幸せなバッタは青空を登る

黒澤伊織

幸せなバッタは青空を登る


 ——私の愛する妻、美里ならびに、息子である信太郎へ。



 この手紙を書き始めるに当たって、まず、少し恥ずかしいような思いがするのは、こんなフレーズから始めることしかできないからだ。けれど、どうか二人とも笑わずに、真剣に読んで欲しい。いいか、行くぞ。


 この手紙をお前たちが読んでいるということは、私は既に、この世からいなくなっているということだろう。


 ——どうだ、笑わずに読んでくれただろうか。まるで映画の主人公のような台詞を真面目に書くには、少しばかり勇気が要る。特にそれが私という、何の取り柄もなく、物語になどなりようのない人生を送ってきた人間ならば尚更だ。


 私の人生を紹介しようと思えば、哀しいかな、たった数行で終わってしまう。生まれ、育ち、就職して美里と見合い結婚をし、信太郎が生まれ、退職して、それ以来、山歩きを趣味にするようになった、というように。


 なあ、それにしても、私はどんな風に死んだだろう。いまはそればかりが気になっている。死というものを、私がどんな風に迎えたのか。それは私の理想と、どれほど近く、あるいは、どれほど遠かったのだろうか——。


   *


 突然、目の前の視界が開け、天国かと見紛うような花園が広がる。山頂へと続く登山道は、青い空の中へと消えていき、夏山ならではの稜線が、くっきりと切り立っている。


 その景色に、信太郎は思わず歩調を緩めそうになりながらも、その誘惑を振り切って歩き続けた。イチ、ニ、イチ、ニ、登山は同じペースで歩き続けることが肝心で、そのほうが疲労も溜まりにくく、思わぬ事故も避けられることを知っている。この登山道は初心者コースというだけあって整備も行き届き、歩きやすくはなっているが、それでも山に油断は禁物だ。一歩、道を踏み外したなら、そこに待っているのは、死という恐怖かもしれない——。


 今度は、無意識にペースを上げている自分に気づき、信太郎は足を緩めた。


 ここ数年の山岳遭難の発生件数は、およそ三千件。そのうち、一割弱が死亡者と行方不明者で占められていて、遭難は決して特殊な事例ではない。それも、一般に危険と言われるような雪山だけでなく、初心者が訪れるような標高の低い夏山でも、遭難は珍しくない。事実、信太郎の登るこの山でも、数多くの遭難事例が存在している。助かった者もあれば、死んだ者も、そして行方不明のままの者も含めて。


 ピピピッ、小さく腕時計のタイマーが音を立て、信太郎は立ち止まる。五十分歩いたら、十分の休憩——登山を始めた頃に学んだ、その心得を律儀に守っているのだ。


『そうしてくれないと、とてもじゃないけど、あなたを山に送り出すなんてできないわ』


 悲しみを孕んだ母の声が、信太郎の耳に蘇る。


『お父さんがいなくなって、もし、あんたにも何かあったら——』


 そんなことには絶対ならない、母にそう約束して、信太郎は年に一度、山を登るようになったのだ。最後に父が登った、この美しい山を。


「こんにちはぁ」


 間延びした声で挨拶をしながら、他の登山客たちが通り過ぎる。こんにちは、信太郎もそう返しながら、水を飲み、リュックサックから取り出した、薄い上着を羽織る。


 森林限界を越えたここから先は、風も強く、肌寒い。目の前に広がる天国のような光景は、その厳しい環境条件から、木という木が育つことができなくなったゆえの、美しくも、恐ろしい風景なのだ。いまはまだ草原のようなこの景色も、山頂付近にもなれば、岩がちで、草花もあまり見られなくなる。生命が活動できなくなる場所、それが山というものの一面でもあるのだ——そう信太郎が知ったのは、三年前のことだった。


 その日のことを、信太郎はよく覚えていない。けれど、いつものように会社へ行き、疲れて一人暮らしの部屋に帰ったのだと思う。そして、母親からの着信に気づいた。十件以上の不在着信と、それから携帯電話のメッセージで、「お父さんが帰ってこない」と。


