第8話 麗月

「瑠璃ちゃん、このポスター処分お願いできるー?」


事務所に戻って来た白井が、丸めたポスターを瑠璃に差し出す。


受け取って広げれば、とっくに終わった花火大会のものだった。


「・・・・・・そう言えば、屋台とか出て結構にぎやかでしたね」


8月の終わりに行われた地元の花火大会は、西園寺が協賛していて結構大掛かりなイベントになっていた。


終日挨拶回りに引っ張り出されていた西園寺が、へとへとになって電話をして来たことをよく覚えている。


瑠璃が行きたいと言えば、花火大会の特等席を用意しておくのに、と言われて、思い出したのは昔のことだった。







・・・・・・・・・






学校から帰宅したら、嬉しそうに家政婦が瑠璃の部屋を指さした。


「お嬢様、西園寺さんから贈り物が届いておりますよ」


「え!?緒巳から?」


口約束の婚約ではあったけれど、物心ついてから西園寺から冷たくされた記憶は一度もない。


年に数回しか顔を合わせないのだから冷たくしようもないのだが、会うたび笑顔で名前を呼んでくれる彼を見つめるたび胸の鼓動は大きくなった。


6歳も年下の女の子に彼が本気で思いを寄せてくれているとは思えないけれど、彼よりほかに瑠璃の心に深く根付いているものはいないのだ。


だから、それを上回るなにかに出会わない限りはずっと彼のことを好きだと思う。


本当は、彼が大学を卒業する今年、別の誰かと正式に婚約してしまうのではないかと思っていた。


西園寺から深見へ、口約束以上の申し出はいまだにないし、なんならあれは酒の席での話だからと流されてしまう可能性だってある。


深見の力は日増しに弱くなる一方で、逆に西園寺の力は大きくなる一方。


両家の釣り合いが撮れていない事は、子供心にも痛いくらい理解できていた。


深見がどうにかその体裁を保てているのは、分家のなかでどうにか地位を維持していることと、瑞嶋からの援助が途切れていないせいだ。


それだってこの先は分からない。


父親の帰宅は数日に一度になって母親の機嫌は日増しに悪くなっている。


兄の顔もこの一週間は見ていない。


これまで通りの生活を送っているのは瑠璃一人だけ。


そんな中届けられた西園寺家からの贈り物だったので、瑠璃にとってはクリスマスプレゼントよりも誕生日プレゼントよりも価値があった。


急いで部屋に戻って、ベッドの上に置いてある大きな紙箱のリボンを解く。


和風の上品な箱の中身は、鮮やかな瑠璃色の浴衣だった。


月と兎と桜が描かれた可憐なそれは、間違いなく西園寺自身が選んでくれたものだろう。


大急ぎで広げて姿見の前で羽織ってみる。


夏祭りにも花火大会にも行く予定はなかったけれど、これを見たら一気に出かけたくなった。


「お嬢様、贈り物はなんでした?」


「見て!浴衣!!」


ドアを開けて入って来た家政婦が、姿見の前で子供っぽく飛び跳ねる瑠璃を見て頬を緩める。


張りつめた空気が漂う深見家でいつも仕事を行っている彼女が、どれくらい瑠璃に心を寄せてくれているのか一目で分かった。


母親はとにかく美しいものに目が無い女性なので、浴衣を見たら喜ぶかもしれないけれど、それを着た娘にはさして興味を示さないはずだ。


けれど、この家政婦は違う。


西園寺からのプレゼントに大喜びする瑠璃を見て、心から嬉しそうに微笑んでくれる。


彼女は、瑠璃がどれくらい西園寺に心を寄せているのか、実の母親よりもずっと理解してくれているのだ。


「とってもよくお似合いですよ。西園寺さんはお嬢様に似合うお品をちゃんと分かってらっしゃいますね・・・・・・まあいい生地・・・手の込んだお品ですよこれは・・・・・・伊坂呉服は老舗で間違いがないですからね」


「伊坂呉服・・・・・・ああ、お母さんが外商でよく招いてるお店ね」


「お嬢様の新年の振袖もそちらで用意したものですよ。とにかく品数が豊富で奥様のお好きな柄が揃ってるんです」


つまり上流階級御用達のお店ということだ。


西園寺の名前で贈り物をして来るのだから適当なものが届けられるはずはないのだが、老舗呉服店の名前に背筋が伸びた。


「もうすぐ夏休みですし、クラスのお友達とどこかにお出かけされたらいかがです?」


実は何人かの友達から、地元の花火大会に誘われていたのだが、夏期講習の予定のほかにも母親が急に瑠璃を連れて知り合いのところに顔を出したがるので、なかなか予定が立てられなかったのだ。


ギリギリになって断るのは申し訳ないと思って遠慮していたのだけれど。


「・・・・・・もし、花火大会行くって言ったら、着付けお願いできる?」


「勿論ですよ。髪型も可愛く結いましょうね」


「っありがとう・・・」


「でも、まずはその前に西園寺さんにお礼のメールを送られてはいかがです?」


「あ、そ、そうよね!うん、そうするわ!」


大慌てで頷いてカバンの中に入れっぱなしのスマホを引っ張り出す。


こんな風に彼に連絡をするのは初めての事だ。


”浴衣ありがとう。すごく嬉しかったです。今年は友達と花火大会に行くので、着て行きます。”


短い文章を打つのに、20分近くかかった。


それから送信するまでにさらに10分を要して、すべてのことが終わった後にはへとへとになっていた。


西園寺からの返事は次の日に返って来た。


”喜んでくれてよかった。瑠璃色を見てすぐに決めました。花火大会楽しんでください”


短い一文でも飛び上がりたくなるくらい、嬉しかった。






・・・・・・






「あの時の浴衣って・・・・・・まだ深見の家かな・・・」


未練を残してはいけないと、西園寺に関するものはすべてあの家に置いてきた。


瑠璃と母親が家を出た後で、残った家財道具を父親と兄がどうしたのかは分からない。


花火大会で自動的に思い出されるのがあの浴衣という時点で、もう駄目なのだ。


小さく呟けば、まるでそれを見ていたかのように机の上のスマホが鳴った。


現在瑠璃に連絡をして来るのは西園寺か家族くらいのものだ。


「もしもし?」


『あ、瑠璃?いま仕事場やろ?メッセージ送ったのに既読にならへんから』


あの頃は翌日にならないと返信をくれなかった西園寺が、メッセージに既読がつかないだけで電話を架けてくるほど過保護になるだなんて。


「仕事してるんだからしょっちゅうメッセージは見ません」


『ほんまにうちのおひぃさんは真面目やなぁ・・・・・・車で行けるとこで花火大会あるから、今晩出かけよ。瑞嶋さんには許可もろたから』


「・・・・・・・・・私花火大会行きたいって言った?」


『いいや?言うてへんけど、俺が瑠璃を連れて行きたいだけ。知り合いに会わへんとこやから、ええやろ?』


「もう行くつもりにしてるんでしょ?」


呆れ口調で返せば、西園寺が当然のようにそうやで、と返して来た。

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