル、略してリドルくんという。

 当然だけ本名ではなくハンドルネームだ。今日起きたらそのリドルくんからメッセージが届いていた。

 開いてみると一言、


『ボク、今日ダメそう』


 ……おいおい頼むよリドルくん、今日は君(の当てた当選券)に懸かっているんだぜ?

 必死に宥めすかして理由を聞いてみたところ、どうやら体調不良や急用が入ったというわけではないらしい。

 じゃあ生の月城亜梨子と会うのに緊張でもしてるのかと聞いてみたら、


『そっちは平気。ただ当選券を現地で手渡しにしちゃったから、その……おーたむーんさんと会わないとじゃない? それで緊張しちゃって』


 ちなみに『おーたむーん』ってのは僕のことだ。秋良の『秋』と月城の『月』から一文字ずつ取って、英語に直してくっつけただけの湊さん曰く安直なネーミング。僕は気に入ってるんだけどなぁ。

 ともかく大人気声優とちっぽけな一般オタク、会うのにどちらが緊張するかと言えば間違いなく前者だろう。僕も世間一般で見れば変わっている部類かも知れないけど、リドルくんも相当変わってる。


 そういえば彼とはかれこれ一年ばかりの付き合いになるし、SNS上では日常的にやり取りしてるけどーー声も顔も年齢も、何なら一人称から男だと思い込んでいたけど性別すらも僕は知らなかった。

 勝手にSNSのアイコンのキャラクターそのままの顔をしていて、脳内の想像通りの声で喋るような気がしていたけどリドルくんも中にちゃんと人間がいるわけで。

 そう考えると僕まで緊張してきたので雑念を頭の片隅に追いやって説得を続けると、リドルくんは渋々といった様子だけど折れてくれた。


『分かったよぅ。おーたむーんさんに迷惑掛けたくないから行くけど……でも、ボクがどんな格好でもびっくりしないでよね。約束だよ』


 しないしない、僕なんてつい先日まで頭を掃除用具呼ばわりされていた男だぜ。なんでもドンと来いだ。

 とまあ、こういう顛末だったので流石にドタキャンってことはないはずだけど。きっとバスか電車が遅れたとか事情があるのだろう。

 とりあえず連絡が来たらすぐ気付けるように暇潰しを兼ねて、SNSのアプリを立ち上げる。これで通知を見逃すことはない。

 月城亜梨子と検索欄に打ち込んでパブサしていると、午前の部の感想を呟いている月の民達がタイムラインに並んでいた。


「亜梨子ちゃん神対応で感動したわ」

「前より明るくなったし雰囲気柔らかくなったよね~」

「トークコーナで噛み倒してやよなw萌えたわw」

「去年の握手会ぶりなのに私の名前覚えてくれてたんだけど!……マジむり推し尊い氏ぬ」


 その一つ一つに目を通していると、まるで自分のことみたいに嬉しくなる。

 相互のフレンドさんや個人的に素敵だなと思った呟きにグッドボタンを押して回りながら、僕は亜梨子ちゃんを初めて知った日のことを思い出していた。


 別に何か特別な馴れ初めがあるとかそんなことはない。

 だいたい今から二年くらい前になるだろうか。僕がまだ『モップ頭』の中学生だった頃、なんとなしに本屋で読んだアニメ雑誌の巻頭カラーを飾っていたのが現役JK声優として売り出し始めの月城亜梨子だったという、それだけの話だ。


 中学時代は多感でひねくれているもの相場が決まっているように、当時の僕は声も演技も知らない紙面上の彼女を若さと顔だけのゴリ押し声優だって小馬鹿にしていた記憶がある。……今にして思えば、慣れない笑顔でポーズを決めていた彼女に内心見惚れてしまった自分を誤魔化そうと意固地になっていたのかも知れない。


 そんな経緯で亜梨子ちゃんの名前と顔を覚えた僕だったけど、ある日アニメ化決定した少年漫画のキャスト一覧に月城亜梨子の名前を見付けた時には挑戦状を叩き付けられたような気分になった。

 大好きな漫画だっただけに、こんなゴリ押し声優をキャスティングするなんて最悪だ、絶対に認めてなるものかと粗探しに躍起になってーー1クールの放映が終わった頃には、すっかり彼女のファンになっていた僕がそこにいた。

 自分でも驚きの手の平返しだと思うけど好きになってしまったものは仕方ないのだ。


 亜梨子ちゃんを好きだって気持ちに素直になれてからは本当に楽しい毎日だった。

 手始めに彼女が出演しているアニメは手当たり次第にアマ〇ラやネ〇フリで漁り、その内に彼女自身にも興味が出てラジオなんかも聞き始め、そこまで来ると後はもう一直線で気付けば個人名義やユニット名義のCDにライブ円盤を全て買い込んでいた。