 初めは何のことかと思った。夜と言っても、日付はまだ変わっておらず、なぜ母親が父親が帰らないことを心配しているのか、その理由が分からなかった。父親だって大人なのだ、友人と飲んでいて、うっかりすることもあるだろう。それを子供が帰らないのを心配するように、何度も息子に電話をかけ、メッセージを送ってくるのだから、信太郎は父親ではなく、むしろ母親の方を心配したのだ。そして、それは母親の言い分を聞いても同じだった。


『今日は登山へ行ったのよ』


 折り返しに、開口一番、母親は言った。その口調は、大分混乱しているようで、信太郎はまず、母親を落ち着かせなければならなかった。それから話を聞こうにも、父親が登山をしていることさえ知らず、そもそも登山というものがどういうものか、分かっていなかった信太郎と母親では、まるで話がかみ合わず、不毛なやりとりばかりが繰り返され、やはり母親が何を取り乱しているのか分からないままに、『朝になったら帰ってくると思うよ』——信太郎は翌朝また電話をする約束をして、その日は眠りについたのだった。あの年で朝帰りなんて、親父もやるな——そんなことすら思いながら。


 しかし、朝になっても、父親が帰ったという連絡はなかった。それでも、『大丈夫だって』——電話口の母親を慰めて、会社へ行った。その日は、どうしても出なければならない会議があったのだ。




 とは言っても、このときには心配が首をもたげなかったわけではない。仕事中、上司の目を盗み、パソコンで「登山」と、母親が繰り返していた「遭難」という言葉を組み合わせ、検索してみるくらいには、信太郎も気にかけてはいた。結果、今年の死亡者は、行方不明者も合わせ——二百八十三人。


 思ったよりもはるかに多いその数に、信太郎は一瞬、ぞわっとしたのだと思う。けれど、すぐにその数を他人事と割り切り、父親がその中になど、いるはずがないと首を振った。このときの信太郎にとって、登山というのは、小学生のときに行った遠足くらいの感覚で、検索結果のこの数は、エベレストのような高い、それも雪山なんかで起こったような事故だと思ったのだ。もちろん、エベレストほど高い山は日本にはないだろうけど、それくらい厳しい、切り立った岩壁を登るような、普通の人はやらない「登山」。そんなものに、あの父親が関わっているはずがない。


 それほど信太郎にとって、父親は普通を絵に描いたような人だった。真面目一辺倒、毎朝起きて、朝食を食べて会社に行き、仕事が終われば帰ってくる。煙草も酒もギャンブルも、もちろん浮気など気配もなく、かといって趣味という趣味もない、無口な人——それが子供の頃からの印象で、信太郎が社会人になってからも、それはまったく変わらず、この父親は生きていて楽しいことがあるのだろうか、そんなことさえ思ったことがあるほどだ。


 だから、その父親が退職し、バードウォッチングを始めたと知ったときには驚いた。何でも、同時期に退職した会社の同僚から誘われたようで、一時は母親を誘って出かけたこともあるようだ。しかし、あまり野外へ出るのが好きでない母親は、次第に行かなくなり——その後のことは聞いていない。信太郎も忙しかったし、離れて暮らす実家の親だ、何をしているかなど、いちいち聞く機会も理由もない。しかし、それがいつのまにか、登山に行くようになっていたとは寝耳に水というやつだった。


 とにもかくも、結局、その日も父親からの連絡は無く、信太郎は急遽、実家へ帰り、母親の代わりに警察に連絡をした。そして、現実を突きつけられることになる——母親の言う通り、父親は山に登り、帰らぬ人となったのだということを。


   *


 これはお前たちも知っての通り、私はこれまで趣味という趣味もない、かといって、仕事にのめり込むでもなく、お前たち家族との時間を特別に大切にしているわけでもない、つまらない男だった。同僚や会社仲間からも、つまらないと評されたのだから、それはきっとそうなのだろう。


