第3話 湊えびすと漫研の部室で

 

 顔色を貸せというのがアン〇ンマンよろしく頭を首から取り外して寄越せという意味なら遠慮するところだけど、付いて来いという意味の方なら喜んでそうしたい。なんせ貞操の危機をひしひしと感じていたところなので。

 ただそうしたいのは山々なんだけど両手の拘束が一向に緩む気配がない。女の子相手とはいえ三人がかりじゃ非力な僕じゃ振りほどけそうにもなかった。

 それを湊さんに視線で訴えると、上手く通じたようで彼女はため息を付いて後ろ頭を掻いた。そしておもむろに綾瀬さんに向けて手を差し出した。


「なあ。わりーんだけどさ、そいつに用あるからわたしに譲ってくんね?」


「はぁ? ウチらの方が先に新戸に声かけたんですけど。後から来てしゃしゃんなよヤンキー!」


 おうおう、色々と迫力満点な湊さん相手に噛み付けるあたり綾瀬さんの度胸も中々のもんだ。うちのクラスを仕切って好き勝手に振る舞っているだけはあるはぁ。

 でも今回に限っては相手が悪いと言わざるを得ない。

 なんせ湊さんは中学時代、お父さんと大喧嘩したのをきっかけにヤンチャした結果母校の中学校で番を張っていたという逸話を持つスーパーバイオレンスガールなのだ。高校に上がるのを最後に引退したらしいけどね。


「あ”? だからよぉ、わりーって言ったろわりーって。だいたい、どう見ても秋良が嫌がってんじゃねーか。本人の好きにさせたれやぶち転がすぞテメェ!」


「ひッ!?」


 数多の修羅場をくぐり抜けた元・女番長に至近距離でメンチを切られて、流石の綾瀬さんも戦意を喪失させてへたれ込んだ。お、腕が動く。両横を見れば取り巻きの二人も顔を青ざめて震えていた。

 ……助けを求めておいてなんだけど、ちょっと綾瀬さん達には可哀想なことをしたかも知れない。角度的に正面から湊さんの恫喝を受けた僕も自分に向けられたものじゃないと分かっていてもちょっとビビっちゃったし。


「湊さん、僕もう大丈夫だから。ほらスマイル、スマイル。普段から意識しないと」


「あん? おお、すまん。一回スイッチ入ると中々なー。……おっし、これでいいか?」


 僕が耳打ちすると湊さんは罰が悪そうに頬の肉を揉みほぐしてにかっと笑った。笑っている分には見た目のド派手さを除けば快活な美少女なんだけど、元ヤンの血を抑えるのは大変そうだ。特に彼女の夢を叶えるには。


「うん。いつもの綺麗な湊さんだよ」


「……お前さぁ、そういうの女に平気で言うなよな。しかも今のツラでよぉ」


 僕が親指を立てて太鼓判を押すと、彼女は何故だか顔を逸らした。よく見ると耳が赤くなっているような。なんか僕おかしなこと言ったっけ?


「え、何がさ。ていうかどうしてこっち見ないの湊さん」


「あーもう、うっせうっせ! 黙って付いて来い! おらお前らも見世物じゃねぇぞー、もう終わったから散れ散れー!」


 いつの間にこんなに集まっていたのか、人ごみで賑わう廊下をズンズンと歩いて行く湊さん。彼女が進んだ所だけモーゼの海割りの奇蹟よろしく人が避けて道が出来ていく。

 その背中がどんどん小さくなっていって、僕は慌てて彼女の後ろ姿を追って駆け出した。


「ちょっと待って! 置いてかないでよ湊さーん!」



 ***



 湊さんの後を追って辿り着いたのは運動部と文化部の二棟に分かれる部室棟の一室だった。表札には「漫画研究部」の文字。


「おう、散らかってるけど入れよ」


 勝手知ったる風で鍵を開けて室内に促す彼女。部屋の中に入ると、そこかしこに誰かが買って置いたらしい漫画やアニメ雑誌、アニメのBDに製作途中のイラストなんかが雑多に積まれていた。

 そんな空間に赤髪に過激な改造制服姿の湊さんがいるのは恐ろしく似合わない。

 彼女の元ヤンの血が暴れて漫研部員を脅し、暇を潰すのに都合が良い隠れ家を手に入れたーーというわけではなくて、なんと湊さんは正式な漫研の部員だ。

 しかも幽霊部員というわけじゃなくしっかり毎日活動もしている。

 前に手慰みで描いたというイラストを見せて貰ったこともあるけど、とても素人が描いたとは思えない出来栄えで驚いた記憶がある。ちなみに可愛らしい魔法少女風のロリキャラだった。


 ここまでで気付いたかも知れないが、なぜ陰キャぼっちオタクで『モップ』だった僕と元ヤンの湊さんに親交があるかと言えば、それは共通のオタク趣味からだった。詳しく話すと長くなるのでまた別の機会にするけど。


