変わった日常

 昨晩は、なかなか眠れなかった。しかし、社会人として、保護者として、やるべきことはやらないといけない。眠たい眼を冷水でなんとか覚まし、朝早くから今日も変わらず二人分の弁当を作り始める。


「おはよぅ~母さん」

「おはよう、和花菜」


 しばらくして、顔を洗いリビングへやってきた娘と、いつもの挨拶を交わす。


「いや、疑似的に恋人になったんだし、私は呼び方を変えるべきではないだろうか。寧音母さん? は、なんか普通だし、寧音ママ? 恋人になってこう言うのは、なんか特殊なプレイみたいでやだな」

「実際、特殊なプレイみたいなものでしょ、今の状況って」


 私の寝ぼけた頭が痛くなる発言が娘の口から飛び出てきた。娘のその発言も、寝ぼけた頭で出したものであってほしいが、そうだったとしても昨日のアレは、嘘や冗談では済まされないようだ。


「じゃあやっぱり、普通にさん付けで、寧音さん? それともいっそ呼び捨てで――寧音?」


 下の名前だけを呼び捨てで呼ばれたのは、何年ぶりだろうか。大切な人――伶菜との思いでが一瞬フラッシュバックして、ボーっとしてしまった。


「呼び捨てはやめて……、せめて、さん付けでお願いします」

「うん、わかったよ、寧音さん……なんかしっくり来ないな。やっぱり寧音母さんでいいや」


 そう言った和花菜は、ご飯を茶碗につぐためにこちらに近寄ってくる。完成も近いいつも通り作っている弁当を見て、和花菜はムッとした表情になった。


「ねぇ、寧音母さん」

「どうしたの?」

「疑似的にとはいえ恋人になったんだしさ、ハートマークの何かとか、もっとそういう弁当とか作ってよー」

「それはだめなの」

「どうしてさ」

「私達が疑似的に恋愛してることは、誰にもバレてはいけない。そうしたら和花菜が学校で孤立するかもしれないし、最悪、私と和花菜が離れて暮らさないといけなくなるかもしれない。それは、和花菜も嫌だろうし、私も和花菜と離れ離れになるのは嫌だ」

「……うん、そうだったよ。本当は、母さんにもバレてはいけなかったのにな。なんでわかったの?」

「……それは……、……とにかく、さっき話してた呼び方も、人目があるところでは普通に『母さん』って呼んでね、……わかった?」


 少し感情的になってしまった話し方を、なんとか戻して、最後に優しい口調で和花菜に確認の質問を問いかける。


「わかった。ごめんね、寧音母さん」


 そう言った後和花菜は、いただきますと言い、朝食を食べ始めた。




 その日の夕方、いつものように仕事を終えた私は、ちょっと家賃がお高かったが、防犯性、防災性バッチリのマンションの一室、私達の家へと一直線に帰る。


「ただいま」


 玄関の扉を開けて、一言そう言うと、いつものように、娘が部屋の奥から出てきて、出迎えてくれる。


「おかえりなさい、寧音母さん」


 ……いつもとは、ちょっと違う呼び方だったが。


「……あのさ、朝はいろいろあって忘れてたけど、疑似的にとはいえ恋人なんだし、毎日『いってきます』や『おかえりなさい』のちゅーとかさせて! お願いします!」

「……キスはダメだよ。私達は、母親と娘なんだから」

「そこをなんとか!」

「和花菜の頼みでも、ダメなものはダメ」


 それに、和花菜のファーストキスは、本当に好きになった人のために取っておいた方がいいから。なんて言おうと思ったが、それはやめた。きっと「私が好きになるのは、寧音母さんだけだよ!」なんて返されるのがオチだ。


「……それじゃ、今までとあんまり変わらないじゃん」


 そう言われると、何も言い返せない。だから、妥協案として、私は和花菜を優しく抱きしめる。


「……ハグなら、毎日してあげる。朝は、和花菜から私へ。帰りは、私から和花菜へ。それでいい?」

「……わかった」


 和花菜はそれを、渋々ながらも了承した。


「はい、この話はおしまい! 夜ご飯作らないとね」

「うん、手伝うよ。寧音母さん」

「別にいいのに……いつもありがとう」


 そう言って二人で、いつものように夕飯の支度を始めた。




「ねぇ寧音母さん。その、明日休みだし、一緒に寝ていい?」


 夕食とお風呂を済ませ、のんびりしていたところに掛けられた言葉に、私はビクッとする。いや、和花菜はちゃんと言う事は聞く子なので、普通に添い寝してほしいという意味だろうけど、一応確認する。


「……あの、変な事はしないよね?」

「もちろん!」


 即答。やはり考えすぎだったか。和花菜を疑った私は少し反省する。


「わかった。でもこれは、たまにだからね」

「やった!」




 一人で使うにはかなり大きいけど、伶菜との大切な思い出が詰まってるから捨てられずに、そのまま使っていたベッド。


「電気消すね、寧音母さん」

「うん」


 ……そこで私は、伶菜の娘……和花菜と一緒に寝ている。いや、小さい時ならまだわかるが、彼女はもう高校三年生になるのだ。


「……あったかい」

「うん」


 まだまだ寒さが残るこの季節に、人肌の温もりがあるのは正直心地がよい。

 和花菜の顔を見る。大切だった人の面影が残るその顔は、暗さのせいでよく見えず、そのせいで、伶菜と和花菜を重ねて見てしまう。


(違う。伶菜は伶菜、和花菜は和花菜だよ。二人を重ねて見るのは、伶菜にも和花菜にも失礼だよ)


 疲れで正常を失っていた私は、すぐ我に返り、さっさと目を閉じて、眠りにつくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る