 誤解の無いように記しておくが、お前たちを愛していなかったわけじゃない。けれど、それは日常の一部で、淡々としたものだったように思う。そして、それが生きるということだと、私はずっと考えていた。仕事をし、家族を養っていく、それが生きるということなのだと。


 しかし、だからこそ、定年退職の日を迎え、私はこれからどうしようかと不安になった。信太郎も立派に社会人としてやっているようだし、老後の資金として、年金も貯金もある。そりゃ贅沢はできない額ではあるが、母さんと二人で暮らして行くには十分な額だ。


 だが、それは生きるということではない——私はどこかでそんなことを思っていた。仕事をし、家族を養うことが生きるということだと、ずっと信じてきたのだから無理もない。その考え方から言えば、私は退職した時点で死んでいて、社会の役に立たない、お荷物に成り下がったのだ。


 私は塞ぎ込むことが多くなり——それを知った同僚が、バードウォッチングに誘ってくれたことは、お前たちも知っているだろう。彼は私と同じく、定年退職したばかりで、かねてから興味があったそれを始めたばかりだった。


 働きもせず、ふらふら鳥を見に行くなんて——そんな気持ちがなかったとは言えないが、結局、私は行くことになった。そして、初めて山という場所へ足を踏み入れたのだ。


   *


 登山をするには、安全のため、その山域を管理する警察に住所氏名や、どの山を登るのか、その行程や計画などを書いた「登山届」というものを提出することが推奨されている。それが例え、一部の届け出が義務づけられた山でなくとも、あるいは雪山縦走などという大それたものでなくとも、登山には危険が付きもので、万が一のときにすぐ捜索に取りかかるための命綱のような役割を果たすからだ。


 現に、信太郎の父親の場合も、この登山届がなければ、彼の行き先について、何も手がかりが得られなかっただろう。しかし、真面目な父親がその手続きを怠らなかったからこそ、警察は遭難として取り扱い、速やかに捜索隊を派遣してくれたのだ。


 その時点で、父親からの連絡が途絶えて丸一日が経っていた。しかし、余程のことがなければ発見、救助に至るだろうと、警察もそう言って、信太郎と母親はほっと胸をなで下ろした。そもそも、父親が出かけた山は二千メートル級と、かなり高い山ではあったが、初心者向けのコースがあり、登山届にも往復五時間ほどのそのコースを歩く予定だと記されていたのだ。


 しかし、一日が過ぎ、二日過ぎ、その週末になっても、父親は見つからないままだった。


『道を大きく外れて、別の山奥へ入ってしまったのかもしれません』


 初めは、警察もそう言って二人を励ました。しかし、時が経つにつれ、別の可能性をも探り出した様子で、信太郎と母親は、最近の父親の様子や、残された手紙などがなかったか、疑いを持って尋ねられるようになった。


『あまり言いたくはありませんが、ご自分の意志での失踪や、自殺ということも考えられますから』


 もちろん、この質問に怒ったのは母親だった。退職した頃こそ元気がないように見えたが、外に出るようになってからは元気で、体力的にも精神的にも何の問題もなかったし、山登りも楽しそうにしていたと反論した。けれど、もともと大人しい性格の母親のこと、信太郎には十分怒っているように見えても、他人には伝わらず、夫婦仲まで疑われ出した母親は、それから警察に状況を尋ねる電話もしなくなり、鬱々と家に引きこもるようになった。


『お父さんは、どうして私を置いて行ってしまったのかしら』


 母親のつぶやきも空しく、そうするうちに警察による捜索は打ち切られ、父親は行方不明者として、書類の数字を一つ、増やすこととなった。また、他に何の手がかりもつかめぬまま、季節は秋となり、冬を経て、再び春を迎えた——。


    *


 バードウォッチングという名目で訪れた山だったが、結局、私は鳥を見ることに面白みを見出すことができなかった。目が悪いせいで、借りた双眼鏡が見にくかったこともあるかもしれない。それに、倍率の高い双眼鏡は船酔いのような感覚をもたらして、気分が悪くなってしまった。