「さーって、飯食いがてら話聞かせろよ。生まれ変わった気分のさ」


 大机の上を占拠していたデッサン用の関節人形やら作画資料の束を隅に追いやってスペースを作った湊さんが、机の上に弁当を広げながら言った。そこであることに気付く。


「あ。購買寄るの忘れたから食べるものないや」


「まじかよ。早く言えよ、寄ったのに」


 ひとっ走りして適当に何か買ってこようと席を立とうとすると、湊さんに呼び止められた。


「待て待て、わたしのせいでもあるし特別に弁当摘まんでいいぞ」


「え、いいの? でも二人分には少ないんじゃ」


「ふふーん。ここで取り出しまするはっと、ほれ」


 しゃがみこんで部室の隅を漁っていた彼女は、目当ての物を見つけたようでポイポイそれを放り投げてきた。

 慌ててキャッチすると、それは数種類の菓子パンだった。


「メロンパンにあんパン、チョココロネ……ってなんで部室にパン? しかも甘いのばっか」


「ウチの部の非常食。ほら、ウチの連中ってだろ? 食い意地張ってっから持ち寄りで何かしらあんのよ」


 言われてみればたしかに漫研の人達ってよく食べそうな体型の人が多い。


「でもいいの? 勝手に食べちゃって」


「いーのいーの。他のやつが食べてもいいように置いてあるヤツだし、よく賞味期限切れてるの発見することあってさ。処理手伝うと思って食ってくれや」


 そういうことなら有り難く御相伴に預かることにしよう。……一応、賞味期限は確かめとくとして。

 狭い部室に二人、パンを頬張りながら湊さん手製の弁当をお裾分けしてもらうという、よく考えたらかなり贅沢な体験をしつつ話は弾んだ。

 あ、から揚げ美味し。


「それで、よく分からないから久世さんに全部お任せしてさ。気付いたらこうなってた」


「だからツーブロになったんかよ。わたし言ったろ、美容院行く前に流行りの髪型くらいはチェックしとけって」


「……なんでファッション用語って横文字ばっかりなんだろうね……」


「なーる。調べはしたけど理解出来なかったと」


 湊さんは呆れたとばかり両手を横に広げるけど、だって仕方ないじゃないか。陰キャオタクに分かる一般常識なんてアニメでやってたことくらいなんだから。

 最近だとキャンプや競馬に少し詳しくなったけど、ファッションはとんと疎いままだ。

 バング? ナチュラル? 束感? 何それ。

 そういう時は下手にネットで仕入れた聞きかじりの知識で注文するより、店員オススメメニューに頼った方が失敗は少ないってもんだ。


「ま、あの人のチョイスだし似合ってんじゃねーの。中々男前だぞ」


 口振り的に湊さんには不評なのかなと思ってたけどそうでもなかったらしい。

 朝から色んな人にイケメンだとか芸能人の誰々に似てるとか褒めて貰ったけど、あんまり自分に言われている気がしなかった。

 でもこうして湊さんに面きって男前って言ってもらうと、なんだか急に気恥ずかしい。


「う、うん……ありがとう」


「お? なんだー、照れてんのかよ秋良。お前もかわいーとこあんじゃん。うりうりー」


「わっ、やめてよ湊さん! 折角久世さんにワックスの付け方教えてもらってセットしたのにー!」


 頭をくしゃくしゃと強く撫でる湊さんの手にどうしようもなく心臓が高鳴って、僕はそれを隠そうと必死だった。

 ひとしきり僕の頭の上を蹂躙して満足したからか、たまたま思い出しただけか彼女は撫でる手を止めて話題を変えた。


「このナリなら亜梨子ちゃんのウケも悪くねーだろ。行くんだろ? 週末さ」


 ーー週末。そうだ、そうだった。

 僕自身のことで手一杯ですっかり頭から抜け落ちてたけど、元はといえば週末に控える一大イベントの為に僕は生まれて初めて美容院に行くことにしたのだ。

 クラス内での地位向上も目的と言えば目的だったけど、一番は違う。

 今週の日曜日に東京某所で開かれる、僕の推し声優である月城つきしろ亜梨子ありすのCD発売記念トークライブ&握手会。

 そこで推しに『モップ』姿を見せるのは恥ずかしいし、欲を言えば格好良いと思って欲しいというわりと煩悩に満ちた理由からだった。


「うん、SNSのフレンドさんが二垢で一口ずつ当たったらしくて一緒に行かないかって。湊さんは行かないんだっけ?」


「あー、わたし今回積めなくて一枚だけだったから外れた。ハレちゃんのアルバム積んだから出費がさぁ」


「学生にCD複数枚積み前提は厳しいよねぇ……」


「なー。完全な運ゲーもそれはそれでだけどよぉ」


 そして実は湊さんも同じく月城亜梨子を推している仲間だったりする。

 正確に言うと彼女の一番の推しは亜梨子ちゃんと『Tolemyトレミー』という声優アイドルユニットを組んでいる、日向ハレという別の声優さんだけど。

 ただ『Tolemyトレミー』の他のメンバーのソロ活動も推していて、今回は残念ながらご用意されなかったらしい。


「ま、楽しんでこいよ。東京土産と感想はよろしくな」


「東京土産って結構近いんだから大げさじゃない?」


「こーいうのはお約束だろ? 何でもいいぞ、ひ○子とかで。なんなら亜梨子ちゃんの連絡先とかでもな!」


「ひ○子って元は福岡の名産じゃないっけ。しかも後者とか絶対にあり得ないし……まあ、でも」


 滅茶苦茶なことを言う湊さんに苦笑しながらも、僕の中で週末への期待がどんどん膨れ上がっていくのを感じる。


「せいぜい楽しんでくるよ。握手する時に何言うかはまだ決まってないけどさ」



 しかし呑気に構えていた僕は、まさか握手会であんなことになるなんてーーこの時は全く思いもしていなかった。



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