 さようならお金、ようこそファン生活。

 初めてライブに現地参戦した時は興奮のあまり鼻血を流しながらサイリウムを振ったし、アンコールで感極まった亜梨子ちゃんが涙を流した時は僕も一緒に泣いたのも良い思い出でーー


「本日開催のイベントでお待ちの方ー! 列形成しますので係員の指示に従って並んでくださーい!」


 いつの間にか記憶の海に潜っていた僕を、イベントスタッフの声が呼び覚ます。

 気付けばいつの間にか辺りは月の民でいっぱいで、すっかりいい時間になってたみたいだ。大学生や社会人だろう年上の男の人が多いけど、中には女の人も二~三割混じっていた。自意識過剰でなければ僕を見て女友達とキャーキャーと盛り上がっている人もいる。

 その手の視線も初日は慣れなかったけど数日晒され続ければ嫌でも慣れるもので、僕は気にせずにリドルくんは現場に着いているだろうかとスマホの画面に再び目を戻したのだけど、


「おいおいリドルくん頼むよ……?」


 通知、なし。

 リドルくんが家にスマホを忘れたとか電池が切れているって可能性もあるけど、朝のやり取りを考えるとこれはもしかしてブッチされた?

 目の前ではイベントスタッフの誘導で長い列が作られていて、先頭の方はもうイベント会場に入場しているみたいだ。

 当選券に座席番号が紐づいているから早く入場したからと言って良い座席に座れるわけじゃないし急ぐ必要はないんだけど、かと言って当選券は現場受け渡しとリドルくんに言われていたので僕の手元にはない。

 つまりこのままだと入場すら叶わないということだ。


 一人、また一人と会場の中に列が吸い込まれて行って、数百人は並んでいた長い列もあと十人ばかりを残すばかりになっていた。

 僕はと言えばその列からは外れて見守ることしか出来ない。

 このままだとはるばる電車に揺られて東京まで来て、イベント会場の前で立ち尽くして何をするでもなく家に帰る悲しい男子高校生の図が出来上がりだ。

 リドルくんにも事情はあるだろうし、元々僕の応募分は外れていたから彼が誘ってくれなかったら参加出来なかったわけだけど、やっぱりそれでもメンタルには来る。


 列は残すところあと数人。イベント参加者でもないのに周囲をうろついている変な奴だとスタッフさんに思わても恥ずかしい。

 諦めて帰ろうと会場に背を向けて駅の方に歩き出したその時、僕の背中にか細い声が掛けられた。


「あのっ、もしかしておーたむーんさんですか?」


 おーたむーん、おーたむーん……どこかで聞き覚えがある響きだ。

 頭の中で何度か反芻し、


(僕のハンネじゃん!?)


 呼ばれているのが自分だと気付いて振り返ると、そこには真深にキャスケット帽を被った小柄な人物が立っていた。六月中旬だというのに長ズボンにダボっとしたトレーナーという暑苦しそうな格好だ。

 身長差に加えて俯いているから顔は見えないけれど、この場で僕の名前を呼んだということはーー


「そう言う君は……リドルくん?」


「は、はい! そうです、リドル・リデルです! ごめんなさいこんなに遅れちゃって。ホントはもっと早く来るつもりだったですけど、ちょっと本番前ーーじゃないっ、少し立て込んでて中々外に出れなくて。っておーたむーんさんには関係ないですよね、あははは」


「あ、いやそんな。僕は元々誘ってもらった側だから。それにこうして間に合ってくれたわけだし」


 さっきまでリドルくんにぶっちされたとばかり思っていたので、少し後ろめたい。

 そんな僕の様子に気付くこともなく、リドルくんは会場の方に目をやると飛び上がった。


「いけない、もう時間! おーたむーんさん受付急ぎましょう!」


 入り口では待機列がすっかり会場内に飲み込まれ、イベントスタッフの人が受付用の長机を仕舞おうと片付けているところだった。

 確かに急がないといけないのだけど、ちょこちょこと小さな歩幅で走るリドルくんの後を追いながら僕には、一つ気がかりなことがあった。

 僕より頭二つは小柄な身長に、アニメに出て来る女性声優が担当した少年みたいな声。そして何よりダボついた服装で隠しても分かる丸みを帯びた身体付きとなで肩。これだけ揃えば流石に鈍い僕でも気付く。


(そう言えば、どんな格好でもびっくりしないでって言ってたっけ)


 一年あまり付き合いのあるネット友達のリドルくんが、実はリドルだったという事実に、僕は頭を抱えたくなるのだった。

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