 それで、私は風通しの良い場所に座り、他の人から離れて、しばらく休むことにした。山と言っても、標高数百メートルしかないような場所だ。それでも風は心地よく、しばらく遠くの山々を眺めるうちに、気分は良くなってきた。


 夏の終わり、数種類のセミの声が山間をこだまして、気の早い渡り鳥だろうか、空を鳥の群れが飛んでいく。木の葉はさわさわと揺れ、足元ではアリがせっせと何かを運んでいる。これはバッタの足だろうか——その行く先を目で追うと、木の根元、ひゅんと伸びたひこばえの先に、今度は別のバッタを見つけた。何を見ているのだろう、じっと動かず、こちらを見つめている。


 と、そのとき私はそのバッタが死んでいることに気づいた。枝の先に着いたとき、動けなくなったのだろうか。ふと、私は引き寄せられるように死んだバッタを見つめ、思った。


 奇妙なことだが、死とは、案外こんなものなのかもしれない。不意に、こんな意外な場所で迎えるような——。それから、こんなことも思った。いや、私だってもう七十近いのだ、いつ死んでもおかしくないだろう。そして、もしかしたら、それはいまこの瞬間なのかもしれないのだ、と。


    *


 春が来ても、父親の行方は杳として知れず、信太郎と母親に残された選択肢は、幾つかに限られていた。とはいえ、それは法律的なものでなく、父親が消えたという事実を、二人がどう捉えるかというだけの話で、けれどそれこそが残された二人にとって、一番重要なことでもあった。


 もちろん、父親は山で遭難し、発見されないままなのだというのが、一番それらしく、良い考えだった。他の親族や知人もそれが事実であると信じており、事故だと、そう考えることが一番波風も立たず、精神的には楽なのだった。


 しかし、一方で二人を苦しめたのは、父親は死地を探していたのではないかという考えだった。登山を始め、元気になったように見えたとしても、それは本当に見せかけだけで、常に死に場所を探しては、死にきれず、戻ることの繰り返しだったのではないか、と。


 そう二人が考え出したのは、あの警察官の言葉だけでなく、それがきっかけで母親が思い出したある一言のせいでもあった。


 バードウォッチングへ行く代わりに、登山を始めた頃、父親は母親を誘い、何度か近くの山へ出かけた。外出が嫌いな母親は、特に行きたくもなかったが、父親が元気になればと、付き合っていたのだ。


 そのとき、出たのがエンディングノートの話題だった。もっとも、老夫婦が「これから」を話すとき、その話が出るのは必然だったのかもしれない。エンディングノート——自分の死後はどうしてほしいのか、つまり葬儀の形態についての望みや、家族や友人へのメッセージ、相続のことなどを記すそれは、テレビでも「終活」として、あるいは本屋に行けば、嫌でも目に留まるような場所に置いてあるもので、母親もその言葉自体は知っていた。


 だから、そのときは何とも思わなかったのだ。自分の死後を考えるなど、縁起でもないと思っていたが、そんな思いを乗り越えるのもまた、終活の一部なのだろうかと、そんなことを話した記憶があるという。父親の、そんなものがあるなら書いてみようかという言葉に、気が向いたらね、というくらいの返事をしたらしい。


 それから一体どうなったのか、父親が本当にそんなものを書いたのかは知らないが、いま、この状況でそう語られれば、信太郎も良い想像は働かない。そんな話をするなんて、山で命を落とすことを知っていたのか——つまりは、自ら死に向かって行ったのではないかという、最悪の想像を呼び覚ます。そして、その想像は、いままでの父親像を——特に趣味もなく、淡々と人生を送ってきたという父親の姿を覆すようなものだった。


 平和で、何事もないような普通の暮らし。しかし、それは信太郎や母親がそう思っていただけのことで、影で父親は不幸だったのではあるまいか。何かやりたいことがあったのではなかろうか。しかし、家族や仕事のために、それを諦めてきたのではあるまいか——。


 答えのない問いかけに、信太郎は、あるときは大切な人の心を踏みにじってきたのかもしれないという罪悪感を感じ、あるときはその逆に、それならなぜ言ってくれなかったのだと、裏切られたような気分になって落ち込んだ。そして、その辛い気持ちの繰り返しに、あるとき信太郎はいよいよ決意したのだ——父親が消えた山。その山へ、自らも登ってみよう、と。


    *


『気分はどうですか』


 そのとき、心配してやってきてくれたのは、そのバードウォッチングを主催していた、柄谷さんという人だった。その人は、隣に腰をかけ、さっきまで私がそうしていたように、山々の景色を眺めた。それから、ふとこう言った。


『これはバッタカビですね』


『何ですか?』


『いや、これ、バッタカビですよ』


 柄谷さんの指した先には、あの死んだバッタがいた。ひこばえの先に登り、そこで息絶えたバッタ。


『ほら、よく見ると、カビみたいなものがついてるでしょう? この菌に侵されると、バッタはこういう高いところに登って死ぬんです。早い話、菌に操られてしまうんですね。高いところで胞子を飛ばして、菌をより遠くまで撒くことができるように』


 柄谷さんはにこやかにそう話したが、そのときの私の驚きたるやなかった。バッタが菌に操られ、菌のために高いところまで行き、そこで息絶え、胞子をまき続ける存在になる——何とも恐ろしい話ではないかと思ったのだ。


 私の反応をどう取ったのか、しかし、柄谷さんはバッタに視線をやったまま、話を続けた。


『菌だけではない、寄生虫なんかも同じようなことをしますね。虫、魚、鳥と、宿主を変える寄生虫は、そのために虫を天敵に見つかりやすい高所へ導いたり、水に飛び込ませたりします。そうして鳥や魚に食べさせて、宿主を変えるというわけです。自然の知恵はすごいですね』


『でも、可哀想ではないですか』


 その話を聞いて、思わず私はそう言った。


『誰かに操られて生きるだなんて、そんな人生、幸せじゃないでしょう』


 すると、柄谷さんは笑った。


『幸せだったか、幸せじゃなかったかというのは、バッタにしか分かりませんね。けど、天敵への恐怖が消え、高いところ、高いところへ登っていくバッタは、案外幸せな気持ちじゃないかと、私なんかは思うんですがね』


 柄谷さんとの会話はそれきりだった。しかし不思議なことに、その後、家に帰ってからも、私の脳裏からあのバッタの映像は消えなかった。


 普通ならば、恐ろしいと思うような高いところへ登り、バッタは何を考えていただろうか。その体がカビに侵され、朽ちていくとき、そしてその胞子が風に乗って飛んでいくとき、バッタは何を思ったのだろうか——。


    *


 父親の消えた、あの山へ登りたいという信太郎に、母親は当然のように反対をした。曰く、あんたまで遭難したらどうしたらいいの、お願いだからそんな危険なことはしないで——。


 しかし、信太郎の決意は固かった。あの山へ行くと言っても、捜索をしたいわけじゃない。ただ父親の歩いた道を、頂上まで歩いてみたい、それだけだ。


 その登山口までは、母親と何度か訪れたことがあった。まだ捜索が続けられ、父親が助かる見込みがあるとされていた頃だ。しかし、その先には足を踏み入れたことはなく、その木々の生い茂る登山道は、信太郎にとって魔の入り口のようにも見えた。魔に魅入られれば、もはや引き返すことはできない。だというのに、父親はそれを知りながら、自ら吸い込まれていったのだ——。


 信太郎が山へ行く決意をしたのは、そんな自らの中の想像を振り払いたいがためだった。山を登り、父親の見た景色を見れば、それが分かるかもしれない。彼はただ遭難したのであって、死を望んだわけではないということが、その日も家に帰るつもりであったということが。


 万が一のことも考え、信太郎は入念な準備をし、さらに人の多い休日を選んで、山へ登った。学生時代は陸上部に所属し、いまも休日はジョギングをしているため、体力には自信がある。それでも登山の手引き通り、歩幅を小刻みに、決められた時間に休憩を取りつつ、ゆったりとしたペースで頂上を目指した。


 初心者コースと言うだけあって、同じ登山道を歩くのは、家族連れやカップル、いかにも軽装という人々も多かった。また、その日は天候に恵まれ、登山客の足取りも軽く、信太郎もあっという間に頂上へ到着し、眼前に広がる風景を見た。


 連なる山々、青い空、白い雲——写真や絵では見たことがあっても、実際に見るそれらは、信太郎の心を慰めた。無意識にする深呼吸が、久しぶりの呼吸であるように感じられ、信太郎はしばらくその場から動かずに、ただ目に景色を焼き付けてから、山を下りた。


 父親の思いを少しは理解できただろうかと、自分に問いかけながら、そのとき、信太郎と母親が待ちわびていた知らせが、届こうとしている知らないまま。


 父親の遺体と遺品が見つかったと、警察から連絡があったのは、ちょうどその日の晩だったのだ。


    *


 その後、バードウォッチングに行かなくなった私は、その代わりに山へ行くようになった。山と言っても、小学生が遠足で登るような低い山だ。けれど、それでも山は山で、運動不足の私は体力も辛く、途中で諦め、引き返したことも何度かあった。


 けれど、それでも山を登りたいという気持ちは、不思議と消えることがなかった。それは脳裏に焼き付いた、あのバッタカビのせいだっただろう。菌に操られ、高いところへ登っていく、あのバッタ。そのイメージは、なぜか私自身と重なり、離れることがなかったのだ。


 そして、それはなぜなのか、決まって山道を登るとき、私は考えたのだった。誘っても、母さんが付いてきてくれなくなった頃からは、さらに深く考え込むようになった。菌に侵された可哀想なバッタを、どうして私は自らと重ね合わせるのか、と。


 そうして出た答えの一つは、私はもしかしたら、自分の思い通りの人生を送れなかったと思っているのかもしれないということだった。つまり、大学を出て、就職して、見合い結婚して、子供が生まれて——そんな人に言われるままの人生に、私の意志があっただろうか、七十になるともいうのに、私はそんな青臭いことを考えていたのかもしれない、と。だから、菌に操られているバッタを可哀想だと思い、自分はそうではないと否定したかったのではないか、と。


 しかし、それだけでは、私があのバッタカビに、心を奪われている理由は説明できなかった。菌に侵されたバッタのように、何度も山の頂上を目指し、息を切らせている理由にはならないと、私はそう思ったのだ。高いところへ、高いところへ——バッタではない私は何を目指し、頂上を目指すのだろうか。


 それが理解できるようになったのは、頂上の景色に出会って三年、登山にも慣れてきた頃だった。


    *


 その遺体が父親であることが確認されてから、埋葬が済むまでの日々は、それを待ちわびた時間の長さに反比例するように短く、信太郎はしばらくの間、父親が見つかったという現実が、夢のように感じられ、まるで実感が湧かなかった。


 遺体が見つかったのは、登山道から離れた崖下で、事故だという警察の見解通り、父親は何らかの理由で道を踏み外し、あるいは道に迷い、転落したに違いなかった。そうして頭を打ったのか、頭蓋骨には骨折の形跡もあり、恐らく即死だっただろうと、警察官は慰めるようにそう言い、遺品を母親に手渡した。


 遭難による事故、その結論に、しかし信太郎の心は完全に晴れたわけではなかった。けれど、その遺品を調べるうちに、その心の靄は、山頂から吹く風のように二人に光をもたらした。エンディングノート、父親が口にしたというその冊子が、遺品の中から見つかったのだ。雨に降られても平気なように、きちんとビニール袋に入れられたそれには、父親らしい几帳面な文字で、その思いが記されていたのだ。


 私の愛する妻、美里ならびに、息子である信太郎へ——そんな書き始めから続く文章を、信太郎は何度も読んだ。そして、父親の思いを辿るように、いつしか山を登るようになった。父親が最後に登った山を、毎年、その命日に——。


 天国のような風景を歩き続けて一時間ほど、初めての登頂から何度目だろう、山頂へ辿り着いた信太郎は、いつものように携帯電話を取りだし、母親の番号にかけた。


「もしもし、母さん?」


 澄み切った風が、頬に心地よく吹く。そうしながら、母親が出たのを確認すると、その声を届けるように、携帯電話を空に向け、しばらく待つ。


 私が、あのバッタの何に惹かれたのか——母親が山を介し、父親と話す間、そのエンディングノートに綴られていた言葉を、信太郎は思い返した。


 ——あのバッタが、私の脳裏から離れなかった理由。それは、私にはあのバッタカビに操られたバッタが、いつしか幸せであるように見えてきたからと、そう思うのだ。あのとき、柄谷さんがそう言ったように、バッタはカビによって恐怖心を失い、そうすることによって、いままでは恐ろしくて行けなかった場所に行くことができた。見たことのないような高いところへ、自分一人では行けなかった、素晴らしい眺めの場所へ——きっとそこで力尽きたとしても、良かったと思えるような場所へ。


 きっとそれは素晴らしい経験だったに違いない。それが例え操られた結果であろうとも、バッタは幸せだったに違いない——苦しみながら、何度も引き返しながら、山頂を目指した私は、徐々にそんな風に考えるようになった。そうすると、その幸せなバッタの姿は、容易に私自身と重なったのだ——自ら強い意志を持たず、流されるがまま、やらなければならないことをやってきただけの、つまらない﹅﹅﹅﹅﹅人生に。


 登山を始めて三年と少し、頂上の景色を見るうちに、私はそう思うようになっていたのだ。もっとも、こんな年にもなって恥ずかしい話なのかもしれない。けれど、そう思えるようになったということが、私は嬉しくてたまらなかった。つまらない、他人がそう評したとしても、私の人生は素晴らしいものだ、お前たちという、かけがえのない家族がいて、私はとても幸せだということに気付くことができたから——。


「もしもし」


 携帯から母親が呼び、信太郎は現実に引き戻される。あれから母親も元気を取り戻し、外出はやはり嫌いながらも、墓参りだけは行くようになった。


「毎年、毎年、ありがとうね。あんたも気をつけて帰ってくるのよ。寄り道なんかしないでね」


「うん、分かってる」


 信太郎は電話を切ると、リュックサックの中からビニール袋に入れた冊子を取りだし、ぱらぱらとページをめくった。


 それは、あのエンディングノートだった。父親が日記のように途切れ途切れに、恐らく山頂に達するたびに書き溜めていたもの。そして、その最後のページには、父親が消えたその当日の日付で、短い文が書かれている。信太郎はこの山を下るとき、必ずその文章を読んでから出発することにしているのだった。父親は帰りたかったのだ、その気持ちを決して忘れないために、信太郎自身の戒めのために——。


 ——さて、今日も予定通りに山頂へ着くことができた。そこで思ったんだが、私も登山に慣れたことでもあるし、次はお前たちを誘って、家族で来てみようと思うが、どうだろう? もっとも、信太郎は仕事が忙しいし、美里は山はこりごりだと言っていたから、断られるのは覚悟している——が、それでもいい。私らしい人生だ。


 その後は空白の続くノートを閉じて、信太郎は目に滲んだ涙を拭った。それからやおら立ち上がり、元来た道を今度は下る。下りながら、もしかしたら存在したかもしれない未来を思い浮かべる。


 夕食終わり、なかなか本題を切り出せない父親が、母親と、それから信太郎の顔をチラチラと見て、挙げ句「なあ、母さん、信太郎、今度の休みだけどさ」と、そう切り出す。「山登りに行かないか? やってみると、なかなか楽しいし、面白いもんだぞ」。


 そう言われたら、信太郎はどうしただろう。いや、それはもちろん父親の予想通り、母親と嫌そうに顔を見合わせ、声を合わせて言ってやるのだ。


「いやいや父さん、せっかく良い趣味を見つけたんだから、僕らは遠慮しておくよ」


 と。

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